この夏、暴力的な天地を相手に、われわれ日本人はよく頑張ったものです。そ
うこうしているうちに2026年も3分の2が終了。気の早い話ですが、今年の流行
語大賞はどうなるのでしょう。今のところ有力候補はなさそうですが、夏に話を
限れば、「反省」なんていうのはいかがでしょうか。
敗戦の日、恒例の首相談話から「反省」の2文字が消えました。お疲れなんで
しょう。就任早々、中国相手に無意味な喧嘩を売って、両方の国益をいっぺんに
毀損するという器用な失言をするわ。支持基盤の劣化世論におもねって無意味な
法律を2つも作り、日の丸と皇室のイメージを決定的に悪くするわ。2年間限定の
消費税減税(非常に慎ましい「悲願」です)も出来ないほど、国の財政を破壊す
るわ。反省材料は豊富にお持ちで、80年前のことまで手が回らなかったのです
ね。
さらに、この日は大変でした。憲政史上初の総理大臣による駐車場遙拝です。
きっと、ブレーキとアクセルの踏み間違いで亡くなった方たちの冥福を祈られた
のでしょう。ご苦労様なことです。
そもそも、器でもないのに総理になったこと自体が反省の......いや、やめてお
きましょう。バブル+失われた35年。生産性が伸びない国で平均寿命が延びた
のですから、生活水準が下がるのは当たり前。そろそろ先送りも限界に来ていま
す。ここまで不都合な状況を飲み込めるほど大きな器など、ケネディーもナポレ
オンも徳川家康もお持ちでは無いでしょう。今後しばらくの間、総理になるとい
う事は、これまでに日本人のしたことのツケを払う仕事をすることです。
反省する権利はもうない
話を8月15日(土曜日)に戻します。高市さんは以前、第二次アジア太平洋大東
亜世界大戦に関して、反省する気がないとおっしゃっていました。意外かも知れ
ませんが、私はこれを支持します。嫌味ではありません。本気で支持します。
当たり前の話ですが、敗戦から10年以上たって生まれた高市さんには、被害者
に対してできることは何もなかったはずです。こういう立場の人間が、安易に反
省を口にするのは偽善です。「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのもみんな
私が悪いのよ」なんて言っているのと同じこと。前者は総務省、後者は通商産業
省の責任......ではありません。
終戦当時、将校だった中曽根康弘氏や兵士だった田中角栄氏など、過去の総理
大臣が、個人的に反省を口にすることは意味がありました。「あのとき何かでき
なかったのか」という素朴な自問で、「反省」という言葉が機能したのです。け
れども、今となっては総理を含む多くの日本人には、反省する義務も権利もない
のです。
そればかりか、不用意に「反省」という言葉を使うのは、問題を複雑化する恐
れがあります。まずは外国語での感覚の違いです。英語の「introspection」、さ
らに重要なのは同じ漢字熟語の中国語の「反省」や、その韓国語表記であり
「pan-sŏng」などとのニュアンスの上で齟齬です。国を代表して発言するときは、
これらを意識していなければなりません。というより、ここいらへんは外交屋さ
んの仕事です。もし、総理が下手に反省という言葉を使っていたら、誤解による
トラブルがおこらないように、火消しに回るという面倒くさい仕事が、また発生
していました。
反省には中身が必要
反省の内容も問題です。たとえば、「満州の権益の一部をアメリカに上納しと
けば良かった」とか、「南京はもっと徹底的に破壊しておくべきだった」とか、
「終戦前に平壌を焼き払っておけば、戦後も北に悩まされることもなかったのに」
などという、とんでもない反省も理屈の上ではあり得ます(見た事ないですが)。
極論はともかく、「反省」という言葉を使った以上、何をどう反省するのか明
確にする必要があります。逆に、反省を求める側にも同様の説明責任が発生する
はずです。そして、詳細かつ具体的に言葉を紡げば紡ぐほど、話がこじれること
は目に見えてます。
こうした、ニュアンスや中身の問題に関しても、従軍経験のある総理の場合は、
自らの経験という言葉の土台があるのですが、戦後派の総理の場合は、反省する
理由まで含めて首尾一貫した論理の構築が必要になります。
さらに本質的なのは、「他人の行為を反省して意味があるのか」、ということ
です。たとえば、ある兵士が敵国の住民を射殺した場合のことを考えてみましょ
う。怖かったからなのかも知れません。仕方がなかったのかも知れません。正し
いことだったと最後まで思っていたのかも知れません。本人の言い分を知る術も
ない人間が、安易にその兵士に成り代わった気分で、「反省」を口にするのは、
どう考えても僭越で失礼な話です。
取り返しのつかないことは謝罪するしかない
では、何が出来るのか。はっきり言いましょう。何も出来ません。家族を理不
尽に殺された人には、責任者の厳罰も、領土の獲得も、膨大な賠償金も無意味で
す。英雄としての顕彰など、私が被害者家族ならセカンドレイプと見なします。
同時に加害者を具体的に責任追及したり、逆に正当性を主張したりするのも不
毛です。特に、最初から許す気も無いのに謝罪を求めるのは、非暴力的ではあっ
ても攻撃の一種です。これをやっている限り、永久に敵味方のままだからです。
被害者や加害者が代替わりしても、報復の連鎖は続きます。
それでもやらなければならないのは、加害側を代表する政府としての謝罪です。
自分たちは、取り返しのつかないことをした者たちの後継であり、そのことを悲
しく思い謝罪するのです。ここで大切なのは、検証を極めることでも、心をこめ
ることでもなく、言葉を尽くすこと、そしてそれを続けることです。毎年同じの
紋切り型でもいいというより、毎年同じで無ければなりません。政権が変わるご
とに物言いが変わるようでは、口を開くたびにかえって信用がなくなります。
この夏、総理には反省に代わる謝罪もありませんでした。永遠に被害国とは友
好関係を結ぶ気はない、という意思表示なのでしょうか。それにしても、あの日、
総理は何をしたかったのでしょう。限りなく即物的な場である駐車場で、個人的
で心情的な行為を行うというのは。カーセックスの発想だと言えそうです。打算
でそれをするのは娼婦、衝動でそれをするのは変態です。