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2005年10月 アーカイブ

2005年10月15日

葡萄漬けな日々

10月15日

明日は試験。
そして、明日でこの日記を書き始めてから2年になる。

昨日の夜にひどい夢を見た。
私はある人とキャッチボールをしている。
私自身はキャッチボールをすることでお互いの感覚が通じ合っていることを確かめ合いたいため相手のお兄さんに向かってまっすぐのボールを投げる。
ところが、相手のお兄さんは私に向かってまっすぐのボールを投げてはくれない。
時には頭の上よりもはるかに高い場所に、時には完全にあさっての方向に。
その度に走ってボールを取りに行くのだけれども、繰り返し繰り返し走りつづけているうちに少しずつ疲弊していく。
しかし、相手のお兄さんは取れそうもないボールでも取って投げ返すことが愛情と信頼の証であると考えているようだった。まっすぐのボールを投げるのではなくて、取れそうもないボールを投げること。それは相手のお兄さんの内部にある不安から生じていて、何かを試そうとし、また何かを守ろうとしているのだろうと思った。
それでも私は走りつづけてボールを取り続けようと思ったけれど、最後に左の足首を捻挫してしまい、その場で「お願い、私は普通にキャッチボールをしてお互いの感覚が通じ合っていることを確認したかっただけなのに!!!」と絶叫したところで目が覚めた。

何だか疲れている。
でも、少しだけ休息を取ったらまた歩き出そうと思う。
やりたい事も、やらなくてはいけないこともたくさんあるのだから。。。


10月12日

健康診断に行って来たら、右目の視力が0.5まで大幅に下がっていることを知ってしまい大ショーック。
鬱の状態もひどかったのでそのまま寝込んでしまう。


10月10日

合宿の3日目。
合気道三昧の日々も今日が最後。
早朝の練習では、軽く呼吸法をした後に片手取り・後ろ両手取り・横面打ちの入身投げを行う。
朝から体術を思い切り行うと、けっこうハードだ。

最後の午前の練習では、杖のお稽古をする。
「一の杖」「二の杖」「植芝先生の和歌山の杖」の順番に、ひたすら振る。
杖を振っていくうちに、トランス状態になっていくくらいに振るのがよい。
たくさん振っていくうちに、杖が単なる木でできた長い棒ではなく、意志をもった生き物のように思えることがある。そんな風に思える時が、一番杖がいい感じに振ることができているような気がする。

そして最後の昼食でカレーを食べた後、お部屋でこの3日間で行った、太刀取りや二人掛け技の復習をして帰りのバスが来るまでの時間潰しをする。
昼食の時に体力の限界を越えていたせいか、昼食でカレーを食べる前に立ちくらみを起こして倒れてしまった。なので帰りのバスの中ではずっと寝てしまっていた。


10月9日

合宿の2日目。

早朝の練習では、響きを重視した呼吸法の後に、1日目にもあった片手取り呼吸投げのようなものを4通り行う技を行ったあと、一教のくるくる回る動きを行う。
「調和」ということが大切なのでしょうかねえ、と個人的には思う。

午前の練習は、最初に相半身の入身投げと一教、横面打ちの一教などの体術を少し行ってから、青竹斬りと木剣の横面打ちの動きの1番から3番までを行う。
青竹斬り、というのは1メートルほど離して設置したそれぞれの机の端に茶碗を置いて、その間に青竹を渡してその青竹を木剣で斬ってみる、ということである。
去年の多田塾合宿で、青竹斬りの極意を悟ったような気がしたけれども、今回も青竹を斬ってみたらちゃんと切れた。女子用の細い竹だったけれど。

午後の練習は、足捌きの6番から14番までを行った後、軽く相半身片手取りの入り身投げなどして、その後に太刀取りの練習を行う。
太刀取りは、講習会などでけっこうな回数を行っているはずだからそろそろ慣れても良いはずだけど、まだ何となく慣れない。
午後の練習の後は、懇親会。
フィリピン在住のJさんといろいろと話をした後、調子に乗って注がれたビールをかぱかぱと飲み干していたら随分と酔いが回ってきてしまった。
以前ならビール程度のアルコール度数のお酒ではほとんど酔うということがなかった。
でも、少し弱くなってしまっているのかな。


10月8日

多田塾合宿の一日目。
精神状態はあんまりよくない。
でも、5時30分に起きて荷物を詰めて、7時30分に高田馬場のBIGBOXに集合する。
これから3日間は合気道ずくめの生活になるということだ。
行きのバスが到着するまでの間、暫しの間待つ。
30分ほど待つとバスがやって来たので、荷物を詰めて群馬県の山奥まで出発する。
3連休の初日だったけれど、小雨が降っていたので道路は空いていて、3時間半ほどで宿まで到着する。
途中のパーキングエリアでまりりんたんのお土産用に、舞茸キティのストラップをあらかじめ探しておく。
去年に比べて、群馬・新潟・埼玉方面のご当地キティのラインナップが大きく変わってきていろいろとかわいいデザインのものが揃っている。
特に、ドレスを着た「西武園ゆうえんち」のキティや、トキのかぶりものをしてくちばしをつけて箱に入った「佐渡トキキティ」などがかわいい。今度はこの2つのどちらかを買ってこよう。
12時少し前に宿に到着したため、午後のお稽古が始まるまで特にすることもないので、お部屋でまったりとする。
しかし、着替える段階になって道着の下に着るシャツを忘れてきたことに気づいてしまい、蒼ざめる。
内田先生のお誕生日祝いに持ってきた天狗舞の瓶はちゃんと入れてきたのに。。。
でもまっすーは帯を入れ忘れていたので、もっと蒼ざめていた。

