12月10日試験期間 

 何より試験が楽しみで大学に通っているという人はあまりいないと思うけれども、何はともあれ試験期間が始まる。

 言い訳っぽいが、試験において確かにハンガリー国外からの留学生にはそれなりに不利があることは事実だと思う。試験結果の不利ではなく、学習精度の不利がある。ヨーロッパのギムナジウムと大学の課程はそれなりに繋がっているため、ギムナジウム(高校)に通っていない僕は、所々でやる気のギアがかかりにくい。例えばトロイア戦争などのギリシャ神話をギムナジウムで大量の時間をかけて勉強するというような、そういう西洋古典からのレファレンスについて学校では勉強していないため、そういうところが手薄になるのが苦しい(なけなしの知識で現代ではマルクス主義と対比されるところのプロメテウスが鷲にいじめられるギリシャ神話を引いたらえらく褒められたけれど、プロメテウスは科学者にとっては適度にクリティカルかもしれないが文学作品を読むには破壊力の方が強すぎる神話だなあと、プロメテウスを引くたびにいつも思う)。とは言えそんなことは現地の学生と情報交換すればいいだけのことで、これも留学の愉しみの一つか。

 ハンガリーでさえ英文学を真面目に勉強する学生は決して多数派というわけではないらしく、チョーサーだろうとマーロウだろうとシェイクスピアだろうと、ドライデンだろうとディケンズだろうとウルフだろうとマンスフィールドだろうと、どの作家の専門の教授のところに行っても基本的にほぼ涙目で「やっと、やっと文学研究に対して真面目な学生が来てくれた...!」と大歓迎をされるのは嬉しいような悲しいような。英文学って孤独な学問なんですね。

 ハンガリーのシステムの方は「お前なんかどうせ部外者なんだからこっち来んな!ケッ」とアジア人差別混じりの世にもひどい攻撃をしてき、一方で個人の力で留学生を受け入れているなかなかすごい人たちもおり、その二重性(多層性?)を留学生がうまく見切ることで大学の環境に適応する、ということを僕はしている。正直、曲芸みたいで嫌だな、と思うこともある。

 競争率が高そうな権威ある作家の作品についてがっちり学ぶのが現在のブダペスト大学のトレンドなのだろうか。そのような学習がレファレンスとして役に立つことは間違い無いだろう。しかしみんなが当たり前だと思っている前提を問うような話題(そんな話題はいっぱいありますよね。)については目を瞑りがちでは無いのか。致命的に権威主義的なのではないか。「完璧な頭の良さ選手権」で勝つ競走は決して僕にとって最上位の優先度では無いのですけど。...そんな暗闇も予感されています。