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エラいごっつおやなあ

3月21日(祝)

生野の今里新地に、1軒のてっちり屋がある。
その店は「泳ぎてっちり」1人前1980円で大ブレイク、平成8年東京へ別名で進出し、今や都内22店舗の大ふぐチェーン店に成長した。
もう15年以上も前のことだが、ひょんなことからここの店のオープンに遭遇し、S社長と知り合いになったのだが、大阪の商売人とはかくやのお人柄と、ふぐにかけての愛情はすごいのひとことである。

わたしすなわち江弘毅やライターの堀埜浩二くんやフードジャーナリストの門上武司さんは、ミーツ始めいろんな雑誌にこの店とこの人のことを書きまくったが、小説新潮の「大阪学」の連載で曽束政昭が今里新地のこの店の経験を書いた実録コラムは忘れられない。

オレは実家が岸和田で、同じ町内にふぐ博士・北浜喜一さん(「ふぐの博物誌」著者)の「ふぐ博物館」を併設したふぐ料理「喜太八」があったり、だんじり祭の宴会やその他いろいろで、てっちりに親しむ楽しい人生を送ってきた。
堀埜くんは、日本有数の度胸千両系男稼業事務所とふぐ屋密集地帯であり、飛田新地を有する西成区育った。
てっちり、 鮨、焼肉を「三大ごっつぉ」と定義するする彼の説は、未だ軸足がしっかりしていて揺らぐことがない。
われわれは「日本一のてっちりなエディター&ライターの甘く危険な日々」を送ってきた、といっても過言ではないのだ。

さててっちりである。

またの名を「鉄砲」と呼ぶこの魚がこと魚介類においては「大人の味覚」の最右翼に位置することは、説明不要であろう。
人を愚弄するかのようなとぼけた表情からは想像しにくい、エレガントで淡泊な身。
独特の歯ごたえとゼラチン質特有のトロリ感にうっとりする皮。
ぼてっとプリティなルックスの中に、およそ旨みというものを凝縮したような複雑な甘みを持った白子。
そして「鉄砲」の語源たる、禁断のキモの存在。
単体の食材でありながら、多くの味わいとレトリックに彩られたフグは、常に大阪浪速的「イテマエ気分」を満たせてくれる。
さらにフグを使った料理の究極の姿が「てっちり」、すなわちタテめしにおいて最もシンプルなレシピの「鍋料理」である点も実に渋い。

確かにてっさも焼きフグも旨いが、アチアチと手で「アラ身」をわしづかむやほろりと骨から離れる白い身と、きりっと締まったポン酢のコンビネーションは、男たちを至福の境地へと運んでくれる。
…勢い余って「男たち」と書いてしまったのではなく、フグはやはり男の食べ物であることも、この際断言しておこう。

ミナミでも少し外れの、旧いゆえ場末となった萩ノ茶屋や今里あたりのてっちり屋で、少人数かつ言葉少なに鍋を囲む。
当然のようにアラ身だけをどさっとぶち込む。フタをする。
誰かが丁寧にアクをすくう。
「おう、もういけるで」の声で一斉に箸をのばす。
そして「うまいのお」と時々唸る。
女子供の介在しない、そのようなシーンにこそ、フグは相応しい。
だからこそミナミで「そんなシーンの外食」が中心であるところの、つまり「そんなジャンルの人々」に絶大なる支持を得ているわけだ。
逆に「フグってアタるンでしょ、コワ~イ。でも食べてみた~い。」なんてネエちゃんが集まって、てっちりを囲んでいる風景を想像して見給え。
それで我が国の将来が憂いてこないとしたら、こら相当にヤバイ。
このの典型的な「ごっつぉ」感覚は、てっちりが最右翼であり、下町それも大阪でしかないものだ。

