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2010年1月 アーカイブ

2010年1月13日

さっちゃん、年頭の決意を語る


le 12 janvier

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

2010年ですねぇ。
なんだかすごい年になっちゃったなぁ。

友だちからの年賀状に、今年はいよいよ30代だね、って、
ぞっとする一言が書いてありましたが、どうやらそのようです。
初詣で、自分の数え年を31歳と知って、どうしよぅ・・・と
思ったりもしました。
あ、でも、おみくじは「大吉」でした。

30歳かぁ。
うーん。
29歳の年は、いろいろ波乱万丈でしたなぁ。

でも、30の今年は、わくわくが待っている気がするので、
楽しみながら過ごそうと思います。

本当に昨年は、バタバタでした。
日記を書く余裕がないというか、気力がないというか、
日々へとへとで。

休みの日と言っても、自分で連休をなくしてもらったりしていたので、
ただ寝てるだけになったりして。
元気なときは、一日中出掛けちゃうし。
そこで、リフレッシュしてるんだけども、体力的には
疲れていたらしく、11月12月だったか、いきなり病気がちに
なりました・・・。

しかし、よくそこまで元気でいられたなぁと、
自分で感心しましたけども。

そこまでは、扁桃腺を腫らして熱を出すことも、風邪で
倒れることもなかったし。
が、いきなりどかどかとやってきまして。

1週間ほど、首周りが腫れてるなぁ、リンパかなぁ、
肩こりかなぁって思ってたら、喉が痛くなってきて、
お昼休みにロッカーの鏡の前で「あー」って口を開けてみたら、
喉が真っ白になっていたりしました。

その日は、驚きすぎて、早退させてもらいましたけども。
それ以外は、休むこともなく、扁桃腺を腫らしながらも、
膀胱炎になりながらも、何とか働き続けました。

で、12月に、人生で初のボーナスをいただきまして。
別名「寸志」というそうですが、親子3人で焼き肉を食べに
行ったらあっさり消化されました。

でもまぁ、お父さんとお母さんが喜んでくれたから、
いいや。

お正月は、弟一家が帰ってきたりして、わいわい過ごしました。
姪っ子が、泣いていても、私が慣れない手つきで抱っこすると、
泣きやんだりして、かわいい。
3月で、1歳となりますが、会う度に、すごい勢いで成長していて、
素敵です。
自分の子どもだったら、もっとかわいいよ、と聞きますが、
そうかもしれない。


あぁ、それにしても、心に余裕のない年でした。
本も、ほとんど読まなかった。
朝が早いし帰りが遅いので、両親と一緒にご飯を食べることも、
ほとんどなかった。

そんなの普通だよ、と思われるかもしれないけど、
冷たくなったおかずを一人で黙々と食べてると、
ふと切なくなったりして。

職場は、いよいよガタが来ている感じ。
建物も人間関係も、騙し騙しじゃ、長く持たないのだなぁと、
改めて実感した年末でした。
誰か一人が、「いち抜けたー」って辞めちゃったら、
どんどん辞めていく気がする。
一度壊れた人間関係って、たとえ仕事上の付き合いとは言え、
修復されることは、とても難しい。

リーダーとして、その人なりにがんばってきたはずだけど、
残念な状態になってしまった今、職場の空気は、毎日重い。
みんな、結構無理して笑って、無理して楽しくしようと
しているのが、伝わってきてしまって、苦しい。

だから、私の気分も晴れなかったりして。
晴れるのは、やっぱりお客さんとしゃべっている時。
ここの職場は、良いお客さんに恵まれているから、
こんな私でもやって来られたのだと、しみじみ思う。

でも、仕事のことばっかり考えて、余裕なく過ごすのは、
止めることにしました。
シフトから、連休をなくしてもらうことも止めました。
疲れたら、年休も使おうと思います。

無理して身体壊しても、何のためにもならないし。
もちろん、休みの日に仕事を持ち帰ったりもしない。
売上は落ちちゃうだろうから、喜べないけど、
お客さんの数も落ち着いてきてしまったので、
残業も、そろそろ止めようと思います。

早く帰って、身体を休めて、疲れ果てて寝ちゃうとかではなく、
寝る前に本が読めるぐらいのペースで行きたいところ。

ということで、今年もまたよろしくお願いいたします。

2010年1月31日

さっちゃん、野村萬斎を見る

le 30 janvier


27日の水曜日、野村万作さん萬斎さんの新春狂言会へ、
行ってまいりました。

毎年、干支にちなんだ演目が行われますが、今年は、干支
関係なかったね、と帰りに母と話しましたが、なんとなく、
昨年の新春狂言会のときに、萬斎さんが、もう一周したから・・・
みたいなことを、言われていた気もする。

