9月12日(木) 一度きりの出会いについての祝福

何度も顔を合わせるから良い関係とは限るものではなく、一度しか会わなかったけれど良い関係というものもあると思う。

大抵は、実際には出会いが繰り返されるものではあるのだが、一度会った人と再び会う保証がどこかにあるわけではない。日本の対人関係においては、相手が自分にとって大切な人であれば大切な人であるほど、その出会いの機会は一度きりのものだと思って接するように精神が動く。逆に言えば、「この出会いは一度きり。これが最後」だと思っているからこそ、相手を大切にできる。

この出会いは一回きりだと心がけて人間関係を築くことはとても日本的な接し方だと思うけれど、そう思って人と接する気持ちは、言語によらない...と思いたい。何度も会えると妄信していると、一度しか会えないと思っていたら決してしないようなひどいことを人はしてしまう。

味方を増やしたいものだが、あまりにもひどいことをしてくる人にひどいことをされるとこちらも身構える。ちなみにこのブログはハンガリーでも読まれていて、授業中に僕の書いた内容に近い内容が今までに5回くらい登場したのは偶然ではないだろう。読み物として読んでくれるのは、嬉しいと思う。しかし、僕の「日本語」や「考え方」を「分析」して「いじる」ためにこの文章を読んでる人は読まなくて良いですよちなみに。そう言う人のために書いてないので。

とにかく、ハンガリーの学生は日本の常識で言うと、「それやったら一発で絶交」なことをすごくやってくるため、警戒度が上がる。授業中に僕が何か発言しようものなら、「お前の言うことはわからない」と言って黙らせ、他のヨーロッパ人の発言だけ取り上げて授業を進める教授なんていうのも珍しくなく、普通にいる(この教授はハーケンクロイツを黒板に書いて文字の起源について説明していた。冗談のつもりなのだろうが、全く笑えない)。要するに、差別しても咎められないとわかるや否やどんな差別でもする連中が割といる。

他の場面では穏やかな人なのかもしれないが、たまに「威圧モード」にバチっとスイッチが入る人がいる。「威圧モード」になった人が相手のときは、説得も会話も不可能である。日本語で言うところの「キレる」と言う状態に近い。ハンガリーの人はわりとすぐキレる。キレてる人との建設的な会話が不可能なことは、よく知られている通りである。しかもそのキレ方が、「俺を舐めとんのか」(え?あ、はい、あなたのことは舐めてます)、「俺を崇めろ!」(嫌なこった)、「俺は偉いんだ!」(あーはいはい。)と言う種類のキレ方。いかにも「日本のおじさん」とそっくりなので、彼らによって幻想的な美しい中・東欧のイメージは無惨にも台無しに壊れてしまうので、やめてほしい。

「怒ること自体は良いけど、俺を立てないのが気に食わないとかそんな理由で、そんな浅い感情で怒るって、どういうこと?」と思うのが本音なのだが、そんなことを言おうものなら、火に油を注ぐだけだろう。