もし僕が飛び抜けて賢い頭脳の持ち主であれば、威圧的な教師のことなど気にもかけず、あるいは快刀乱麻を断つ弁論術で説き伏せたり、適当に機嫌を取って試験で最高得点を取ったりすることができるのかもしれない。しかし僕は「中途半端に賢い者たち」の一人であり、嫌な環境にいると、普通に萎える。
そんな「中途半端に賢い者たち」のお助けバイブルがある。橋本治の『人はなぜ「美しい」がわかるのか』である。『人はなぜ「美しい」がわかるのか』を再読し、人生で10回目くらいに、この本に救われている。
"なにかが向こうからやって来た。それがなにでどんなものであるのかを考えず、いきなり、「これに対して自分はなにをなすべきか」を考えてしまう。「きれいな女の人を見たらいきなり〝やりたい〟と思ってしまう」は、この例です。"
橋本治. 人はなぜ「美しい」がわかるのか (ちくま新書) (p.26). 筑摩書房. Kindle 版.
そう、ハラスメント野郎どもの行動原理は、ほぼ全てこれで説明がつく。僕が他人の間違いを指摘するときあるいは何かしら自分の考えを言うとき、周りの人たちは、まさかこいつ(僕)の口からそんな予想外の言葉が出てくるとは思っていない―――つまり、僕の指摘が「なにでどんなものであるのか」を考えていない。考える習慣がない。なぜなら、彼ら(マジョリティ、権力)が想定していない指摘はみんな敵だと無意識のうちに考えているから。それで、よくわからないことを言う者はいきなり詭弁で黙らせる、という暴挙に出るのである。または、未知の主張は強制的に既知の主張に当てはめてしまったり、「相手の英語能力に問題がある」ということにしてしまう(まあ僕の英語能力がすごく高いとは言わないが)。つまり、彼らは「美しい」がわからない。
それでも時々「美しい」がわかった!わかったよ!!と輝くような顔をするようなハンガリー人がいたりして、邪気を抜かれるような気分にもなる。でも、「美しい」は「いつもわかる」のが理想である。そんなことで邪気を抜かれているから、中途半端に賢いままなのだ。