皇室制度のあり方が揺れています。本質的な論点はひとつ、「男系男子のみの
天皇制を守るために、旧皇族の独身男性を養子として天皇家に迎え入れるべきか」
ということです。男系男子派の根拠は、基本的に2つです。ひとつは、単に「長い
間続いてきたのだから」という素朴な伝統擁護論。もうひとつは、Y染色体の唯一
性という「遺伝学的」根拠です。
伝統云々の話というのは、基本的に循環論法になります。伝統だから守る。守
られてきたから伝統になる。本質的な根拠は無く、「伝統と因習はどこがちがう
んだ」という反論にもさらされます。
さて、もうひとつの遺伝子論。価値判断とは別に、科学的に意味のある話なの
かを検証してみたいと思います。
皇統染色体論を支える2つの前提
染色体について、簡単に説明しておきましょう。性染色体はひとりの人間に2
本1対あります。女性はX型の染色体を2つ。男性はX型とY型とをひとつずつで対
を作っています。受精卵ができるときには、両親からひとつずつ染色体を受け継
いで一対の自分の性染色体ができます。
だから、全ての男性がもつY染色体は父親から引き継いだものです。そのため、
正確な家系図があれば、男性は自分の持っているY染色体は誰から引き継いだもの
か特定できる訳です。
皇室の万世一系を遺伝子的に定義するならば、「今上の陛下を含む全ての男性
天皇は、初代、神武天皇と同じY染色体を持つ」ということになり、男系男子論者
はこれを永遠に守るべきだと主張しているわけです。
「Y染色体は皇統内で永遠に不変である」これを前提1としています。もう一つ、
これは暗黙の前提2として、「そのY染色体は周辺の他の男系のものと、明らかに
違う」ということがあります。いくら、万世一系の染色体でも多くの日本人のも
のと全く同じでは、それにこだわる意味がありません。男系男子主義とそのため
の旧宮家養子論というのは、この2つの前提のもとに成り立つものです。
なぜ女系天皇はいけないのか、鈴木幹子、高千穂大学
http://www1.tcue.ac.jp/home1/takamatsu/104275/060421.html
不敬の極み不倫男系説
養子反対論によくあるパターンは、前提1を疑うものです。長い皇統の間に、他
の男性の染色体が紛れ込んでいる可能性を示唆するもので、はっきり言えば不倫
男系説です。たとえば、アゴラのオーナー社長?である池田信夫先生。
「中国の後宮には(性器を切断された)宦官しか入れなかったが、日本の後宮は
出入り自由で、側室を監視する宦官がいなかったので、現実にはDNAが天皇家では
ない天皇がかなりいたと思われる。」
すごいことをおっしゃいます。根拠・証拠・エビデンス一切なし、具体的に人
物を特定するわけでもなく、「あんたらかて、ヤっちゃって、デキちゃったこと
あるやろ」と邪推して、万世一系を否定するのです。「不敬」という言葉が適切
かどうかは知りませんが、古今の関係者全員に対して失礼極まりない話です。
酒席でのヨタ話や、逆に学問的な議論ならこういう嫌疑もありでしょうが、国
の制度を決めるときに、根拠のない嫌疑を持ち込んでしまうと、「そもそも皇統
というものは存在するのか」という話に行き着きかねません。それでもなお不倫
男系説を唱えるのなら、責任をもって独自に、天皇制を再定義するべきだと思う
のですが、いかがでしょうか池田先生。
男系天皇」が古代からの伝統だという話は明治時代の創作(アーカイブ記事)、
池田信夫、アゴラ、
https://agora-web.jp/archives/2038831.html
Y染色体アダム氏の恐怖
少し理系的な視点でこの話を整理してみましょう。そもそも、男系というもの
は断絶しやすいものです。プライバシーの中枢に関わることなので、自分の家系
を例にしますが、息子のいない私のY染色体は、おそらく近い将来断絶します。
兄弟もいませんからから、同時に父の染色体も断絶します。父は二人兄弟ですが
叔父にも男児がなく、父方の祖父の染色体も、このときに断絶するでしょう。
このように男系というのは簡単に断絶して行きます。特に、現在のように出生
率が低かったり、乳幼児死亡率が高かったりすると、男児の父親になれない男性
が増えて、あちこちの家で男系の断絶がおこります。新しいものが生まれないの
ですから、男系の系統数は必ず減っていきます。
そのため、人類のY染色体は過去に一度、今から20~30万年前のアフリカ大陸で、
たった一つの系統に絞られました。その持ち主を「Y染色体アダム(y
chromosome ADAM)=YCアダム」氏とします。他の男系は全てその後に消滅したま
