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だんじり讀本売れ行き好調

こういうことを言うと、非常にナニなのであるが、この本は岸和田の地元の人、それもだんじりに関わっている方々に読んでもらうのが、なによりもうれしいのである。
発売2日目の11日土曜日、岸和田の割烹「喜平」にて打ち上げがあった。
それは昼間からのハモ鍋である。さっと火を通したハモ・冷えたビール・ダシのしみた豆腐・焼酎・ハモ・三つ葉と白菜・ビール・ハモだしの効いたそうめん・焼酎のごきげん極まりない寄り合いだったのだが、
http://www.140b.jp/blog/2007/08/post_47.html
自宅に帰って「ああ、明日は久しぶりの休みか」と晩飯を食って、昼の酒と寝る前の酒がつながろうとしていた頃、メインの著者である泉田祐志氏から電話があった。
発売早々なので、ドキッとする。
読者からの内容についての間違い指摘、あるいは「いらんことを書きやがって」とか「誰がこんなこと言うたんや」とかのクレームだと思ったからだが、岸和田の書店であり、だんじり関連書籍や冊子、ビデオ、だんじりグッズ…で有名な「WIN」さんで100冊入れたのだが、もう無くなったとのこと。盆休みの事もあって至急追加注文したいのだが、とのことである。
これは困った。明日は12日で日曜日である。13日からは盆休みで…などと酔っぱらって話していると、「ちょっと、江くん替わるわ」と泉田くんは言って、いきなり「もしもし、本屋のWINの○×です、まいど。うちも100冊しか入れへんかったんが悪かったんですけど…」とのことであり、何とかしてくれとのことである。わざわざ、こんな夜に著者の泉田くんの家まで行き、著者献本用の数冊もかっさらっていった模様である。
こういうところが、「ターゲット層」やら「読者ニーズ」とかでは決してない、「もうないわ」「よっしゃ、なんとかする」の直裁的な岸和田気質の気持ちよいところである。

さてこの「だんじり讀本」では、岸和田二十二町のだんじりを現在曳いているものから先代、先々代に至るまでを詳細に調査した。
地元の居酒屋やお好み焼き屋などに行けば分かるのだが、岸和田の世代を越えただんじり男たちが、そこで口角泡を飛ばして年中している話は二種類ある。
一つは「あの時、あそこの角の遣り回しが…」とか「あの年の宮入は大雨で、子どもがこけて…」といった地車曳行についての話で、それはその町独自の磨き上げられた腕と度胸の遣り回しの技術であり、またいかに横転や激突の危機一髪を切り抜けたかのことであり、あるいは度胸千両系男稼業の参加者の活躍ぶりである。
もう一つは「うちのだんじりの破風の形は…」「うちの見送りの大阪夏乃陣の後藤又兵衛の顔は…」といった、それは「我が町の誇り」にほかならぬ、趣向を凝らした唯一無二の自慢の地車本体のことである。
この二つの魅力が、われわれ祭好きの心を惹きつけてやまないのである。
今回は後者に重点を置いた。
それは300年という歴史が積み上げてきた、大工や彫物師といった工匠たちの仕事の足跡をたどることでもある。
そして各町の気質や町風といった代替不可能なエートスは、その地車本体に顕著に表れている。
それは、あの時の宮入のコナカラ坂にどういう遣り回しをしたか、とか、昭和○×年の曳き出しの一発目のカンカン場で…といった、ビデオを見ながら語り得る映像的なもの、つまりその瞬間の空間的な表象ではない。
地車本体は破損して修理された箇所を除き、全く変わっていない。その町の地車がそこで新調されてこうなっているというだけである。
けれどもそこにはその町がその地車を曳いてきた時間というものがとても感じられるのである。
旧い明治や大正時代の地車の話をその流れを引く老大工やその町の長老たちに聞く話が面白くて仕方なかったのは、それが過去にそうだったから今見ているこの町の地車がこうであるということではなく、実は時間というものとその町のだんじり祭の間に何があるかに触れたような気がしたからである。
そういえばこの長屋の大家さんがちょっと暇になったら、ハモ鍋セットでも持ち込んでご一緒させていただき「時間を空間的な表象形式で語ること以外にどんな方法があるのか」をぜひ聞いてみたいものだ。

彼ら工匠たちの作品集でもある地車自体は、祭当日しか公には姿をあらわさないし、祭当日だといっても休憩時以外は走っているから近づけない。
つまり走っている地車としては撮影は出来ても、だんじり本体についての取材・撮影は現実問題として不可能なのである(もっとも私を含め今回の著者たちは祭の当日はだんじりを曳いている)。
それは取材ではなく体験していることである。
祭のその時ではなく、西に新調があればその間じゅう大工・彫物師の仕事場に通い続け、東に20年ぶりの大修理があると聞けば駆けつけ、話す方も聞く方も祭の当事者同士、だんじり談義に華が咲く。
それがすなわち取材であった。
そして気がつけば20余年、わたしは今、祭礼団体では最後の所属団体・世話人であり、子供のころから爺と呼ばれていただんじり博士の幼なじみの泉田くんは、今年か来年に若頭を上がるはずだ。

コメント (1)

楽天ブックスで手配できました。
嫁の実家へ送ったので、読めるのは試験曳きの前日になりそうです。

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2007年08月17日 09:05に投稿されたエントリーのページです。

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