ロゴの魔法が解けた日

 最近は健康のため、車をやめて電車で通っている。車内であの茶色のLVのモノグラムを見かけることがすっかり少なくなったなぁと。かつては猫も杓子も手にしていて、バブル期の日本人観光客がパリの本店を「買い尽くす」なんてニュースが本気で流れていた時代がありました。時代の移り変わりは面白い。いまのZ世代にしてみれば、教科書に書かれた遠い昔の伝説のように聞こえるのかもしれない。

 いわゆる「ブランド離れ」というやつですが、人々がファッションそのものに飽きてしまったわけではないはずです。毎月、目を通すファッション誌の『Precious』や『LEON』を開けば今も豪華な広告が巻頭から誌面を飾っているし、セール期の旗艦店やユニクロ、ZARAの店頭には相変わらずの行列ができる。ただ、その熱狂の「ベクトル」が、あきらかに変わったのだと。

 そもそもファッションの「流行」とは誰が作っているのか。調べてみると、毎年発表される世界のトレンドカラーは、なんと2年も前に「インターカラー(国際流行色協会)」といういささか大層な組織の議論によって決められているのだというではないですか。パリコレで活躍するカリスマデザイナーの気まぐれではなく、社会情勢や人々の気分を織り込んだカラーパレットが作られ、糸が紡がれ、世界中の店舗へ運ばれていく。そんな巨大なシステムが時間をかけて動いている。

 ところが今の消費者は、そんな「作り出されたストーリー」や「ロゴの威光」に対して、昔 ほど素直にお金を払わなくなった。

 その背景には、ZARAやユニクロのような『メガリテール』と呼ばれるメーカーが仕掛けるネット販売を含め、実店舗での販売の目覚ましい進化があるようです。今や「ちょっと今っぽいシルエット」なら、近所のユニクロやGUで十分に手に入る。「ワンシーズン楽しめればOK」という割り切りと、「これで十分いいじゃない」という潔い妥協が、ブランド品をわざわざ選ぶ理由をそっと押し流してしまう。

 もう一つは、「見栄」のあり方の変化でしょう。昭和や平成の初期、ブランドバッグは自身のステータスや経済力を誇示する最高のアピールツールだったが、SNSが日常になったいま、その人の魅力は「何を持っているか」ではなく「どう着こなすか」、あるいは「どんな体験をしているか」で測られる。「巨大なロゴで自分を大きく見せる」こと自体が、ダサく映る時代になったのだ。富裕層の間でさえ、ロゴを隠した上質な日常着を好む「クワイエット・ラグジュアリー」が定着していると。

 可処分所得の使い道が「モノ」から「コト」へ、そして「自分磨き」へと移ったことも大きい。高価な服を一枚買うくらいなら、最新のガジェットを手に入れ、サブスクで映画を観て、推しのライブへ足を運び、あるいはスキンケアや美容に投資して素の自分を整えたい。

 先日、ユニクロの店頭で「集英社創業100周年UT」の棚を眺めながら、そんな地殻変動を改めて実感した。『呪術廻戦』や『SPY×FAMILY』などたくさんのキャラクターが印刷されたTシャツが並ぶ風景は、AIによるデータ分析とSNSの熱量を瞬時に商品化する、現代の極めて効率的なエコシステムそのものだ。2年前に色を決めるような「産業としての巨大な羅針盤」は無駄を出さないために機能しつつも、人々がそれをそのまま鵜呑みにする時代は終わったと実感させられる。

 ブランドという「名前」の魔法が解けた今、服は「皆と同じものを着て安心するための鎧」から、「自分の生き方や美意識を静かに表現するツール」へと姿を変えた。私たちはもう、誰かが決めた「記号」を身に纏うのではなく、自分だけの物語を着て生きているのだと思う。