したから、彼が男児をつくれなければ、人類は恐らく滅びていたかもしれません。
現存する男性は全て彼の子孫です。
これは男系男子論者にとって恐ろしい事実です。もし、Y染色体が何世代遺伝し
ても全く不変のものであるとすれば(前提1)、現存する世界中の男性は同じY染
色体を持っていることになります。モーゼもカエサルも、孔子もキング牧師も、
英国王もトランプ大統領も、大谷翔平やメッシも、この長屋の大家さんも私も、
Y染色体については今上天皇と全く同じものを持っていることになり、皇統Y染色
体の固有性(前提2)は、もともと存在しないことになります。
もし逆に、世代を経るにつれて少しずつ遺伝子が変化するとすれば、皇統Y染色
体の同一性(前提1)、言い換えれば遺伝子的万世一系が疑わしくなります。
このように遺伝子の一貫性と独自性は、完全には両立しませんから、もともと、
前提1と前提2は矛盾しているのです。これを「万世一系のジレンマ」と呼ぶ事に
しましょう。
ですから、直近の小マシな男系男子論では、「Y染色体は少しつ変化するが、皇
統ではほとんど同一」という、かなり苦しい主張をしています。この場合、染色
体の同一性は原理的な話ではなく程度の問題になるわけですから、論点は「今後
は、それをどうやってどれぐらい守るべきか」という話になります。
法律的にも倫理的にも問題の大きい、養子論が必須になるような問題ではなく
なります。
染色体の交差と万世一系
もう少し詳しく、遺伝子が変化するメカニズムを見てみましょう。主なものは
交差と突然変異です。性染色体は2本一組になっていて、男性の性染色体の場合、
母方から受け継いだX染色体と父方から受け継いだY染色体が一対になっているこ
とは、すでにお話しました。
交差とは、対の片方であるY染色体の一部分が、相方のX染色体の同一部分と入
れ替わる現象をのことです。少し模式的に説明しますと、仮にY染色体の遺伝情報
が、"ABCDEF"でX染色体は"OPQRST"だったとします。通常は、この男性の子供
のうち男児は、"ABCDEF"を女児は"OPQRST"をそのまま受け継ぐ事になります。
けれども、もし交差がおこると、たとえば"ABCrst"のY染色体と"OPQdef"の
X染色体のセットをもった精子が発生し、もし受精して妊娠すれば、Y染色体"
ABCRST"を持った男児が生まれる事になります。言い換えれば、Y染色体の一部の
遺伝情報が、母親由来のX染色体のものと、入れ換わることになります。
その男児の系統の男性は、次の交差か突然変異が怒らない限り、全員が交差後
のY染色体"ABCRST"を受け継ぐことになります。つまり、Y染色体には、男系の
先祖のみでなく、女系から交差によってコピーされた遺伝情報も保持されている
のです。ただし、交差がおこるのは、Y染色体の両端だけですから。同時に保存さ
れるのは、最大、女性2名分のものだけで、その後さらに交差がおこれば両端のど
ちらかは上書きされてしまいます。まとめて言えば、全ての男性のY染色体は、
YCアダム氏のをベースに、歴代の父方の配偶女性のうち最大2名の遺伝子を受けて
ついでいることになります。
この記事の初めの方に、「新しい男系の生まれない中」と書きましたが、厳密
に言えば、交差がおこるたびに新しい男系は生まれるのです。だから男系は断絶
を免れたとしても、永遠に続くことはなく、交差によっていずれ別のものになっ
てしまうのです。
皇統に当てはめてみると、受け継がれているY染色体は、YCアダム氏のものをベー
スに、いずれの御代かの母君の遺伝子が、最大二人分、組み込まれているもので
す。そして、それがどなたかを特定するのは、多数の御陵を開かせていただいて、
遺伝子調査でもしない限り難しいでしょう。また、今後も交差によって書き換わ
る可能性が常にあります。
ただし、このことは男系男子論にとって致命的なものではありません。これま
で皇統の独自性を保証するものを「Y染色体全体」としていたのを、「交差のおこ
らない中心部分」に変更すれば済む事です。
交差によって皇統のY染色体は部分的に変化をした可能性はありますが、交差が
何回行われても不変な部分はあり、これが男系男子の遺伝的安定性を保証してい
ると、考えればよいのです。
突然変異という名の奇跡
もう一つ、遺伝子に変化をもたらす要因に突然変異があります。宇宙などから
やってくる放射線が主な要因ですが、卵子や精子などの生殖細胞の遺伝子が突然
書き換わるわけです。原子炉を使って、農作物に放射線を当てて新種を作り出す
研究は、大学や農業試験所などで古くから行われてきました。
