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だんじりブランニュー

5月27日(日)


5月27日(日)午前6時、岸和田は晴れ。
南上町のお披露目曳行。
この日、初めて岸和田旧市地区へだんじりを曳き入れる南上町が、宮入
はじめ岸和田城下のフルコースを曳行する
五軒屋町ももちろん曳行コースになっているので、そのだんじりを正装
にて迎える。
襟に「世話人」と染め抜かれている新しい法被、新しい白バッチ、白足
袋で昭和大通り花儀布団店前へ集合。
それにしても、早朝にもかかわらず、本番祭礼さながらのこの見物客の
数は何だ。
われわれが出迎える五軒屋町の昭和大通りからカンカン場まで人・人・
人である。

南上町は大正11年の岸和田市制が始まったときからの町であるが
だんじりがなかった。
もともと大きな面積の町であるが、昭和40年頃までは住居がまばらな
農村的町だった。
けれども昭和60年頃からマンションや住宅が増え、今や2000軒の
世帯数という。
この町の若者はこれまで岸和田旧市のそれぞれのだんじりを曳いていた
者が多い。
わたしの五軒屋町にも南上町に住む者が長い間曳きにきていて、今回の
ことで五軒屋町の祭礼団体をやめ自分の町に帰っていた者がいる。
よそからの参加は、何かとその町に遠慮することが多いものだ。
それが自町にだんじりを所有し、やっと念願かなってこの日を迎えた。

83年に有志が祭礼団体を結成、93年に小型だがだんじりを買った。
その後は、祭礼に自町内の範囲でだんじりを曳く「町内曳き」にとど
まっていた。
また祭礼町会連合会はじめとした祭礼団体に参入を願い出、また若頭連
絡協議会などにも参加する。
そして去年、中北町の新調にあわせてその現役のだんじりを譲り受けた。
すでに20年の月日が流れている。
その頃、青年団だった者は、後ろに回り、若頭をやって、もう祭礼最後
の世話人になっている勘定だ。

来た、来た、来た。
カンカン場方面から、南上町の纏が見えてくる。
初めて見る纏で、どこか藤井町似ている。
先頭によく知った同級生の顔が見える。法被を着た上町の世話人であ
る。上町は隣の町なので多分、初曳行を滞りなく行えるようにと手伝っ
ているのだろう。
「ご苦労さん」「おはようさん」という言葉をかわす。
以前、五軒屋町で一緒にだんじりを曳いていた先輩のSさんが、
交渉責任者のタスキをかけて走っている。
まっさらの祭装束。まっさらの飾り物や幟。
初めての昭和大通りの勾配はどうですか。旧国道26号線を渡るとアー
ケードです。
大音響は気分がいいでしょう。

鳴物がきざみに変わる。
大工方が飛び、その半纏が風にはためいている。

コメント (1)

仕事で東京転勤中のため、入魂式を見られませんでした。
ご苦労された方々のこなから坂を上がる時の気持ちを思うと、なんとも言えない感動を覚えます。

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2007年05月30日 15:03に投稿されたエントリーのページです。

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