« 葬儀の告知 | メイン | アンティパストは箸で »

五軒屋町の夜は更けて

3月19日(土)

M人から「Kちゃん(彼の叔父さん)が鹿、撃ってきたんや。どっさりあるから、ひろきも食いに来い」というから岸和田に帰る。

テーラタカクラに行くと、同い年の若頭が揃っていてすでに鍋をつついている。
昨年の筆頭M雄、JRの車掌のS本、Kバは岡山の単身赴任先から連休で帰岸している。ハンコ屋のYっちゃんはささっと食べて店を閉めに帰ったとこらしい。

鹿はフランス料理では食べたことあるが、鍋は初めてだ。
水菜と薄揚げ、だしはうまいし山椒と柚コショウをいっぱい放り込んで鹿肉を食う。
わりとアッサリ目の肉だ。 ビール、焼酎と進む。

9月に祭が終わると、だいたい毎年冬に数回はこういう形で同じ年がわいわいと集ま
り酒を飲むが、鹿鍋というのは珍しい。

料理にうるさいM人は「鹿はあんまりうまいもんやないけど、まあこんなもんか。今度はイノシシでも撃ってきてくれるように言うとくわ」といいながら「やっぱり燗やで」、ということで自ら追加の日本酒を買いに行く。
オレも例のように実家に走って帰って、家の四合瓶とついでに白菜の漬け物とイカナ
ゴの釘煮をかっさらってテーラータカクラに戻ってくる。白菜には黒七味をかけるのも忘れなかった。

戻る途中にたばこ屋の前で、だんじり大先輩のKっくんを見つける。
M人M雄の前梃子の大先輩、もう60歳前のミスター五軒屋町である。

「Kっくん、いまM人とこで皆で飲んでますねん。ちょっとのぞいてよ」
というと「おお、ひろきか。はよ帰ろと思てたけど、ちょっとよせてもらうわ」
というわけでKっくんを連れて戻る。

彼を囲んで昔の話を40代半ばのだんじり男が聞く。
ほとんどが祭の際や旅行時の旅館で大暴れしたとかのケンカの話で、そのたびに「えぐいなあ」「わっしゃ~」とかの感激の間投詞が連発する。

Kっくんは小1時間ほど、焼酎を数杯飲んで「すまなんだのお、ごっつおさん」と帰る。

「ひろき、お前よう連れてきたのお。晩にKっくんにつかまったら、昔は帰してくれへんかったんや。そやけどKっくんも年いった」とM人。
「ひとりでやなあ、タバコの自動販売機で買うてる姿見たら、やっぱり声かけなまず
いやろ」

次は3年前の拾五人組の組長で、今年の新若頭N出と前梃子の若い衆のK戸が来た。
オレらより7~8歳下で彼らも同い年のチームでどこかで飲んできた帰りだ。

話の内容は祭礼用の鉢巻にする手ぬぐいのデザインとか、岸カジと呼ばれる岸和田の若い者の独特のセンスの話、ジーパンの話とかで、全然違うがそれはそれでおもろい。

日が変わりみんなそろそろ帰ろか、という時に今年若頭を出られた割烹の板前「喜平」のNちゃんが「これ、生やぞ」と店であまったマグロの造りを持ってくる。

ジャンパーを着て居眠りしていたM雄も起きてきて、また飲んでわいわいと話し笑う。
岸和田の連休初めの夜の日常は今もこんな具合だが、なんだか懐かしい気もする。

生まれ育った岸和田の五軒屋町は、今のおのおのの社会的属性や仕事や家族からみんなを疎開させる。

コメント (1)

門葉理:

疎開って表現、言い得て妙(笑)
多分、どんな趣味より、家族や成人後の友人達との時間より、本来の自分に戻れる時間、でしょうね。

整理整頓されつくした最近の新しいお洒落な街では、そういう人間関係、想像できないですね。

旧い町の存在が、今日本が一番思い出すべきことを、隠し持っている気がしますね。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2005年03月23日 00:56に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「葬儀の告知」です。

次の投稿は「アンティパストは箸で」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35