阿鼻叫喚時代
7月31日
今日はちゃんとお稽古に間に合うように早起きしようと思っていたのだけれども、いろいろとバタバタしているうちに時間がかかってしまい、駒場に着いてみたら呼吸法に間に合わなかった。
ちょっと鬱。
しかも急いでいたら今日渡そうと思っていたものを家に置いてきてしまった。
さらに鬱のレベルが上がる。
そして1時間ほどお稽古した後、今日は月例演武会なので練習不足なのに現役生のみなさまの前で演武をしなくてはいけないということを知った。(しかも直前に組み分けをしたらメンツが凄まじい方に入ってしまった。)
鬱の泥沼に落ち込んでしまう。
一応練習不足が露呈しないように演武したけれども、あまり今日のビデオを見たくないような気がする。
練習の後に渋谷ブックファーストで最近近鉄バッファローズの買収に名乗りを挙げた堀江貴文氏の著書「100億稼ぐ仕事術」を買って、その後ドンキホーテと東急ハンズとロフトで花火セットを見て回る。ドンキホーテと東急ハンズにはかなり大量に花火が売ってあったので買うのは来週でも大丈夫かなあ。
「100億稼ぐ仕事術」のレビューはちょっと時間がないのでまた明日にでも。
7月30日
この2週間くらい仕事が忙しかったので日記を書く暇があまりなかった。
この日記は一応「日記」とは名乗っているけれども、本当はある程度まとまった時間があるときにまとめ書きをしているので仕事が忙しくて帰るのが夜9時過ぎになっていたり休日に疲れが出てぼーっとしていたりすると文章が書けないのできちんと1週間に1回の頻度で更新できなくなってしまう。
ずっと更新できないでいると旧ページの掲示版にいろいろと書き込みが増えてくるので文章を書かないでいる自分のことを後ろめたく思えてくる。
でも仕事のほうも大きな山を1つ越えたことだしこれからはちゃんと日記を書いていこうと思う。普通の勤め人の人に比べれば時間的には余裕があるのだし。
7月28日
今日もお仕事を一時抜け出して歯の治療。
今年の夏はどうやら仕事と9本ある歯の治療(と哲学)に明け暮れそうだ。
ちょっと悲しいかも。
虫歯が見た目よりも進行していたらしく、40分くらいかけてひたすら削りその後丁寧に仕上げをする。
家に帰ってから治療箇所の仕上がり具合を確認すると神レベルで全くそこが虫歯だった痕跡が残っていなかったのでちょっと感動した。
これからはきちんと丁寧に歯みがきしなければいけない。
7月27日
中島らもが脳挫傷により死去。って聞いてびっくり。
先日のニュースで「階段から落ちて重傷」と聞いたときには窪塚洋介よりははるかに軽傷のような印象だったのに。
わたくしは高校の時の部活の友達が持っていたのを借りて読んでおもしろかったので「僕に踏まれた街と僕が踏まれた街」を持っていたのだけれども、底抜けの明るさと底なしの鬱の暗さが奇妙に同居した文章だった。
この人もきっとひどい躁鬱病を患っていたのだろう。
中島らもはお笑い系の文章に天才的な才能があったのだけれど「僕に踏まれた街と僕が踏まれた街」の中には、鬱状態の時に仕事でギャグ系の文章を書かなくてはいけないときにお酒を飲んで無理やりほがらかな気分を作り出して文章を書いていたという。そしてそういうことの積み重ねによってアルコール中毒が悪化していったという。
こういう結果になると才能があったことが果たして幸福だったのかどうかがわからなくなってくる。小耳にはさんだ話では「今夜、すべてのバーで」で吉川英治文学賞を獲得し、直木賞に2回ノミネートされたあたりからアルコール中毒は悪化し、大麻にまで手を出すことになってしまったという。「今度は直木賞」という周囲からの期待が重荷になっていた、ということなのだろうか。
とりあえず向こう側の世界で心置きなく休息を取ってほしいと思う。
7月26日
おめでとう、自分。
とはいっても今日は夜の9時近くまでずっと仕事。
7月25日
疲労が蓄積しているので寝たり起きたり水風呂に浸かったりして一日を過ごす。
腰周りのあたりと太ももの近辺に大量のセルライトが付着しているので何とかしてこれを落としたいなあとは切実に願っているのだけれども、落ちない。
最近ジーンズのウエストの部分が妙にきつきつになっているので細くしないといけないのになあ。
7月24日
今月はちょっと金遣いが荒かったらしい。
通帳の残高から判断すると、普段の月より1万円くらい余分に使ってしまっている。
蟹のせいなのか???それとも本をいろいろと買いすぎたせいなのだろうか。
まあこんなことをうだうだ書き連ねていても天から100万円が降ってくるわけでもないし、きちんと真っ当に働いて節約することにしよう。
