試験にもよく出題される題材の一つに、過去の習慣(past habits)を表す"used to"と"would"の使い分けがある。この使い分けの説明について、もしかして日本語を使う人は誰も文法を理解できていないのではないかと思うような例に出会ってしまったので、紹介したい。日本語の高校で使われるような教科書には大抵次のような説明がされている。
「used toは過去と現在との対比を含みとして使われるのに対して、wouldは個人的な回想の文によく使われる。」(英文法解説、第3版、江川泰一郎, p311)
これに対して、4年ほど英語を勉強した30歳の学習者が対象で、英語媒体の教材が説明する使い分け方は以下のようなものである。
'Would' is only good for actions or situations that were repeated many times;
'Used to' is good for any action or situation that continued for a period of time in the past, including repeated actions or situations. (BBC LERNING ENGLISH)
読み比べるとわかるように、日本語媒体の教科書と比べて、英語媒体の教材の方が説明が論理的かつ簡潔である。加えて、日本語媒体の教科書ではよく「used toは動作動詞と状態動詞どちらにも結合するが、would toは動作動詞としか結合しない」と説明されていることがあるが、これを理解する際にも、英語媒体の教材が教えるように「ある期間繰り返すのがused to、何回も何回も何回も繰り返すのがwould」と考えればなぜ状態動詞と繋がりやすくなるのか、きちんと論理的に理解できる。でも、日本語媒体のように「動作動詞/状態動詞」で説明する方法は論理的な説明ではないので、結局パターン暗記する羽目になる。
これはほんの一例で、それも基本的なレベルの文法知識にすぎない。しかし基本的なレベルであっても、どうも日本語媒体の高校の教科書の説明は、学習者に十分な理解を促すものと思えないのである。
僕は英語教育の専門家でもないし、文法の専門家でもない。しかし一人の英語学習者として、上に挙げたような説明を読み比べると、日本人は文法を全然理解できてないのではないのかと推測できてしまうことは免れない。(もし日本語の教科書でロジカルに文法を説明したものがあるのだとしたら、ぜひ知りたい。)
日本では英語の権威のような立場にある者たちが「文法の知識すらまともに持っていない」という事実はひどく気を滅入らせるものである。「定義が間違っていて」「文法の知識がない」という人が、さらに高度な文学作品を読み解くことなどできるのだろうか?(できないと推論するのが妥当である)
我々は正確な文法知識を最も欲している。なんといっても文法の学習は「無償」なのだから。