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2005年06月 アーカイブ

2005年06月02日

演武とベリーダンス

6月1日

暫くだらだらとして日記が書けないでいるうちに、もう6月になってしまっている。
うわあ。

5月30日

少し気を抜いているうちに日記を更新できないでいた。
特にひどく体調を崩していたわけではないけれども、この2週間くらいひどく眠い。
あまりにも眠たくて業務中にも意識が飛んでしまうことがあったので、カフェイン錠剤を常用しているようにしているが、それでもぎりぎりお仕事中は起きていられるけれども家に帰って日記なんてとても書けないよ。という状態が続いている。
そういえばお仕事を始めてから3年が経過した。
わたくしの抱えていた懸案事項2つも、一応の区切りがついた。
自分の周囲を取り巻くコンステレーションは大きく変化する兆しを見せている。
暫しの間わたくしの状態が落ち着きを取り戻している、ということで身体が積年の疲労を回復しようとしているのだろう。
そういえば、身体の老廃物が「まるで脱皮でもするのかしらん」と思ってしまうほどに落ちている。これもまたわたくし自身が大きく変化して成長することの予兆なのだろう。

5月29日

今日は五月祭の日。
とはいっても今回わたくしの出番は無いので、きちんと睡眠をとってきちんと朝食を作ってそれからちょっとだけブログをチェックしてから出かける。
あまりにも余裕をかましていたので微妙に遅刻してしまった。
わたくしが七徳堂に到着したときには、1年生の稽古風景の演武が既に始まってしまっていた。
身内だけれど、前のほうに座って現役のみなさまの演武を眺める。
正直言って、わたくしが現役のときよりはるかに演武のレベルが上がっている。
特に3年生以上の技術の向上は目を見張るものがある。
「はー。」と思って周りを見回すと、最初は身内の人々くらいしかいなくて客席も半分以上空いていたのに、いつのまにか客席は満席になっていて、多田塾の偉大な先達の方々の姿も複数見受けられる。そんな感じなのでOBのみなさまも昨日とは異なり独特の緊張感を漂わせながらの演武となっている。
I藤くんの、恵まれた体格と綿密に鍛え上げられた高度な技術が融合した主将演武に「凄いなあ」と感嘆した後に、多田先生の演武が始まる。
最近ではほぼ恒例となった「『合気道を始めた』と言われるとご家族の方が何か宗教と関係あるのではないか、と心配される方も多いのですが、宗教や右翼とは関係ありませんのでご安心下さい」という冒頭のお言葉について、というかこういうことを多田先生に言わせてしまう世間の風潮についていろいろと考えてしまうことがあるけれども、これについてはまた時間のあるときに改めて書くことにしようと思う。
演武会が一通り終わった後に池袋のジュンク堂に行って、加藤典洋氏の「僕が批評家になったわけ」を探すことにする。
最近とっても金遣いが荒くてお財布の中身が少なかったので、内田先生がどうして長いことブレイクすることが無かったのかということについての答えだけ立ち読みしようと思ったけれど、一通り読んでみていろいろ思うことがあったので買って帰ることにした。

5月28日

今日は全日本合気道演武大会の日。
身体の調子があまりよろしくなかったので、「どうしようかな、今日は演武はしないで見学だけすることにしようかな。」と思った。
4時に目が覚めて、少し具合がよろしくなかったので6時ごろに2度寝をして再び起きた時には8時近くになってしまっていたので、急いで駒場に向かう。
1時間ほどお稽古をして、それから地下鉄で九段下まで向かう。
随分と人が多い。
九段下のマクドナルドで昼食を購入して、それから武道館の観客席を確保して食事をとる。
何となくぼーっとしているうちに演武会が始まる。
今年は開会の挨拶に海部元首相はいたけれど、亀井静香はいなかった。
3年生の人々と神戸女学院の人々の演武を見た後、ぼーっとして、それから着替えて、多田塾甲南合気道会の人々の演武を見て、自分の演武の出番を待つ。
緊張するというよりは、とにかく眠い。
そして自分の演武はあっという間に終わる。
つつがなく終わったようでもあり、見る人が見ればそうではなくお稽古不足が露呈しているのかもしれない。
自分の演武が終わった後は多田先生を始めとする師範演武を眺めて、素直に感嘆したりいろいろなことを考えたりする。
演武会が終わった後は、武道館の正面で多田塾門下の人々と記念写真を撮影する。
その後は九段会館の屋上にあるビアガーデンに移動して、恒例の打ち上げ。
左隣に座っていた、昨年夜行バスで内田先生のゼミに通っていたというG藤さんと、いろいろブログには載せられなかった話のうち飲み会では何とか話せる話をしているうちに、あああっという間に時間が経過してしまった。
この後は、激しく睡魔が襲ってきたのでささっと帰って寝る。

