10月13日(日) やめろ!藁人形攻撃

「ヨーロッパにおけるアジアのイメージ」が明らかにおかしい。その違和感が、ある閾値を超え始めている。おそらく日本人は全員感じていることであり、未だに改善されていないことが信じられないような思いで、感覚が麻痺しかけてしまうが、未だに中華人民共和国のことを「Chine(シナ)」と呼んでいることはかなり失礼だし、そのうえ"China"に性的な意味を含ませていると知ったときはただただ気持ち悪いと思うし、「Japan」だって正直言って意味不明の呼称だ。西洋人は寿司屋やラーメンを食べたがるのに、しばしば箸を嫌うのもよくわからない。俺らパスタ食べるときは箸じゃなくてフォーク使っているけど、あまりにも律儀なのかなあ。西洋の読み物をひらけば意味不明の瞑想や理想郷の場所としてアジアが描かれているが、ただひたすら異常にしか見えない。そこには本来ヨーロッパの文化にはあるはずの、普遍的な論理が意図的に捨てられているので、そこが異常に見える。
 
ヨーロッパにおけるアジアに対する「明らかに異常な妄想」について、はじめは笑い事で済むことだから放っておけばいいかなと思っていたが、次第に笑い事ではなく、これはそのまま差別に直結するシリアスな歪んだ認知でもあると思われるようになった。ヨーロッパは今までアジアを先入観抜きで認知することができなかったようだ。

 ヨーロッパの人は「藁人形論法(議論をする中で相手の主張を歪めて引用し、本来の趣旨とは異なる主張に捻じ曲げて反論する論法)」をアジアの認知に適用して、意図的に認知を歪めてきたように見える。今まで、ヨーロッパにとって、長らく、アジアは潰しやすくて体のいい「藁人形」だったのだ。

 ところが、いくらヨーロッパがアジアを「藁人形」だと思い込もうとしたところで、事実としてアジアは藁人形ではないので、必然的に無理が生じる。英語がいくら中国をシナと呼んだところで、中国はシナではないし、日本は黄金の国ジ・パングでもなんでもない。アジアの人々はそんな妄想とまったく違うところで生きている。当のヨーロッパの文化そのものが妄想の誤謬を指摘する。妄想と先入観を取り除けば、ヨーロッパの認知はただのナンセンスなステレオタイプにすぎない。さらにそれに加えて、先入観抜きでアジアについて知りたいと思うヨーロッパの人も少なくないだろうに、そういった人々の興味すら今までステレオタイプで押し潰してきたのではないか。

 「藁人形論法」を当の日本人さえもが使い始め、迎合し始めたとき、それは「核爆弾」の暴力性を帯びる。その使用をヨーロッパがやめない限り、お互いの関係は浅くて味気ない無意味なものに終結するだろう。