10月4日(金) ハンガリーの創氏改名

 ハンガリーにこれ以上住みたいだろうか。そう思い始めたのは、いっこうになくならないばかりか、日に日に激しくなる学校・スーパー・道路・住宅の差別攻撃にほとほと嫌気がさしてきたからだ。滞在許可証のためのアポイントは取れないし。

 例えば、大学の教授は僕の名前を絶対に正しくスペリングしない。「飯田」はローマ字で「Iida」と書いているのだが、最初の「I」を「L」にして「Lida」と書いたりして、必ずミススペルする。「I」を二つ並べて「IIda」とか。「Ryusei」は「Ryusey」にミススペルする。最初は目が悪いのかと注意力がないのかと思っていたが、全ての教授が必ずミススペルするのを見て流石に変だぞと考えた結果、こうやってマイノリティの名前をマジョリティの名前に書き換えることをindexical bleachingということを知った。つまりは創氏改名。なんだこいつら、クズじゃねえか。これを教授が(つまり大人が)やるというところにどうしようもなさがある。こういう大人を見て次世代の子供が育つのである。差別主義者の再生産。

 indexical bleachingのうんざりするところは、大の大人がこういうしょうもないことでしか憂さを晴らせないというくだらなさ。大人のくせに他人の名前すら尊重できないというみみっちさ。歴史から学ばない無知。ま、あんたらに僕の名前なんか呼んで欲しくないので、スルーしておく。でも、スペリングくらいちゃんとしろ。

 こういうことをすると、ハンガリー人の尊厳とか評判とかがガンガン下がると思わないんだろうか。ガンガン下がってますよ。誰も差別主義者と友達になんかなりたくないからね。お互いにリスペクトして話そうとしている時に一方的な差別攻撃をしてくる人に出会うのは、雨宿りに木陰に入ったら木の洞から大量のムカデが這い出てくるようなグロテスクさがある。あーグロい。しっしっ。

 他人を尊重できないハンガリー人の背景には、今まで尊重されてこなかったハンガリー人という自意識があるのだろう。しかし自らが尊重されたいのであれば、その自らこそ他人を尊重しないと。自分は他人を尊重することもできないのに、他人から尊重なんてされませんよ。今は馬糞並みの尊厳しか持っていないでしょうが、これから少しずつでも確実な尊厳を確立していかないですか、ねえ。