5月22日

お友達とメールで「最近下腹が出てきたので、毎日腹筋をしているのだけれどもあんまり効果が無いかも」「お腹を引っ込めるには腸を動かす運動のほうが効果があるらしい」ということをやりとりしていたうちにいつのまにかベリーダンスの体験講習に参加することになってしまっていた。
でも面白そうなので行ってみることにした。
ということで、13:45に六本木のアマンドで待ち合わせ。
ホームページに載っていた地図がわかりにくかったので、ダンススタジオを探すのにちょっと手間取る。
わたくしはジャージに着替えて、レッスンが始まるまで暫しの間待つ。
そしてベリーダンスのレッスンを開始。
最初にストレッチをしたのだけれども、これが腰や胸部の動きを非常に細かく割っていくものであり、最近運動不足だったわたくしには相当きつい。
「はい、体の他の部分は動かさないで、腰だけ水平に8の字に動いてくださいー。」「では、体の他の部分は動かさないで、胸の部分だけ前に押し出してくださいー。」「ちょっと難しいですが、正座して後ろに体を倒した後、ももの筋肉だけを使って体を起こしてくださいー。」などと、次々と難しい要求が出てくるので、5分くらいストレッチをしていると身体中から汗が吹き出てきた。
しかも、周りを何となく見回してみると、インストラクターの方を初めとして講習を定期的に受けている方々は非常に腰周りがほっそりとした人ばかりなので、非常にブルーになる。
しかし、前半の過酷なストレッチが終わって後半に薄いベールを翻しながら振り付けを踊る段階になると、そこそこに楽しくなった。
時間とお金に余裕があれば、そこそこに楽しそうだしお腹の周りの肉を除去するのに非常に効果がありそうだなと思った。
ベリーダンスのレッスンが終わった後は、近くのカラオケ屋で2時間ほど歌ってそれから鉄板焼きのお店に移動して激しくガン飲みを行い、最後に六本木のアマンドの2階でケーキを食べながらいろいろと語る。
ブラジャーの話がどうとか、知り合いの元スポーツ記者の人からものすごいお誘いを受けている、ということの他にも、まりりん様とまーべらす様から最近の恋愛状況についていろいろと聞いた。

5月20日

人の性格や習慣がお洋服を着替えるように簡単に変えられるのあれば、人生はそんなに難しくない。それらを変えるためには、いも虫がさなぎの時期を経てから蝶になるのと同じように少しの時間と大きな労力を要する。
今日はそんなことを思った。
さあ寝ることしようかな。

2005年06月21日

驚愕の数値

6月21日

漫然と毎日を過ごしているうちに、いつのまにか夏至を迎えてしまっている。
季節が少しずつ熱気を帯びていくにつれて、わたくしの絶望で凍り付いていたかのように見えた心境にも変化が生じている。
少しだけでも良いから、前に進むことが出来ればよいのに。
そんなことを切実に願う、

6月19日

今までも諸般の事情によりブログの執筆が3週間ほど途切れてしまったことは数回あったけれど、今回は特にひどい状況になっていた。
まず体力的に、今週の初めに朝起きたら布団が血まみれになっていたという事態が発生して、そのあたりの関係で重度の貧血の症状が出て大層ひどいことになっていたというのに、こういう時に限って仕事が大量にあって、7月の半ばまで毎日休まず2~3時間は残業しないと終わらせることができないという、とんでもない状況になっていた。
その他、恒例のごとく身体の調子がおかしいとか、現在ブログ上には書けない事態が勃発中とか、さらにブログ上には書けない事態に関連してわたくしの偏頭痛を激しく痛くさせるするような出来事が発生しているとか、いろいろなことがミルフィーユ並みに積み重なってしまい、マシンと向かい合っても人様のブログを眺めるだけで自分のブログのテキストは一文字も書けない。そんな状況が3週間ほど続いてしまっている。
ブログを開始してから、ここまで何も書かないで毎日を過ごしていたことはない。
書きたいことは大量にあるけれども、それらは情報の断片として脳内をぐるぐる回るばかりで文章として実体化してくれない。

そして今日も本部道場の多田塾研修会を休んでぼーっと一日を過ごしている。
疲労とは違う何かのせいで、碌に動くことすら出来ない。

6月11日

今日は某サークルで毎年恒例になっている多田先生との「顔合わせ会」があったので、吉祥寺に行ってきた。
その後に、新宿のロフトプラスワンでビール党党大会のイベント。
いろいろなことが起こったので、本来ならこれらのイベントの詳細について書くべきなんだろうけれども、今はまだ書けそうにもない。