でも自分の自由に使用できるお金がもっといろいろ本を買いたい。
7月22日
時々物事は人々のルサンマチンによって駆動されているのではないかと思うことがある。きのうの日付で書いた「大学」のことについて考えてみると、日本国内に戦後あれだけ大量の大学が設立されたのも、自分は経済的な理由で大学に行けなかったので子供には何とかして大学を出てもらいたいと渇望したおじさんが大量に存在したからではないかと思う。
同じようなことが、ある世代の女性が自分の娘に一斉にピアノを習わせたことにも言えると思う。昭和のある時代までピアノを習っていることは「お嬢様」の象徴だったけれども、自分が子供のときにピアノを習いたかった女の人が自分が母親になって経済的に余裕ができたときに子供にピアノを習わせることで自分の欲望を充足させたようにも思える。人が持つ欲望や妬み・叶わなかった願いなどはその存在を定量的に測定することはできないけれども、何か人々の特別な行動を引き起こす・何かに対してお金を使うという形でその欲望は後々に噴出していることも時々あるのではないだろうか。
そして現在、ある程度地位を得た老人たちが若者をずっと搾取し続ける中でどのような恨みや妬みが人の心に蓄積し、近い未来にどのような現象となって人の住む社会
を揺るがしていくのだろうか???
ちょっと気分がダークになったときにこんな事をふと考えた。
7月21日
今日もものすごく暑いので思考力がまともに働かない。
というか頭がぼーっとして眠い。
でも、お仕事がけっこう残っているのでちゃんとやらなくてはと思う。
そう言えば、先週末があまりにも暑かったのでつい書き忘れてしまったけれど、以下のような記事を見つけたので貼り付けておきます。
《↓以下コピペ開始》
少子化に伴って大学・短大の志願者数が入学者数と一致する「大学全入時代」の到来時期について、文部科学省は「2009年度」としてきた従来の試算を修正し、2年早い「2007年度」になるとの見通しを、23日、中央教育審議会の大学分科会に提出した。
進学率が頭打ちとなる一方で、私立大を中心に定員増加が続いているため。
実際には、人気校に志願者が集中するので「全員入学」とはならないが、不人気な大学の定員確保は一層困難になることが予想され、経営難に陥る大学が続出しそうだ。
「大学全入」の試算は、1997年に旧文部省が当時の大学審議会に提出し、注目された。少子化は進行するものの、進学率が上昇するとの予測から、2009年度に志願者数と入学者数が70万7000人で同数になると見込んでいた。
ところが、大学・短大進学率は1999、2000年度の49・1%をピークに伸び悩み、97年試算で前提としていた2006年度の「現役志願率(全高校卒業生のうちの大学や短大の志願者の比率)60%突破」が成り立たなくなった。
一方で、私立大は定員を増やし続け、89年に約29万人だった私立大(4年制)の入学定員は、昨年度は約42万人にまで増えている。少子化に合わせた定員削減も鈍く、株式会社による大学経営参入など、かつて予測しえなかった事態も起きている。
2003年度には大学・短大の全志願者は85万4000人で、入学者は71万8000人だった。
こうした状況を勘案して、文科省が新たに試算し直したところ、2007年度の現役志願率は57・5%で、志願者は65万4000人。これに、同年度に見込まれる浪人生を加えると、全志願者は69万9000人で、この年度の入学者とまったく同数になるという結果が出た。(一部略)
《↑以上コピペ終了》
(ソース→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040723-00000004-yom-soci)
2007年度と言えば、あと3年しかないではないかと思うとちょっとびっくり。
さらにどうせ不況による進学率の低下などで文部科学省の見通し以上に事態は悪化するのだろうからあと1、2年で大学を取り巻く状況というのはもう言葉では表せないくらいにとんでもないことになってしまうと予測されるわけだ。
この辺りの問題では「大学の淘汰」ということがまず議論されているのだけれど、それと連動して「浪人の数の劇的な減少とそれによる予備校の淘汰」とか「研究者の就職先の超絶的な減少」という事態も発生しているわけで当事者にとってはそれこそ阿鼻叫喚の地獄がすぐそこまで近づいているのだろうと思われる。
でもわたくしは眠くてこれ以上物を考えるのがいやになったので寝ることにする。