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「なるほど」って、いい答えだな

5月6日(金)

6時に起きて顔を洗い、北をホテルに残して空港へ。

5月5日(木)

7時過ぎに朝食を食べてからチェックアウトを済ませ、レンタカーに荷物を乗せて海へ向かった。午後5時の飛行機で宮古島を離れる予定になっていたので、3時頃まではゆっくりする時間があった。太陽には今日も薄い雲がかかっている。今日は吉野海岸の北にある新城海岸へ行った。

小さな駐車場に車を停めて30メートルも歩くと、そこにはもう砂浜が広がっている。売店でビーチパラソルの貸し出しを頼んだら、全身がかりんとうのように日焼けした背の低い男が砂浜にビーチパラソルを立ててくれた。

「男三人で来たの」

「いや、二人で来た」

「これは?」

かりんとう男はパラソルの根元に砂をかけながら小指を立てた。

「おいてきた」

北が答えた。

「天気が良くてよかったね。沖縄の天気予報は当たらないでしょう。梅雨入りするとたいてい晴れるんだ」

天気予報では、沖縄地方は2日前に入梅していた。

「今度は彼女と来てね」

かりんとうは仕事を終えて去っていった。

砂浜には僕たちを含めて3つくらいのグループしか見当たらなかった。前日と同じように、北は海に入り、僕は本を読み始めた。

反乱軍と詩人の仲間たちの戦いは、腹ふり党と猿の戦いのように悲しかった。嘘が現実になり、現実が嘘になる。現実も嘘もたくさんの命を奪っていく。

しばらくして今度は僕が海に入った。この海岸の珊瑚はあまり動いていなかった。

僕は前日と同じように砂浜で本を読み、暑くなると海に入ってきれいなベラを観察した。

「俺さあ、表現を止めようと思うんだ」

研修医の頃、仕事の帰りに寄った居酒屋で、北はセブンスターに火を付けながらそう言った。

「結局ね、俺が頭の中で想像する、興奮するほど美しい出来事とか景色とかね、そういうものをさ、形にできないんだ。どうしたって表現することができない。何度も試したんだ。でもね、実際に書いたものと、頭の中の美しいイメージの間にはどうやっても埋まらない距離がある。その距離というか乖離を目の前に突きつけられるとさ、とてつもなく腹が立ってくるんだ」

何の脈絡もない断筆宣言だった。

「絵を描いてるのか」

「いや、絵とか詩とか、形式を限っての話ではなくて、表現そのものの問題なんだ」

周りの研修医が、鎖骨下静脈穿刺の上達や抗癌剤の名前を覚えることに夢中になっているときに、北は一人でこんなことを考えていた。

気がつくと、北が書かざる筆を折ってから7年がたっている。

「表現にはまだもどらないんですか」

砂浜でひと休みしているときに、僕は北に聞いてみた。

「オリジナルのものなんて思い浮かばないよ。無理だね」

「オリジナリティーなんて関係ないでしょ」

「北、いくつになった?」

「35だ」

「おれは33だ。恥ずかしいな」

「関係ないでしょ」

北は砂浜の砂を握ったり投げたりしていた。

「高校3年の冬にさ、夜中に勉強してたんだよ。2階の自分の部屋で。そしたらね、窓に『ごん、ごん』て何かが当たる音がするんだ。なんだろうと思って窓をあけたらさ、玄関の前に親父がいた。親父が俺の部屋の窓に向かって雪球を投げてたんだ。親父は一人じゃなくて飲み屋の女と一緒だった。鍵がなくて家に入れなかったらしいんだな。外は真っ暗で、ものすごく寒くて、道路にはたくさん雪が積もっていた。仕方がないから階段をおりて、玄関を開けてやった。親父は完全によっぱらっていて、飲み屋の女と一緒に家の中に入ってきた。そして、『この女が受験勉強に励んでいるお前をどうしても激励したいっていうから連れてきた』っていうんだ。20台前半くらいの若い女でさ、すっげー迷惑そうな顔をしててさ、どう考えても親父に無理やりつれてこられたんだ。それでもその女は『勉強がんばってください』なんて言っちゃってさ。そして、その後すぐに帰った」

「やさしい親父さんだな」

「いや、優しいというよりね、親父は息子とどういう風に関わったらいいのかわからない風だったね。親父は小さい頃に父親を亡くしているんだ。だから、父と子の関係というのがいまいちよくわかっていないみたいだった」

「なるほど」

「推測だけどね」

昼過ぎまで浜辺で過ごした後、風呂とレストランがあるという近くのゴルフ場でシャワーを浴び、レストランで昼飯を食べた。北はとんかつ定食を頼み、僕は宮古そばにした。ビールも一杯飲んだ。

ひと休みしてから市街地へ戻り、レンタカーを返して空港に向かった。

夕方の飛行機に乗って那覇へ行き、さらに飛行機を乗り継いで福岡へ。

那覇-伊丹便が満席だったので、今日は福岡に泊まり、明日早朝の飛行機で大阪に戻ることになっていた。

飛行機の乗り継ぎに少し時間がかかったので、福岡に着くと夜の9時半を回っていた。本の中で反乱軍に制圧された福岡の街に入るのは、少しだけ怖い気がした。当然だが北は何とも思っていなかっただろう。

空港から姪浜行きの地下鉄に乗り、「博多東急イン」へ向かう。チェックインの後で部屋に荷物を置き、ホテルの人に教えてもらった屋台で、おでんと博多ラーメンを食べた。ビールと、焼酎のお湯割を飲んだ。

「最近、体の具合はどうなんだよ」

「比較的落ち着いてるよ。病棟で働いていた頃よりも仕事の負担も減ったしね」

「数値も落ち着いてるのか」

「うん。ウイルス消えたんだ」

北は、2年前に顆粒球除去とインターフェロン療法を組み合わせた治療を受けていて、現在はその後の経過観察中である。その治療は、一ヶ月にわたり関西の病院に入院して行われた。北はこの入院をきっかけにして、自分が大学病院で第一線の臨床医として働くことをやめた。

「そうか。それは良かったな」

「肝臓の繊維化が進んでいたから、治療効果はあまり期待できないと思っていたんだけど、幸いなことに今のところはうまくいってるんだ」

「そうか」

結局、その晩も北は生ビール一杯しか飲まなかった。

学生時代にアパートでスコッチをラッパ飲みしていた男とは思えなかったが、北は変わった。

相変わらずスパゲッティーはナポリタンしか食べないが、北は変化したのである。

部屋に戻って、シャワーを浴びて寝た。明日の飛行機は7時30分出発だ。

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2005年5月20日 20:29に投稿されたエントリーのページです。

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