最初の午後のお稽古は、呼吸法と足捌きの1番から5番までにかなりの時間を割いて行った後、片手取り呼吸投げのようなものを4通り行う技をしたり、その他片手取りの入身投げ、片手取りの転換してからの入身投げ、入身か転換をして相手の背後に回ってから落とす技などを行う。
2時間ほど体術を行ってから倍音声明を行う。
今回は、道場の中央に170人の人間で4重の円を作ったのだけれども、真ん中の位置の内田先生の隣を確保したため、女性のソプラノのような音、あるいはパイプオルガンの音色のような音がいろいろと聞こえてきたかも。

食事の後に多田先生のお話。
合気道は百人百様であること、本部道場には教えることを生業としている師範が存在するが合気道そのものを研究している人はいないこと、その時代時代のの社会に役立つ人間を育成する「心学の道」と、世界の真理や命の源につながる方法を探究する「心法の道」が存在するということ、かつて植芝先生が「私は神道的表現で説明するが、君たちは君たちの方法でそれぞれの時代に合った説明をしなさい」と語ったこと、命の力の高め方と命の力の使い方を追及したものが合気道であること、などを仰られる。
その後は多田先生の非常にすばやい動きの過去の演武会のビデオを見る。


10月2日

他にたくさんやらなくてはいけない事があるけれども、ついついとネットを見てしまう。
「Avexのま猫騒動」や「元Tarzan編集長のブログ大炎上」「エアロバキバキ君騒動」など、金曜日の夜から今日にかけていろいろとネット上で事件が発生している。
それらのログを見ているだけで随分と時間を取られてしまった。
とはいえ、試験勉強も進んでいないし他にやらなくてはいけないことがいろいろ存在するのですが。。。


9月30日

最近妙に調子悪いなあと思っていたけれど、今日は遂に空けてはいけない精神の暗黒面の扉が空けっ放しになっているようで、様々な邪念が脳内の中に流れ出してきてしまう。
非常に具合がよろしくない。
しかし、同時に何か悪しき物が断末魔を上げながら倒れていっている気配がする、そんな予感もする。

追記:今日は内田先生の55歳のお誕生日でした。おめでとうございます☆


9月25日

本部道場で多田塾研修会の日。

少し話が脱線してしまうけれど、先週焼き肉に行った際にまりりんたんに「武道関連の話は興味が無いのでつまらない」と言われてしまった。しかし、タイトルにこういう名前がついているので武道関連の話が全く無いというのも妙な話で。
中島らものエッセイの中に、「町で偶然『喫茶なかじま』というお店を見つけて、苗字が自分と同じだということもあってふらりと入ってコーヒーでも頼もうかな、と思ったけれど中に入ってみると客がカウンターに並んでうどんをすすっていた。『きつねうどん一丁!』と注文する勇ましいOLもいた。そこでコーヒーを注文してみたけれど、肩身が狭かった」というような内容の文章があった。関西にはそういう看板と中身が違っている喫茶店がけっこうあるらしいけれど、わたくしはタイトルに「Q伝ミカのOL武芸帳」というタイトルがついているのに情報空間上の最新学説やブログ炎上や本日のおかずなどしか書かれていないブログになっているという、まだそこまでの勇気はない。

ていうことで研修会の話に戻してしまいます。
本部道場で正座をしていた内田先生にご挨拶をして、暫しの間柔軟体操などをしているとK錬会の人々がわらわらと集まってくる。
この日行ったことを箇条書きにすると以下のとおり。
・呼吸法
・足捌き
・二人掛け
・太刀取り
呼吸法と足捌きは両方とも1時間ずつ時間をかけて入念に行う。
特に、足捌きの方は、継いで送る足と一歩出してから継いで送る足を厳密に区別するようにリニューアルされたため、ちょっと分かりにくい。
でも、長年やってきている人間にも初心の「分からないかも」という感覚を追体験させるのが多田先生の目的なのかなあと思う。
二人掛けと太刀取りは、前回の本部道場主催の研修会の時に比べると大分ましではあるけれども、やはり人数が多いのでちょっと狭い。しかも二人掛けの表と裏の区別がよくわからない。
ああ、でも今この文章を書いていて二人掛けの表と裏のかけ方が脳内に閃いた。
何でその場で分からなかったのだろうと思うとちょっと悔しい。

