先日、クローゼットを整理していて、アルマーニ(昨年の9月4日に亡くなっちゃいましたね...ちょうど一周忌です)のレザージャケットを処分するかどうかで迷いました。何年も前のイタリア旅行で立ち寄ったフィレンツェで、清水の舞台から飛び降りるつもりで購入。表面にヤレが出始めていますが、古さを感じさせないデザイン。手放すには忍びない。「一生もの」のつもりだったよな・・と思い返して残すことにしたんですが、こんなふうだから、なかなか断捨離を完結できないですよね。
「一生もの」という言葉に、ある種の懐かしさを感じるのは私だけではないでしょう。その起源は特定の文献や開祖が存在する訳ではなく、昭和の高度経済成長期からバブル期(1970年代〜1980年代)にかけて、雑誌メディアや消費文化を中心に定着・広まった比較的新しい口語表現です。
1970年代に入り、『Men's Club』や『POPEYE』といった男性ファッション誌が流行。この時期あたりから「本物志向」「こだわり」「愛着を持って長く使える良品」という価値観が紹介されるようになります。高級腕時計、革靴、万年筆、海外製のレザージャケットなどを形容する文脈で、「手入れをしつつ一生付き合えるアイテム」という意味合いで広まり始めたのです。
私は、当時「POPEYE」「HotDogPress」などの雑誌を貪り読んだリアルな世代です。革ジャンやイギリス海軍配給のPコートを探して、神戸の高架下を彷徨い歩いた思い出が蘇ります...若かったなぁ。
1980年代のバブル景気の時代には。大量消費社会へのアンチテーゼというか、ハイブランドを購入する肯定口実として「高額だが品質のよいものをひとつ買って、永く使う」という消費理念が定着します。ブランド品や無垢材の家具や伝統工芸品などのキャッチコピーとして多用されました...懐かしくありませんか?
1990年代に入ると、女性誌やインテリア雑誌などのメディアに完全に定着し、新語・流行語的アプローチの現代語辞典にも、「生涯にわたって使い続ける品」として掲載されるようになります。「無印良品」なんていう言葉もこの時期ではないでしょうか。
「一生もの」がなぜ好まれるようになったかは、自己正当化、納得感ではないかと。高価な買い物をする際に、「一時の贅沢ではなく、一生使える投資」だと自身に思い込ませるツールとして機能するからです。
2000年代になって、さらにインターネットの普及拡大とともに消費の動向が変化して、Yahooオークションやメルカリなどに出品され、「一生もの」はリセール(二次流通)されていきます。近年、中古市場の成長スピードは、一次流通(新品市場)を大きく上回っているそうです。「良いものを大切にして長く使う」「飽きたら売る」という循環型の考え方が当たり前になりつつあります。
さらに、「一生ものを大切に培っていく」という思想はさらに物だけに止まらず拡大していきます。「どこに行き、誰と過ごすかの旅」「コンサートや美術鑑賞」「かけがえのない髪や肌などの素材を整える美容」など「五感を刺激し、感性を養う」のコト消費へと広がっていくのです。
昨今、スマホやタブレットさえあればいい。自動車免許も要らない、海外旅行も行きたくないという若者が増えているとよく耳にします。実際に肌で感じ、味わうリアルな体験を拒絶するなんてまったく理解に苦しみます。若き日に、そこから得られる貴重な経験は何者にも代え難く、その後の人生を大きく左右することは間違いありません。若者が何にお金を使うかは、時代と共にさらに変化し続けていくのでしょうが、この方程式が変わることはありませんよね。
あなたの一生ものって何ですか?