"This is a pen"という例文は絶対使わない。一生使わない、無意味だ。という批判を聞いたことは一度や二度ではない。僕も使わないだろうなと思っていた。
しかし使った。もう2回も使った。1回目は、言語学の授業で接尾辞の仕組みについて説明したとき。2回目は、お友達の某君と芸術について歓談していたとき。ペンは目の前にある具体例として使い勝手が良かったのだ。実際のところの英語の実用性は簡単に測れるものではなく、実にわかりにくいもののようだ。
ある意味"This is a pen"のナチュラルな必要性は、僕が西洋文化圏にいるからこそ起こったことなのかもしれない。日本にいればどちらかというと「ペン」より「筆」の方に必要性がある。例えば日本の細密画の細かさは、ペンによるものではなく筆によるものだ。漫画の絵や手紙の文字のように、ある一定の細かさを表現するためにはペンのほうが使い勝手がよいかもしれないが、もっと細かい線を引くためには筆が必要だ。「非ペン文化圏」において"This is a pen"はなんとなく朴訥な印象があるが、ヨーロッパにいると"This is a pen"という表現は意外に雄弁である。べつにだからそれがどうしたというわけでもないのだが。
西洋の人が、日本の「筆文化」に惹かれるということはあるかもしれない。「ペン文化圏」のヨーロッパでは、そのペンに特有の硬さ、ペンによる圧迫感、ペンによる断罪に少なくない人々が並々ならぬ苦痛を強いられている。日本文化圏から飛び出してきた身としては、「筆を使えばいいのでは...?」という大変容易な解決策が連想されるのだが、そのような解決策が彼らを納得させることができるのかはわからない。
筆があってよかったー。