石畳は保存すべきなのか。というか、石畳ってなんなのか。
石畳の歴史は三世紀のローマ帝国の要塞にまで遡るらしい。歴史を感じる石畳であり、石畳の上を歩くと、石畳は足の裏をべこぼこと打ちつけるために、血流がよくなって神経が活性化するような気がした。(気がしただけだが)
しかし、例えば、車いすで移動する人にとって、石畳はそれほどありがたいものではないといえるだろう。石畳は足裏を心地よく刺激してくれるが、車椅子のタイヤを心地よく刺激してくれるとは言えない。それほど足が自由に使えない人にとって石畳は特にありがたくもないだろう。
そして以下に書くことは、僕の根拠のない想像である。
あるとき、名もなきハンガリー人のひとりはこう思っていたのである。
「石畳って歩きづらいな」と。
それで、「確かにそうだな」と、いろんな人たちが石畳の不便さを理解しはじめた。
「石畳では足の怪我のもとなのではないか」
「身体障がい者に対して差別的だ」
「靴がいたむ」・・・などなど。
そして、ひとりの天才ハンガリー人の頭脳にある天才的アイデアが降りることになる。つまり、「石畳を嫌う人は多いが、景観的にも趣があると言えないこともないし、歩くと心地の良い、素晴らしい建築素材であると思えなくもない。しかし、あまりにもでこぼこしているために現代人にとって包括的な建築素材とは必ずしも言えない。足を自由に使えない人でも石畳のいいところを経験できないものだろうか」と。
それで一つのパズルが出来上がった。
そのパズルはさまざまな人たちの身体を通して感動を与えた。
しばしの時が流れ、ある玩具のアイデアが天才ハンガリー人の頭脳に閃く。ハンガリーで生まれる。ルービック・キューブである。
ルービック・キューブとは、本来「石畳のでこぼこを足裏で感じる」という「足の感覚」を「手の感覚」に完璧に「翻訳」したのではないだろうか。このような芸当は「身体蔑視」の対極にあると言えないこともないのではないだろうか、と考える。
(参考)
Brief History of Architecture, https://www.cobblestonemuseum.org/CobblestoneStructuresCatalog/CMPubs/Brief%20History%20of%20Cobblestone%20Architecture.htm