今回の記事は自分で言うのもなんですが、力作です。かなり難しい話を頑張っ
て解説しました。これぐらい理解しておくと、今年のノーベル賞に輝いた硤合先
生の凄さがよりわかると思うからです。どうか、いつもより根性いれて読んでみ
て下さい。まず、前置きが長いので気合いをいれて行きましょう。
宇宙人との禅問答
自然科学者が気が向くと口にする哲学的な問題に「左右(の違い)を宇宙人に
言葉だけでどう伝えるか」というのがあります。最初に私がこれを知ったのは、
大学4回生のときで大学院受験生仲間と議論しました。英作文の課題にこういうの
が出たりするからです。
ちなみに、奥の細道冒頭の英訳なんてのもありました。
例によって私は、「右でない方が左だ。そして左でない方が右だ」とか「茶碗
持つ方が左、箸持つ方が右、宇宙人でも飯ぐらい食うだろ」などと混ぜっ返して
いるうちに、数学や物理専攻のの真面目な連中からは相手にされなくなりました。
当然でしょう。
実はこの問題「オズマ問題」と呼ばれていて、最初に発表したのは哲学者のカ
ントだそうです。単純ですが、奥が深くて嫌らしい問題です。物理学的(?)に
は、1956年に放射性元素を使った実験で決着を出した事になっていますが、カン
トがこの説明で満足できるとは思えません。実験結果で「左右」を説明するのに、
宇宙人と実験者が「上下」や「前後」について認識を共有していることが前提だ
からです。悪く解釈すると、「宇宙人だって飯ぐらい」と同じタイプの議論とも
言えます。
ウィキペディア、自然界における左と右
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E7%95%8C%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%B7%A6%E3%81%A8%E5%8F%B3
「上下」の方は重力で考えればなんとかなるかも知れません。けれども、「前
後」は、その宇宙人の体型に関係しそうです。同じ人類でさえ、「前後」の認識
が混乱することはあります。右肺は人体解剖図では左側にあり、右京区は京都市
の地図では左側にあるのは、解剖遺体や天皇陛下にとっての「前後」が、図を見
る人と逆になるからです。
厚生労働省、呼吸器各部位
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/0000057145.pdf
Map-It マップ・イット、京都市
https://map-it.azurewebsites.net/Map/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C__%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%28%E5%8C%BA%29/citrus
こういう蘊蓄系に深入りしていてはキリがありませんが、覚えておいていただ
きたいのは、左右の定義は、「上下と前後が決まっていてはじめてできる議論」
だということです。
右手・左手では分かりにくい
今回のノーベル賞のテレビ報道で、受賞内容の話で右手と左手が比喩的に使わ
れますが、あまりわかりやすい説明ではありません。なんでアミノ酸に右手や左
手があるのでしょうか。
そこで、この記事では、もっとも簡単な立体と思えるテトラポット(正四面体
の仲間)の形を使います。テトラポットとは、中心から4本の足が出ているコンク
リート製の物体で、海岸などで波消しブロックとしてよく使われています。
これを平らな地面に置く場合、三本の足が接地していて残りの一本が真上を向
く事になります。仮に転がしても、足の内一本は必ず真上を向きます。言い方を
変えれば、4本の足は全て平等(等価といいます)で、真上に伸びる一本を残りの
三本が支えているわけです。
テトラポッド(消波ブロック)、不動テトラ
