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日限萬里子さんのこと

3月16日(水)

すでに新聞報道もされている通り、日限萬里子さんが14日昼前に亡くなった。

先週の確か。9日のこと。
編集部に行く途中JRの新快速に乗っていると携帯が入り、発信者を見ると「日限」と
いう表記だった。

日限さんからは2月の半ばに、引っ越しをしたい、都市機構のなんば湊町の新マンションに入居できないか、という相談があり、以前、都市機構の「湊町・ミナミ・大阪へ
の想いbyミナミスタイル研究会」
http://www.osaka-sumou.net/town/minami/373style/vol04.htmlというシンポジウムを構成したモナト久美子さんにそれを伝え、とりあえず日限さんが住んでいる北堀江の家の近くのロイヤルホストで待ち合わせした。

日限さんは約束の4時きっかりに杖をついて来られて、「江くん、ここのなあクラブ
サンドはおいしいねん、注文しいな」といったので、それを頼んだが、日限さんはアッ
プルジュースしか飲まなかった。ものを食べられないらしい。
彼女は「あんたも隣に住みいな」「ほな隣と違て、一緒に住みますか。どちらも独り
もんやし」とか冗談をかましてたが、ちょっとこれはしんどいな、と正直思った。

けれども明くる日の16日NHKの生放送の「上方クラブ」に生放送で出られていた。
声はいつもと違って弱々しかったが、「何でアメリカ村という名前なんですか」との
キャスターの質問には「村って、わたしは街の子やからそんなん絶対付けません、誰
かが付けたんでしょ」と答えていて、オレは販売部長の中島と会議室でそれを観てい
たのだが「日限さんは、やっぱり最高やなあ」と笑っていた。

番組が終わって数分後に「お疲れさんです。ようがんばりましたな。あれ、おもろかっ
たです」と携帯を入れると「そやろ、江くん。あほでもぶっさいくな顔でもええけど、
いなかもんだけはあかんねん」と大笑いしていた。
その笑い声だけが、以前の日限萬里子さんの声だった。

午前11時前の新快速のなかで、その湊町の件かなあ、まあ車内はガラガラだしええか、と思って携帯に出ると、彼女の携帯から聞こえる声は、弟さんの満彦さんだった。
内容はもうちょっと2~3日かもしれない、ということで、しきりに「江くん、江く
んと言うてる」オレを呼んでほしいということだったので、 編集部にそれを伝えて、
大阪駅から中之島の住友病院に直行した。

9階に上がり相部屋の病室に行くと、日限さんはモルヒネが効いているのか寝ていたが、「日限さん、どないしたん」といったら目を覚まして「江くん、ちょっと起こし
てくれるか」といったので、そばで看病していた年老いたお母さんと一緒に背中を抱
えて上半身を起こした。

「ちょっとなあ、痛いねん。もうちょっと生きなあかんねんけどなあ」と訴える。
「なにを眠たいこというてますねん、日限さん。癌のデパートみたいに今までいろい
ろやってきましたやん、またすぐようなりますわ」とオレは言ったが、満彦さんに廊
下に呼び出されて、これはやっぱりしんどいなと思った。

満彦さんは泣きながら「あんたやから言うけどなあ、ほんまにちゃんと葬式あげられ
るかの金もおまへんねん」とか言うから、オレは号泣してしまって、ちょっと病室に
戻れない状態で「なにゆうてますねん、後のことはそうなってからですやん。しょう
もないこと言うたらあきませんやん」といって、便所で顔を洗って鏡で確認して病室
に戻った。

日限さんは穏やかな顔で「的場ちゃんはどうしてるねん」と訊く。
「的場ちゃん」というのは街の大先輩の的場光雄さんである。ミーツで90年代はじ
めに「ラストオーダーが微笑むように」というコラムを連載していて、それが「アホ
の求道」http://www.matbux.com/という単行本になっている。

「先月家におじゃまして、昼から終電まで飲んでましたんや。なんかサンボアの70
周年、一緒に行けへんかぁ?言うてましたし、どうしょうと思てますねん」
「バーもなあ、70年やったら店の通り道みたいなのがしゅっーとできてるから、やっ
ぱり気持ちええわなあ」

そんな彼女らしいといえば彼女らしい訳のわからない会話が、日限萬里子さんとの最後の会話になってしまった。

満彦さんが丁寧に病院の出口まで送ってくれて、外に出て的場さんに電話する。

的場さんもすぐ駆けつけるとのことで、その後電話がある。
「足、さすってやったらようやく気が付く状態で、いてられへん。スイトピーおいて、
5分で帰ってきた」と涙声で彼は言った。

亡くなった当日14日、9時半に満彦さんから携帯がはいった。
「もうあきませんねん。何とかがんばってるんやけど」とのことだったが、神戸にい
たオレはどうすることもできなかった。

通夜も密葬も終わってようやく帰ってきたオレは今、松澤壱子さんの「日限萬里子さ
んのこと」http://blog.kansai.com/ichiko/137を読んで、何とかキーボードを叩いている状態だ。

コメント (1)

澁谷:

もう20年以上、日限さんに世話になってたものです。ここ数年会ってなかったので、江さんのコメントで様子がわかり、感謝しています。ありがとうございます。

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2005年03月17日 11:00に投稿されたエントリーのページです。

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