昼過ぎに飯を炊いてレトルトのカレーを食べていたら、チュンバこと中場利一さんからケータイに電話。
ご存じ「岸和田少年愚連隊」で有名な、流行やんちゃ作家である。
チュンバによると、主人公のモデルとなった「カオルちゃん」こと「○×○ちゃん」が死んだとの未確認情報らしい。
カオルちゃんについては、この長屋の大家さんも旧サイト「おとぼけ映画批評」http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3949/の『岸和田少年愚連隊-カオルちゃん最強伝説』で、次のように見事に書いておられた。
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カオルちゃんは、たしかナインティナイン版の『愚連隊』(見てないけど)では小林稔侍がやっていたと思うけど、中場利一の原作のイメージとはだいぶ違う。
というか原作をいくら読んでも、カオルちゃんについてだけはその姿が私にもイメージできなかった。原作ではカオルちゃんというのはこんなふうに記述されている。
「それほど怖い人である。たしか私より一回りほど年上ではあるが、オッサンなんて言おうもんなら『この口が言うたんかい』と上と下の唇を重ねて五寸釘をブスリと通したあと、唇が引き裂けるまで引きずり回されるであろう。
何十人が待ち受けるヤクザの事務所に、たった一人ダンプで突っ込み、全身ナマスのように切りきざまれても、毎日勝つまで通い詰めた人である。今ではこの人が商店街を歩いていると、裏通りがヤクザで溢れると言われている。」
誤解を招く引用だが、以上はカオルちゃんではなく、イサミちゃんについての記述である。カオルちゃんはそのあとに登場。
「このイサミちゃんともう一人『カオルちゃん』と呼ばれる悪魔のような人がいて、カオルちゃんの場合はイサミちゃんが切りきざまれた事務所ぐらいなら、鼻歌を唄いながら素手で壊滅させるほど別格なのだ。一にカオル、二にイサミ、三、四がなくて、五にヤクザと言われるほどこのイサミちゃんも怖い人であることには間違いない。ただこの人の場合は、鬼のカオルに仏のイサミと言われる通り、普段から切れっぱなしのカオルちゃんとはかなり違い、話せば分かるタイプである。」(『岸和田少年愚連隊-血煙り純情篇』)
その長年の疑問が昨夜氷解した。
竹内力だったのである。
「切れっぱなし」の男というのは、なかなか造型がむずかしい役どころである。
ずっとガオガオほたえているだけでは、その「うるささ」にすぐ感覚が麻痺してしまう。
だから、ときどき「すっ」と鎮静して、その不安な静けさがつねにこちらの予測に先んじて「切れる」という絶妙の緩急が必要になるのである。
私の知る限り、これまで「切れっぱなしの男」の造型に成功した例は少ない。
思いだしつつ挙げるならば、『まむしの兄弟』の菅原文太、『仁義の墓場』の渡哲也、『仁義なき戦い・第二部』の千葉真一、『狂い咲きサンダーロード』の山田辰夫、『漂流街』の吉川晃司、など。この栄誉のリストにぜひ竹内力も付け加えなければならない。
竹内力のカオルちゃんは、中場利一の世界にみごとなリアリティを与えた。
異常に暴力的でありながら、熱い人間の血が流れている竹内力のカオルちゃんのおかげで、あとの個性がすべて際立ち、とてもよい映画に仕上がっている。
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さっそく、その未確認情報の確認のため、○×○ちゃんゆかりの△町でわたしと平成15年度に若頭筆頭を務めたWにケータイする。
△町は岸和田の中でもとりわけ度胸千両系男稼業関係者が多い町である。
この町に「マッドマックス」だったかタトゥー専門誌が取材に来て、その現物の背中を1ダースほどを撮影し、本物を堪能して帰ったという話は、雑誌業界のみならずよく知られた話である。
「早いのお、何で知ってるンや」とWは言う。死因はガンらしい。
○×○ちゃんは、幸いというか不幸というか直接わたしは面識がないが、駅前のパチンコ屋でドル箱一杯の玉を投げつけまき散らしたり、警察官3人を引きずり回したりしているシーンは、中学生の頃からそれこそ何回も目撃している。
「かぁー、ぺっ」とタンを吐きまくりながら、例の調子で駅前通商店街を歩いてくると、岸和田の少年~大人たちは、一斉に裏道へ逃げたものである。
その歩き方は、ここ最近で言うと亀田親とよく似たスタイルだが、中坊と大人の違いは軽くある。
町から若頭連絡協議会に出された年に、わたしはカンカン場の警備を担当していたが、その時に立ち入り禁止場所で撮影しているテレビのカメラに「そこは、あかん」と注意していたが、なかなか立ち去らない。
たまたま同じエリアにいた○×○ちゃんは、それを見て歩いてきて「ごらぁ、若連のゆうこと聞がんがい」と一喝すると、クルーたちは脚立や機材を放って蜘蛛の子を散らすように逃げた。
わたしはその時、半纏に「若連副幹事長」と襷をかけその任に当たっていたが、わたしももちろん逃げた。
ともあれ岸和田では20世紀~今世紀最大の知名度を誇る男が亡くなったのである。
それからだんじりの遣り回しのように素早くチュンバくんにリターン連絡する。
彼にいち早くそのニュース知らせたのは、岸和田春木の度胸千両系男稼業関係者で賑わう散髪屋のおっちゃんだった。
なんでも今日お客さんにバリカンを当てている時、その客がたまたま関係者でありそこから聞いたとのこと。
そしておっちゃんは「ちょっと待っておくれやっしゃ」と手を止めて、即座に原作者のチュンバにケータイした。
これも誠に岸和田の街場らしい話である。
「駅前で号外、配らなアカン」とチュンバは言い、わたしとチュンバは「一つの時代が終わった」「ほんまやのお」と噛みしめる。
それからさっそく拙著「だんじり若頭日記」でおなじみの親友のM人、M雄に電話。
M人は「殺されても死ねへんような男も死ぬんやのお」と一言。
M雄はすでにチュンバからケータイ連絡されてたらしく、言葉をつまらせた。
わたくし岸和田だんじりエディターは、この場をお借りして、謹んで深く哀悼の意を表する次第です。
岸和田の街は、喫茶店、居酒屋、鮨屋、スナックそして散髪屋と、どこでも今日明日とこの大物の訃報で持ちきりであることだろう。