今年の演目は、毎年恒例の謡初「雪山」、それから「墨塗」、
そして、素囃子の「神楽」、最後に「歌仙」でした。

新春狂言会のときは、謡初のあとに、萬斎さんの演目解説もあって、
こちらも楽しい。
大槻能楽堂で行われる、万作・萬斎狂言会のときは、この解説を
万作さんがしてくださったりして、こちらも楽しみなんですけど。

いつものことながら、今回も、楽しいひとときでした。

「墨塗」では、本当に顔に墨を塗られていたので、大名も女の人(役の石田さん)も、
太郎冠者も、最終真っ黒でした。

大名が、参勤交代みたいな感じで、故郷を離れていたときに、現地で
仲良しになった女の人とお別れを・・・女の人は、その話を聞いて、泣き始めた
けど、実は嘘泣きで、顔に水をつけてたという。
それを発見した太郎冠者が、大名に教えてあげたけど、大名は信じず。
仕方ないので、太郎冠者は、水と墨をこっそり入れ替え・・・というお話です。

「歌仙」は、絵馬の中から六歌仙が出てきてしまう、にぎやかで
華やかなものでした。
狂言では、衣装って結構シンプルなことが多いけれど、
歌仙たちの衣装は、煌びやかで、しかも、6人も並ぶから、
見ごたえがすごかった。

歌を詠むのが上手くなりますように、と参詣に来た人が、
力紙という動作をすると、絵馬から歌仙が出てくるという・・・。
力紙っていうのが、驚きの行動。
①紙をくしゃくしゃっと丸める。
②その紙を、口に含みモグモグする。
③口から紙を出し、絵馬に投げつける。
これが、チカラガミです。

萬斎さん曰く、現在でも、力紙をする神社があるそうな。
ほぇー。

で、出てきた歌仙たちが、小野小町と僧正遍照の仲良しさを
めぐって喧嘩をし最終的に武器まで持って戦うというお話です。
喧嘩の前に、歌仙らしく、歌でも詠みましょうか、となるのですが、
そのお題も6つとも変なお題で、難しいから、まずお酒でも飲んで・・・
とかって、柿本人麻呂が言い出し、小町に一番最初に飲ませ、
その杯を次誰に渡すかってなったとき、小町が僧正遍照を
選ぶと。
ここから、他の男性陣が、おもしろくない!とか言い出して・・・。
というお話でした。

今回は、能楽堂ではなく、ホールで行われたため、
萬斎さんの演出により、本当に絵馬から歌仙たちが出て来ましたが、
能楽堂で行うときには、橋掛りの辺りで六歌仙は待機されているそうです。


あぁ、今年も新春狂言が見られてよかった。
帰りに、5月の万作・萬斎狂言会の予約も行ったので、
また5月も楽しみです。


今日は、朝から中・高の同窓会誌の集まりで。
今年度、初出席。
仕事がかぶってて、今まで、全然顔出せず。
私は、2年間、同窓会理事を務め終え、次の理事さんたちに
バトンを渡し、あわせて、こちらのバトンも渡したので、
抜けてもいいのかなぁと思いきや、こちらは、期間限定ではない
らしい。

ほとんど出席できないけど、それでも良いらしい。

今日は、先日行われた、シスターを偲ぶ座談会の議事録の
校正がメインでしたが、それがなかなか終わらず、今年度から
参加してくれている友だちと、終わったらランチしよーって言ってた
のに、それもできず、私は、ダーリンとの待ち合わせまでの間、
こうしてネットカフェで日記を書いているわけです。

今まで日本では、ネットカフェに寄ることなんてなかったけど、
こういう時、だらだらくつろげるので、便利ですねぇ。
今いるココは、駐車場もお金かかんないし。
フランスでネットカフェに通ってたときは、みんな横並びだったけど、
日本だと、どこでもなのか知らないですが、個室だし、飲み物も自由だし、
ご飯も食べれるし、漫画も読めるし、マッサージチェアもあるし、
・・・ここで過ごしてしまう気持ちは、何となくわかる。

今日の晩ご飯には、手羽先を食べる予定。
おいしいのです。
愛知で食べてた手羽先よりも、ずっとおいしい。

お昼、食べ損ねたので、いっぱい食べようっと。

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