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突然の訃報(たいていそうだけど)

5月3日(火)

朝起きて食パンを食べて大学へ行った。研究室には誰もいなかった。カギを開けて部屋の中に入り、ホワイトボードの「佐藤」の行に接着した赤いマグネットを「帰宅」から「在室」へ変える。

荷物を置いてから細胞培養室へ行き、CO2インキュベーターから96ウェルプレートを取り出して、ちいさなウェルの一個一個に試薬を10μℓずつ加えていると電話がぴろぴろ鳴った。電話は教授からで、前教授の母親が死んだという。

そのまま流れに飲み込まれて訃報の文面を作成し、医局員と同窓会員にメールとFAXを流した。前同窓会長○○先生のご母堂が逝去されました。ここに謹んでお悔やみを申し上げますとともにお知らせいたします。なお通夜、葬儀は下記のごとく執り行われます。
知らせを受けた人は皆、ご母堂がいままで生きていたことに驚いていた。

結局予定の実験は行えないまま、午後1時になったので空港へ向かった。空港に着くと北が待っていた。チェックインはすでに済ませてくれているので、荷物をJALのカウンターに預けてから短いエスカレーターを登り、ボディーチェックを受けた。黄金週間だというのに身体検査場の前に行列はできていない。

飛行機に乗るまで20分ほど時間がある。妊娠六ヶ月の北婦人の具合や天気の話をしながら搭乗口に向かい、売店でさばの棒ずしと生ビールを買った。僕は突然の訃報騒ぎで昼飯を食べ損ねていた。

滑走路に面した売店のカウンター席に二人で腰掛けて昼飯を食べる。奥のほうの席では若者が牛丼をすすりこみ、女の子がサンドイッチを食べながらビールを飲んでいた。僕を待っている間にラーメンを食べたという北はコーヒーを飲んでいる。よかったらひとつどうだとすすめると、北は棒ずしを一個だけ食べた。棒ずしはその名のとおり棒状になっており、ご飯とそれに密着しているしめ鯖の周りを昆布がぐるぐる取り囲んでいる。そして、その周りにはさらにサランラップが巻いてある。それなりにうまいが、食べにくいのと手が臭くなるのが難点だった。

「最近はいそがしいですか」

「最初は暇だったんだけどね。こまごまとした仕事が増えてきた。以前は小児科の骨髄標本を見るのだけが仕事だったんだ。一週間のうちに臨床検査部に提出される小児科の骨髄標本の数なんて知れてるから、標本を見る以外は、タバコを吸ってコーヒーばっかり飲んでた。でも、4月から病院の総合外来をすることになって少し忙しくなった。新しく作られた外来なんだけど、専任の医者がいるわけじゃないから、臨床検査部でやることになったんだ。うちの教授は若くて赴任したばかりで、おまけに気も弱いから面倒な仕事はすぐにおしつけられるんだ。さらに今の時期は、学生の講義や実習の相手もある」

北と僕は大学の同級生で、同じ医局で卒後研修を受けた。それぞれ大学と関連病院を行ったり来たりしていたが、二人とも大学にいた卒後4年目の春にK教授が肝臓癌で死んだ。K教授が死んだ翌年、僕は関西の大学に移ることになった。北は大学に残った。

北には肝臓に持病がある。北は病棟勤務に追われるうちに自分の肝臓が悪くなり、今から2年前に、丁度ポストが開いていた臨床検査部へ移動した。K教授も元々は北と同じ肝臓の病気を持っていた。

機内へ移動のアナウンスがあったので、棒ずしで生臭くなった手をトイレで洗った後、僕たちは那覇行きの飛行機に乗った。

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2005年5月11日 09:40に投稿されたエントリーのページです。

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