https://www.fudotetra.co.jp/solution/block/tetrapod/
さて、テトラポットの三本足をそれぞれ青・黄・赤に塗る事を考えてみましょ
う。まず、どれか1本の足を塗装せずにコンクリート色のまま地面に埋めて、地上
に出ている3本にこの3色を塗ることにしましょう。塗り方は二つあります。上か
ら見て右回り(時計回り)に青→黄→赤と塗っていくか、左回り(反時計回り)
に青→黄→赤と塗るかです。大きさも、形も、色使いも全く同じなのに、左右が
違うだけの一組の物体が存在するわけです。二つの関係を不斉(ふせい)と言い
ます。人間の右手と左手の関係も、おおざっぱにはこの例でからよく説明に使わ
れるのですが、これ以上の議論にこの比喩はついていけません。
だからテトラポットなのですが、大事なのは4本の足の色が全部異なっているこ
とです。仮に同じ色(つまり等価)の一組の足があると、他の2本が別々の色で
も置き方によって同じになってしまいます。全く同じものになってしまいます。
3本以上同じなら言うまでもありません。
この不斉の関係は立体特有のもので平面ではおこりません。右回り左回りの違
いがあっても、その面を裏から見たら同じになるからです。ですから、裏表が決
まっている平面はもはや二次元ではありません。上下の考え方がはいってくるか
らです。左右に意味があるのは、三次元(以上)の世界です。
ちなみに、2001年にノーベル賞に輝いた野依良治先生もこの分野です。珍しい
名字の日本人が左右の区別に拘ると、なんでノーベル賞に近いのでしょうか。新
たな研究課題です。
アミノ酸と不斉
化学の世界には、不斉をつくるメジャーな原子が二つあります。炭素とケイ素
です......というと、生物系の先生方からつっこみが入ります。はいはい、確かに
生物界全てに関係している炭素と違い、ケイ素の不斉はマイナーです。でも、右
水晶と左水晶なんていう区別があります。と、元地球科学者を代表して......すね
ておきます。
炭素とケイ素、この二つは4本の等価な電子の腕を持っているので、よくテト
ラポット状の分子(原子が集まって作るユニット)を作ります。一番シンプルな
例は炭素がメタン、ケイ素が水晶です。
水晶の話は現役の鉱物学者か占い師にでもお任せして、メタン分子の構造を考
えましょう。難しいものではありません。テトラポット構造の中心に炭素があり、
4本の腕には同じ水素がついていて等価になっています。もちろん、この段階で
は不斉などという複雑な話ではありません。
テトラポットの3本の足にそれぞれ色を塗るように、メタン分子の4つの水素の
うちひとつはコンクリート色のまま残して、3つをそれぞれ別の物に付け替えます。
アミノ酸にするなら、そのうち2つは決まったものになります。アミノ基(NH2)
とカルボキシル基(COOH)です。
以上まとめるとアミノ酸の真ん中にある炭素の4つの腕には、水素・アミノ基
・カルボキシル基がつき、最後の一つにはトッピングのようにいろいろな物がく
っつくことで、各種のアミノ酸ができます。
トッピングには何が乗るのか......ピザのダブルチーズみたいに水素がもうひと
つつくとグリシン、メタンもどきがつくとアラニン......という具合です。ドラッ
グストアの売れ筋、タウリンやアルギニンもこの仲間です。理論的には無限の組
み合わせが可能ですが、実際はわずか20種類のアミノ酸の組み合わせで、人体
にある全てのタンパク質は作られています。脳も内臓も筋肉も血液も20種類の
部品の組み合わせでできているわけですから、レゴに似ているとも言えます。
ちなみに、資格試験や大学院受験などでアミノ酸についてしっかり勉強する気
なら、何か一つ「推しアミ」を作る事がオススメです。料理好きならグルタミン、
体育会出身ならプロテインとか......なんでもひとつご縁のありそうなメンバーを
見つけて、豊富な食品、発見の経緯、人体での役割、合成方法、そしてもちろん
構造。興味のありそうな所から一通り、できるだけ詳しく覚えてしまいます。そ