けれども、これは戦場でマグレ当たりを期待して拳銃を乱射するような話で、
植物体の小さな一部である種子の、そのまた小さな一部である染色体に、放射線
が命中する確率は微々たるものです。
ましてや、自然環境下でのヒトのY染色体の突然変異となると、宇宙から細々と
やってくるX線が、精子やその元になる細胞のY染色体に当たるということで、確
率はさらに下がります。
もうひとつ大事なのは、交差がいわば「書き換え」であるとすれば、ランダム
な「落書き」みたいなものだということです。デリケートなY染色体になんらかの
影響を残して、なおかつ生殖能力を失わせないような都合のよい落書きは、よほ
どの偶然以外ではおこりません。性染色体の異常は他の遺伝よりもダイレクトに
生殖能力に影響しますから、突然変異男子が子孫を残すことは、他の染色体の場
合よりもさらにハードルが上がります。そのため、他の染色体よりも性染色体は
突然変異は見つかりにくいとされています。
皇統で考えた場合、神武以来のわずか千数百年の間に、突然変異がおこったと
は思えません。だから、この問題に関しては前提1の同一性は守られてる可能性が
高いでしょう。
YCアダム氏のY染色体が、皇統が始まるまでの最大30万年の間、突然変異をおこ
した可能性はあるでしょう。その場合、現皇統のY染色体を最初に保持した、いわ
ばYCイザナミ氏が神武以前におられたはずです。ただし、YCアダム氏と違い、全
ての日本人男性がその系統のみというわけではありません。
YCイザナミ氏は神武天皇のご本人なのか、お父上なのか、あるいは1000代前の
御先祖なのかは不明です。言い方を変えれば、YCイザナミ氏はYCアダム氏から神
武天皇までの最低でも数千世代のどこに位置するのか不明なのです。けれども、
普通に考えれば、YCイザナミ氏から神武天皇までは、少なくとも10世代程度は開
いていたはずです。とすれば、その間に、皇統以外にも同じY染色体の中心部が拡
散した可能性はかなり大きく、前提2である皇統Y染色体の独自性に疑問符がつく
ことになります。少なくとも、調査もせず、強引に独自性を主張するのは科学で
はありません。
また仮に、皇統のY染色体が他の人類とは違うユニークなものであっても、染色
体には遺伝上の空白部分が多くあります。こうした部分が突然変異をおこして、
ユニークなものに進化しても、その系統で生まれる男児の形質が他と違うという
ことは全くありません。
まとめて言えば、皇統のY染色体の遺伝子は、他の男系にも同じか、ほぼ同じも
のが存在する可能性を排除できないのです。YCアダム氏やYCイザナミ氏との間の
突然変異による差異は、間違いなく交差によるものよりも小さいでしょう。
つまり、前提2には疑問の余地が大きく、現状でどの程度成り立っているかは、
やはり遺伝子調査をしてみない限り解らないということになります。
男系養子論のむなしさ
では、「万世一系のジレンマ」を考慮しながら、今回の皇室典範改正の最大の
論点、旧皇族養子論を考えてみましょう。
何回も書きますが、旧皇族家からの男系養子が遺伝子的に意味があるのは、当
該養子の方が保持しておられるY染色体が、「現皇族の方のものと同じであり、か
つ一般男性のものと差異がある」という二つの前提が必要にになり、ここを本気
で確認するのなら遺伝子検査がどうしても必要です。
旧宮家の養子候補が天皇系とY染色体的にどの程度の近さなのかを調べて、近い
順に皇位継承権を定めるような話になるのでしょうか。万世一系を守るためとは
言え、なんとも不気味で不愉快な話です。
また、旧宮家と言っても数家しかありません。候補になる男性も多くて10数名
です。さまざまな条件がたまたま揃って、今目出度く養子縁組が成立したとして
も、それは今回限りの話です。男系というものの絶滅しやすさを考えれば、本質
的には問題の先送りでしかありません。
不敬で利己的な万世一系
そんなことをするぐらいなら、先端的な生殖技術を使う方がまだしも問題が少
ないようです。たとえば、体外受精は一般的な科学技術でも簡単ににできます。
ただし、男児が生まれるという保証はありませんから、クローン技術を使ったほ
うが良いかもしれません。生命倫理問題の例外と考えれば、おそらく今すぐでも
可能でしょう。
残された難題は、誰が産むのかということです。まず、皇后陛下ご本人なら倫
理的な問題はありませんが、それが難しい場合は女性皇族が代理母ということに
なるのでしょうか。
あるいは宮内庁職員などの一般女性からボランティアを募るのでしょうか。そ
