10 月28日(月) 勉強しない大学生たち

かなりの割合のハンガリーの大学生が全然勉強をしなくなってきている。なぜ勉強しないのか。勉強よりも楽しいことがあるから?勉強のほかにやりたいことがあるから?そうであればどれだけいいであろう。しかし実際はそうではなくて、内容がわからないから勉強しないのである。

 ありえないくらい極端な右翼が跳梁跋扈するこのハンガリーで、僕は自分の身を守ることで精一杯の毎日を送っている。イスラエルと手を組み、アジアを差別し、それでもなお一切の反省も改善もせずなお差別と攻撃を繰り返し弱者をいじめぬいて排除し、搾取するこの社会に僕は加担したくないと思う。ここは学べる環境なのか?

 この街にいる限り、歓楽の大学生生活は僕にとって無縁のものだ。なぜなら、僕にはそれがニセモノだとわかってしまうから。そして、僕は彼らの差別に加担したくないから。ここは歓楽街ではない。

 原子爆弾の投下をなぜ許してはいけないのか?それは、人間の命を奪う兵器として、あまりに巨大な破壊力をぶつけるそのむごさを許してはいけないからだ。蚊をたたくために戦車で爆撃するやつがどこにいる?人間に対して原爆を落とすと言うのはそう言うことだ。

 現代の人はいまだにそのことを学んでいないように見える。だからユダヤ人や移民にあんなにひどいことができるのだ。弱者に対して、不釣り合いに巨大すぎる兵器で攻撃して大騒ぎして、何が楽しいのか。

 考えてみれば、「弱者に対して不釣り合いなほど巨大で残酷な兵器を使って攻撃をする」と言うことが「おじさん」の有意な特徴の一つだと思う。中学で初めて遭遇した「おじさん」の攻撃はまさにそう言うものだった。ハンガリーで時々見かける「おじさん」もそのタイプだ。

 勉強の、学びの邪魔すんな。