うしておいて、他のアミノ酸は自分の「推し」との比較で理解していくと記憶が
整理されますし、わりと楽しく勉強できます。
いくら探しても「推し」が見つからないようなら、できれば「アミノ酸」が必
須の分野には進まないほうが良いと思います。私の場合、この方法で希土類元素
(17種)を勉強しました。アメリカの州、戦国大名、恐竜など、同じようなもの
を整理して覚えるときには、応用が利くと思います。山手線ゲームも強くなりま
す。
本当は怖い不斉炭素
さて、少し化学の心得がある方はアミノ基の式(NH2)は、アンモニア(N
H3)に、カルボキシル基(COOH)の式は、酢酸(CH3COOH)に似て
いることに気がつくかも知れません。アミノ酸は一つの分子の中にアルカリと酸
の両方の部分があるのです。
酸・アルカリと言えば中和ですが、中和とよく似た反応でアミノ基とカルボキ
シル基は結合します。ただし自分自身のもの同士は届きませんので、アミノ基は
隣にある別のアミノ酸のカルボキシル基と手を繋ぎ、反対側の腕であるカルボキ
シル基も別のアミノ酸のアミノ基と結合します。こうして、アミノ酸が次々と繋
がって1本の鎖ができると、タンパク質の誕生です。
動物の胃腸でおこっている消化はこの逆の現象で、食品中のタンパク質を一個
のアミノ酸(か数個のかたまり)にまで分解してしまうことです。レゴの作品を
バラバラにするのと同じですから、もとのタンパク質の構造はほぼ完全に分解さ
れます。
ですから、食べた動物のタンパク質から、捕食者が影響を受けることはありま
せん。牛肉をよく食べる人が牛っぽくなることはないのです。むしろ食べ過ぎる
と豚っぽくなります。ただし、アミノ酸はそのまま入ってきますから、アレルギー
の原因になることもあります。
ほとんどのアミノ酸は4つの腕に全部違う物がくっつく不斉炭素が出来ます。
だから左右の区別があります。例外はグリシンですが、なんで不斉炭素ができな
いかはこの記事を読み返せば分かるようになっています。特に興味のある方は考
えてみて下さい(科学記事によくある嫌味な書き方......一度やってみたかった)。
別にわからなくても、この先の話とはあまり関係ありません。
繰り返しますが、不斉炭素があるということは、同じアミノ酸でも右回り左回
りの2つができるということです。アミノ酸の場合、どれを右回り(D型)、左
回り(L型)と呼ぶかはルールが決まっています。
面倒な話ですから、必要ない人はこのパラグラフは読み流して下さい。確認し
ておきますと、不斉炭素に直接くっつくのは水素(Hと呼ぶ)、アミノ基(Nと
略す)、カルボシキル基(Coと略す)、そして例のゲスト(Rと略す......なん
でか知らんけど習慣です)の4種類です。テトラポットで考えた時、水素のつい
た腕を垂直に地面に埋めてしまいましょう。上から見えるのは、残りのCoとR
とNの3つの腕です。その並べ方をCo→R→Nが反時計回りをL型(Lの書き
順と同じ回転方向)、時計回りをD型(Dの"背中"の書き順と同じ回転方向)
です。この分類方法をCORNルールと呼びます。
アミノ酸のCo腕が隣のアミノ酸のN腕とが何十個も連結してタンパク質がで
きることを考えれば、L型とD型の違いの大事さが分かってきます。タンパク質
生成のとき、普通のL型アミノ酸ばかりが手を繋いで並んでいる中に、D型(右
手と左手が逆についている人)がはいってくると、その人だけ後ろ向きで立って
手をつなぐことになり、部分的には奇形のタンパク質ができます。こんなことが
体内のあちこちでおこると、さまざまな不都合がおこるはずです。
実際、サリドマイド事件はこの不斉分子の違い(アミノ酸ではありませんが)
でおこった薬害でした。各種アミノ酸で同様のことが頻繁におこれば、人類どこ
ろか生物自体がもっとあっけなく全滅していたはずです。
あるいは全然別の生態系が出来ていたかも知れませんが、何かを「食べる」大