6月9日

一時期のようにカフェイン錠剤を1日2回2錠ずつ服用しなければ眠くてお仕事にならないという状態は何とか脱したけれども、まだ最近だるくて仕様がない。
加藤典洋氏の「僕が批評家になった訳」を読んでから、物書きに専念できないそこら辺の人間であっても極力文章をきちんと書いていこうと決心したけれども、その決意は早くも覆されてしまったような感じ。

6月8日

お仕事から帰ってきて、少しの間ぼーっとしてテレビをつけたら、「トリビアの泉」をやっていなかったので別のチャンネルに切り替えたら、W杯日本対北朝鮮戦をやっていたので、そのまま見た。後半の半分過ぎから見たので柳沢選手のゴールは見ることが出来なかったけれども、大黒選手のゴールと、北朝鮮の選手が田中選手に背後から蹴りを入れてレッドカードを出されたところは見た。
わたくしはあんまりきちんとサッカーを見ているわけではなかったけれども、日本代表がいつのまにか非常に強いチームになっていることに気がついた。
「黄金の中盤」と呼ばれている中田英寿・小野伸二・中村俊輔・稲本潤一の4人のうち3人を欠いてもチームが正常に機能し、試合中に選手間のパスがちゃんと通る。シュートの本数も多い。
もっと、日本国内のチームにいてまだあまりスポットライトの当たっていない人や、無断でキャバクラに打ち上げに行った後に干されてしまった人などを活用していけば、さらにもっと強いチームになるのではないか、と、そんなことを思った。

6月6日

今日は棒茄子ももうすぐ収穫できるし、最近ということなのでお仕事が終わった後にブラジャーを買いに行くことにした。
お店に入っていろいろ物色していると、気に入ったのが1つあったのでお店の人に頼んで試着してみることにする。
しかし、この時お店の人が「……。お客様はFカップよりももっと大きいのではないかと思いますよ」と言っていたが、そんなのは気にせず試着室に突入した。
でも、当然の結果なのかもしれないけれどアンダーバストの部分が妙にきつくてホックがしまらない。
なので、お店の人にアンダーバストの部分が妙にきついので、アンダーバストが5cm大きいものを再度試着したいという由を伝えると、「……。お客様はFカップよりももっと大きいのではないかと思いますよ。ここのメーカーの商品はアンダーバストの部分がきつく作ってあるのですが、それ以外にもお客様のサイズが大きいのではないでしょうか。アンダーバストを測定しましょうか???」と言われた。なので言外に太いといわれているようで、ちょっと「むかっ」としたけれども、そこは何とかスルーして、「では計ってください。お願いします。」と言ってみた。
そうして計ってもらった結果、アンダーバストの数値が○○cmだったので脳天を背後から鈍器で殴られたような非常に強いショックを受けたのだけれども、「……。この際、ついでなのでバストトップの数値も計ってください」と頼み込んで図ってもらったら、△△cmだった。
あまりの衝撃に呆然としてしまい、お店の人の「……ということで、お客様に合うサイズの商品はうちにはちょっと置いていないですね、ごめんなさい」という言葉もあんまり耳に入らず、そのままとぼとぼと家に帰った。
しかし、おうちに帰ってから以前に買ってあってほとんど着ていないとてもかわいい下着を再度試着してみると、アンダーバストが70cmになっているものでも一応入ることは入るので何だか微妙にむかつくのであった。

注:
○○cm・・・普通よりちょっと細めの人のバストの値と同じくらいの数値。
△△cm・・・正に「驚愕の数値」としか言いようのない数値。

6月3日

結局のところ、もう少しの間わたくしを取り巻く環境は変わらないことになった。
しかし、知らない場所に行って初対面の人に会って質問攻めにあって自分のことを査定される。
このことは何度経験してもなかなか慣れるものではない。
慣れておいたほうが世の中をうまく泳ぎまわっていくことができるのだろうけれど。

6月2日

さて、これからは少しづつでもきちんと日記を書いていこうと決心した矢先に、日記が書き続けられなくなるかもしれない事態が発生してしまった。
もしこの話が決定したら、勤務地が変わって通勤時間も長くなる。
あまり職場で自由にネットを見られなくもなる。
でも、所詮は雇われの身であるから、自らの意思でどこで、どんな環境で、どんな人間と仕事をしたいかなんてことを自由に選ぶことが出来ない。

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