ときおりネオ文壇グルメな書き手が、東京方面の雑誌などでしきりに高級料理の粋(すい)として「ふぐちり」や「ふくさし」のことを、ボルドーの銘醸ワインをぐるぐる回して飲んでいるかのように記述するのを見るにつけ「違うねんなあ」と思うのは、大人の味覚をプレステージやステイタスとして認識している浅さ、つまり「グルメの水準」でそれを語ろうとする「非」街的感覚が鼻につくからだ。
「てっちり」や「てっさ」は、粋(いき)がりでちょっとヤクザなところが「味」なのであって、「高くて旨い」のではなく「旨いけど高い」という大阪弁でいうところの「旨いもんの値打ち」を誤解している。
「てっちりかあ、エラいごっつぉやなあ」は高さ安さに関係ない。そこを分からんとなあ!

これは堀埜くんがちょこちょこっと書いたものを元に、わたしが大幅改稿してとある文芸誌に寄稿したものだが、曽束政昭は「大阪学」で、スバリこの店で大胆に出されるキ×について書いた。

キ×は日本国内すべてのところでは出してはいけないはずだ。
加えてキ×のことを書いている文章はほとんど見たことがない。

ところがこの店では、突き出しにも出てくるし所望とあればドカンと丼で出てくる。
白子は確か2千円ぐらいだが、キ×は出したらいかん、ということになっているので無料である。

この日はS社長の招きで、東京から来阪されていた水産関係の研究者・I成さんと一緒に今里新地を訪ねた。
東京のスタッフが2名「研修」ということで来ている。
「すごいとこですねカルチャーショック、受けました」と東京弁でいうスタッフに、社長は「ここから始まったんやで」と説明している。
「今日もそうやろ。この辺は、業界の人が食べてる横で、子供連れの家族とか若いアベックが食べてるちゅうのが普通なんや。ねえ、江さん」とオレに相づちを求めるから「大阪広しといえど、こんな風景は多分この街だけですわ」と付け加える。
キ×については「ここらへんでは出さんと、あいそないなあ言われますけど、東京はあきまへんねん」だそうだ。

東京で初めて出す店舗は歌舞伎町で、それが正解だった。
初めは客がパラパラ状態でやっていけるのかと思ったが、場所柄、関西の「業界の人」が出張で来ることが多くて「おお、なんやあんたがやってるんかいな」と口コミで広まって、見る見る一杯になり、渋谷、赤坂、銀座…と出店することになった。
なんでこんなに安いの、これってとらふぐじゃないんじゃないの、とよく訊かれたが、東京人は全くふぐに対しての舌ができていない。
ことなどを豪快に話してくれる。

皮とキ×の突き出し、てっさ、白子焼きと続く。
おお、極上の白子や。
誉めると、「昼さばいてたら、ええのんが出てきて、これ取っといたろ思てましてん」とのことで、この人は、ほんまに大阪人やと感心する。
びりりとくるこだわりの手搾りポン酢は相変わらずだし、「お好みでどうぞ」と今日は特別に薬味のひとつとしてキ×をすりつぶしたゲル状のもの(何ていうのだろう)もたっぷり出てきた。
焼きふぐ、唐揚げ、鍋へと進む。
どかんとキ×。なんちゅう量だろう。

ちょっとビビってしまったオレは、きょうは胃がもたれて脂っこいもんあきまへんねん、と遠慮するのだが、特大の白子をどんどん鍋にぶち込んで頂くのであった。

てっちりの育ちはこわい。そしてオレも大人になった。

コメント (1)

岸和田に住んでいて憧れで終わると思っていた「喜太八」。
接待の席が1名欠員になったため5年ほど前に連れて行ってもらいました。
緊張して味は覚えていません・・・。
板さんがうちのおやじと同級生くらいで、身内ネタで盛り上がってしまいました。
周りの人は何がなにやら分からなかったやろうな。
いっぺん、おやじを連れて行ってやりたいと思てます。
これで大人の仲間入りか?!

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2006年03月23日 18:24に投稿されたエントリーのページです。

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