11月23日 未熟な国の未熟な学校

 お友達の某君は「ふつうのハンガリー人」とは結構違う気がする。某君は「いい人」だ。攻撃的なところがあまりなく、優しくて、頭が良い。思わせぶりなことをするが、だからといって僕を傷つけるようなことをしないし言わないように気をつけている(それってすごくないですか?)。しかし勉強はサボりがちで課題をやっていない(これはよくない)。某君は何故かわからないけど興味があることが多くない。きっと何かとんでもない苦しみのなかに生きているのだろうと思う。

 ハンガリーは小さな国だが、一枚岩じゃないのだ。国家の枠組みでは捉えきれない多層性がある。

 そんなすてきなお友達ができたことは幸運というほかないのだが、一方で講義室にいる留学生の数が激減している。と、いうか、いない。僕以外。

 留学生がハンガリーでうまくいかない理由は想像がつく。受け入れ大学の体制、現地の学生、留学生、それぞれの要素が組み合わさってうまくいっていないのだが、留学生側が状況を悪くしている要素には「資本主義への執着」が挙げられるだろう。

 対して、現地の学生が状況を悪くしているのは「コミュニズムへの無知」であり、これは勉強不足というほかない。『資本論』を読まずして、共産主義が可能なのか。

 状況をよくするために、「マルクスをちゃんと読み、実践する」ということ以外に良い案を僕には特に思いつかない。これはハンガリーの学生の知性を信用するほかない。