2005年10月30日

映画秘宝十周年の夜

10月27日

そういえば最近日記をまともに書いてない。
多くの本を読んでインプットの量を多くすると、こうして文章を書いてアウトプットをする量が明らかに減ってしまう。
しかし、世の中には内田先生を初めとして尋常ではない量の本を読むのと同時に尋常ではない量の文章を書くブロガーの人々は数多く存在するのだから、やはり時間の使い方をある程度改善したほうがいいのかなあと思う。

10月23日

久しぶりに何も予定が入っていない日曜日。
なのでひたすら本などを読んで過ごす。
「街場のアメリカ論」もさくさくと読み終える。
ほんの少し昔なら、このような書き方をしたアメリカ論に対して激しい怒りを覚えた人も多くいただろう。
もちろん、現在でも表面上には表さないけれどもふつふつと激しい怒りを覚えている人は少なくないと推測される。
しかし戦後60年が経過し、さらにブッシュ政権下で9.11事件→アフガン侵攻→イラク戦争→ハリケーン「カトリーナ」「リタ」の対応の失敗というアメリカの「暗部」や「弱さ」が露呈する事件が連続して発生する中で日本にかけられた「従者の呪い」というのも少しずつ解けているといった印象を受ける。
これからの10年間は、日本はアメリカと中国の2つの超大国の間のパワーゲームに翻弄されることが確実である。というより、既にこの2か国間の間の綱引きは開始されてしまっている。
そのような中で日本の外交は大きな変化を迫られており、アメリカに対してもとりあえず追従しておけばよいという訳にはいかなくなり、中国あるいは韓国に対してもとりあえず謝罪しておけばよいという訳にはいかなくなっている。
そのような状況下で、「街場のアメリカ論」を初め多くの「反中国本」「反韓国本」「反アメリカ本」は読まれているのではないかと思った。

10月19日

片山さつき代議士や佐藤ゆかり代議士などのいわゆる「女性刺客」と呼ばれる人々をTVで見ていて、ずっと心の中に微妙な違和感があったけれどその正体がはっきりした。
社会的地位・お金・他者の承認などの獲得を目指してひたすらに突き進む人々は、社会的地位・お金・承認を与えることのできる立場の人間によっていいように操られるということだ。
人々が羨むような社会的地位を与えられ、高賃金を獲得し、美しく整形し高価なブランド物を身に纏って華々しくメディアに登場したとしても、やはり所詮は「駒」の役割でしかなく「盤上の駒を動かす人間」の都合でいくらでもいいように動かされたり、取り替えられたりするのだという事実が透けて見えてしまう。
官僚の世界や、外資系の金融屋の世界、あるいは学問の世界でサクセスしたいと考えている女子はそれこそ星の数のように大勢存在するが、冒頭に挙げた女性刺客の人々をロールモデルとして自己形成に励む女子はどれほど存在するのか?と考えると微妙だ。
「財務官僚として活躍し、高い地位を得たい」「外資系金融機関で働いて、エコノミストとして評判を得たい」と人々が思うことと、「片山さつきのようになりたい」または「佐藤ゆかりのようになりたい」と人々が思うことが等価になっていない。おそらくそれがキャリアの構築を目指して邁進する女性たちが直面する歪みの現れになっている。

でも、こんなことを書いていても社会的地位・お金・他者の承認などの獲得を放棄して達観できるほどまだ人間ができていない。
とりあえず冬物のお洋服がほしいなあ。

10月16日

予想通り?試験がボロボロだったので、過去は振り返らないことにする。
少しおうちで休息を取ってから、新宿ロフトプラスワンに行って、映画秘宝10周年記念祭を少しだけのぞいてみる。
ほぼ満員状態だったので隅っこの席に大人しく座って、ロシアで製作されたというイッセー尾形主演の昭和天皇の自伝映画や、フィリピンやインドの女性主人公のアクション映画の映像を見る。
周りを見回すと、おそらく今まで新宿ロフトプラスワンに行った中で一番客層が怪しい。
「映画だけに人生の情熱を注いできたんだなあ」ということが外見からも見受けられる人がたくさんいる。

町山氏と柳下氏が司会や映像の解説をしながら、いろいろなゲストが入れ替わり立ち替わり登場してきて話をしたり、映像を流したりしていたけれど、自分の脳内で作成した「スターウォーズエピソード3_シスの復讐」のストーリーを延々と解説する人や、角川春樹が別荘でUFOを呼ぼうとしていた話や、知り合いの人が心筋梗塞で病院に運ばれるまでに2度心停止した際の凄まじい体験談や、コンビニエンスストアを開店したら精神的にアレな人々ばかりが来店して大変な事になったという話などをする人などが登場して、何だか物凄いことになった。
ふと、入場したのが8時半過ぎで時計を見るともう11時を回っているのに、対談が全く終わる気配が見られないので近くにいた係の人に「今日の催し物は何時に終わるのですか???」と聞いてみたところ、「今日は、allです。朝までやります。」という答えが返ってきたので、明日も仕事があるわたくしはびっくりしてそのまま帰ることにした。とにかく凄かった。

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