の場合、代理母をされた方を出産後どう処遇するのでしょう。皇族として迎え入
れるとしても、その後に一般男性と結婚したり自身の子をもつことは許されない
でしょう。側室ならぬ則母というべきことになります。逆に、出産経験者の能力
を積極的に活用した場合、生まれる皇太子の兄弟姉妹をどう扱うのでしょうか。
人工子宮や動物を使えば、生む女性の人権問題は発生しませんが、こういうの
をまともな国民が納得するはずがありません。さらに過激な方向に行けば、「い
っそのことAI化してしまえ(電脳陛下?)」みたいなことになりかねません。
皇統優生学が絵に描いた餅
Y染色体の議論を突き詰めれば最終的には、「不敬」云々以前にグロテスクで極
端な人権侵害になりかねません。なんでこうなるのかと言えば、遺伝子にこだわ
るのは作物や家畜に対する態度、つまり優生学的発想だからです。
名著「利己的な遺伝子」で1980年代に一世を風靡したイギリスの進化生物学者
R.ドーキンス博士は、「生物は遺伝子の乗り物である」と議論を呼びました。け
れども、これは見かけほど過激なことでは無く、「生物の振る舞いを遺伝子側か
ら描写すると、そうも見えるよ」というだけの話だと思います。
ただし、「生物乗り物論」を具体的な人間や集団にこの思想を当てはめると、
しばしば奇妙なことになります。だから万世一系のY染色体を守ることばかりに固
執すると、皇族や皇統は「乗り物」ということになり、いろいろなところで不敬
や非常識、人権侵害が多発するわけです。
リチャード・ドーキンス、ウィキペディア(Wikipedia)、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B9
旧皇族の養子論も両陛下にしてみれば、これまでろくに面識すらなかった若者
を養子にすることを強制されるという、酷い話です。陛下がこういうのを拒否す
るのも憲法違反なのでしょうか。
ちなみに、若者の方も15歳以上ということですから、若くても高校生です。逆
に、サラリーマン経験者が皇族になるのも現実的ではありませんから年齢的な上
限もあり、高校以上の学生か、それに準じる青年から選ぶことになります。将来
の夢もあり進路について考え始める年頃。彼女と呼べる相手がいる可能性もあり
ますが、結婚どころか交際を続けることも、養子になれば難しくなるでしょう。
だいたい恋愛経験はスキャンダルの温床。「私を捨てて二重橋を渡った男」と呼
ばれるリスクは無視できません。リベンジポルノなんか出てきたら国辱ものです。
また、学生時代に恋愛も家族も、将来の夢も簡単に捨てられるのは、かなり良
い加減な人物で、どう考えても皇室不適格者です。逆に、優秀で真面目な少年が
覚悟を決めて養子になったとしても、24時間受け続けるメンタルな圧力は、歴代
の皇后陛下が経験されたものさえ比較にならないでしょう。本当に、二十歳前後
の多感な男の子が耐えられるのでしょうか。今度は真面目さが仇になりそうです。
では、旧宮家に生まれた候補の少年たちを、今から「他日を期した」帝王教育
をしておくのはどうでしょう。余計な夢は芽のうちに潰し、スカートをはいた悪
い虫の接近も排除。事実上の養子生活のはじまりです。
けれども、それまでの義務教育との齟齬が大きい上、養子縁組が成立しなかっ
た場合、全てを捨てた少年のその後の人生を、どう収拾するのでしょうか。英才
教育を受けた芸術家やアスリートの卵が、怪我などで挫折したのと同様になりま
せんか。世間の関心が大きいだけに、さらに深い傷を負ってしまうかもしれませ
ん。
なんとか養子になったとしても、言動は一般人の感覚のままですから、あまり
特殊な公務は担当しにくそうです。一挙手一投足に国民的関心が集まるわけです
から、宮内庁も当たり障りのない仕事しか割り振らないでしょう。人生を捨てて
やってきた自分の役割が遺伝子の継続ということがあからさまになり、酷い言い
方をすれば種牛扱いです。やはり遺伝子保護を第一の目的にした皇統優生学は、
必ずや不敬を伴う人権侵害がをもたらすのでしょう。だから、結局、今回の養子
縁組制度は絵に描いた餅になるように思います。こういう話は、具体的になれば
なるほど、問題が噴出するからです。
皇統というものは、本質的にはその国の文化にかかわることですから、「遺伝
的に無意味だから男系男子には意味がない」などと言うつもりはありませんが、
女性差別をはじめ人権的には蛮習と思われかねないような規定の根拠に、疑似科
学的な染色体談義を持ち出すのはやめていただきたいと思います。諸外国から文
明国としての資質を疑われ、日本人自然科学者全員の恥辱になるからです。