型動物は無理だと思います。食物連鎖をアミノ酸の共有と考えると、全ての生物
がL型でほぼ統一されているのは、全生命にとって都合の良い事なのです。ただ
し、近年の研究によれば、人体でも脳や臓器などに、少量のD型アミノ酸が使わ
れているとのことです。供給源は腸内細菌らしいのですが、生物界全体でどうや
ってL型優位を保ったまま、D型の供給を維持しているのでしょうか。興味のつ
きないところです。
ノーベル賞を越える業績
そもそも、なんでL型がメジャーなのでしょうか。最近まで生物体のアミノ酸
にD型はないとまで言われていたぐらいです。L型が出来やすくなるなんらかの
メカニズムが、働いたはずです。理論的に可能性があるのは2つのケースです。
第一のケースは外部から生体に左右の区別を教えるものがあった場合です。た
とえば地球の自転。全ての台風は左巻きに回転します。アミノ酸にも......という
のは、一見ありそうな話ですが、致命的な欠点があります。南半球では話が逆に
なることです。台風も右巻きになります。けれども、アミノ酸には影響は及んで
いません。だから日本人がオージービーフを食べても大丈夫です。ロースもタン
もホルモンもちゃんとL型ですからです。
第二のケースは、どちらかがLかDのどちらかがメジャーになったとき、その
差を拡大するメカニズムがある場合です。小さなシェアの差が時間とともに拡大
して、多い方がどんどん増えて市場を独占してしまう......強きを助けて弱きをく
じく、嫌な話ですが、そのおかげで人類が生存しているのですから、ここは我慢
するとしましょう。
今年のノーベル賞研究の「硤合反応」はそういうメカニズムが、はじめて具体
的に発見されただけではなく、人工的に再現してしまうという凄い成果です。生
命誕生や生物進化の本質という「大きな物語」から、安全性の高い医薬品の製造
といったビジネス色の強い「小さな物語」まで、極めて影響範囲の広い研究です。
ノーベル賞は当然、誰にも「文句を言われる」筋合いはありません。それどこ
ろか化学賞だけでは足りないと思います。殊勲賞・技能賞・経済学賞のおまけ三
賞をつけても良いぐらいですが、当の硤合先生が「文句」をおっしゃるでしょう。
面白いのは「硤合反応」自体はL型D型の区別をしていないということです。
L型がメジャーならL型を、D型がメジャーならD型を......分け隔てなく強者を
助けるメカニズムです。イデオロギー無視の新自由主義が、ある意味では平等で
あることにもどこか似ています。
今後の研究課題。個人的興味の赴くまま3つあげておきましょう。まず、最初に
L型優位はなぜおこったのかということです。まったくの偶然だったのか、なん
らかの理由があったのかです。もし、偶然ならば、最初にD型有利な別の場所で
は、格差がひらくことでD型ガラパゴスができるはずです。それどころか、地球
上でL型地域とD型地域が半々になっていたかもしれません。
現実にはD型地域は存在しないのですから、「硤合反応」とは別にL型優位に
なる理由があったはずです。それは、生物誕生の前なのか後なのかです。原始的
な生物からは、今でもD型アミノ酸が多く見つかる事を考えれば、淘汰がおこっ
たのは結構最近だったのかも知れません。恐竜がD型だったりしたら面白いので
すが......さすがに無理でしょうね。
第二の課題。なぜ完全にD型が完全には消滅しなかったのでしょうか。恐らく、
「硤合反応」的なものを抑制するメカニズムがあるはずですが、それは何なので
しょう。また、生物にとってどんな利点があるのでしょう。
最後の課題は。L型優越は全宇宙たとえば他の惑星系でも共通なのでしょうか。
UFOを操縦してやってくる知的生命体でなくても、原始的な微生物でも地球外
生命体がいるとすれば、それはL型なのでしょうか。D型メジャーか混合型かも
しれません。
よく考えれば、3つの課題は相互に繋がっているようですが、哲学まで視野にい
れたいろいろな学問分野が関連する、面白い話になることは間違いないでしょう。