合気道のお稽古に行ってみよう、と思い立ち、インターネットで合気道のお稽古ができる所を探すと、小学校とギムナジウムを併設した施設でお稽古している団体があったので、ギムナジウムという所を見てみたいと思い、その団体を選んでお稽古に参加してみた。僕の稽古してきた合気道とはかなり違った。
僕は考古学の学者なのです、と言うおじいさんと組んで、稽古の後に名刺をもらった。ブダペスト大学の人文学部学長は考古学の先生だったような、と思ってネットで名前を検索してみたら、学長ご本人だった。僕が京都出身だと知ると、私の袴は京都で作ったんだ〜、と、嬉しそうに話してくれた。
ブダペストには日本好きの人が微妙に多く、やたら本格的な抹茶屋さんがあったりするので、「なんだこれ」と思っていたが、ハンガリーの偉い人の中に日本が趣味の人がおられたのですね。ありがたいですねー。
胸の内では、僕はELTE(ブダペスト大学)の状況は問題だらけだなあと思っている。学長様の合気道も、残念ながら、闘争心があまりに強く湧き出ていて、その結果として極めて男性中心主義的なマチズモ、力づくの様子があった。他の門人はそういう合気道を「これが伝統的な合気道だ」と言うので意味がわからない。ハンガリーではAuthenticという言葉を軽視することによってユダヤ教を信じる人を弾圧してシナゴーグを閉鎖したという記事を読んだが、そういう暴力に繋がりかねない。つまり、ハンガリーの人々は同じ間違いを繰り返しているのだ。もし、現在のELTEの教育について「これはジャパンの合気道の教えでもあるのだ」というような話になってしまうと(ならないと思いますが)、それはものすごく困る。それは違います。もしそれが「勝敗強弱を気にする」ものであったり、「技がかかる・かからない」を気にするものであるなら、それは僕がお稽古してきた合気道とは違う。そういうことを、僕の責任にしないでください(本当にやめてー)。だってそんなことになっているとは知らなかったのです。そして僕が好きなハンガリー出身の人たちは、みんなハンガリーを離れている。ユダヤ系SF作家の人も、ELTEを離れてアメリカの大学で先生をしている。
それにしても、何があったら合気道のファンになるのか。不思議だ。ハンガリーにおける考古学と、英米文学に相補的関係はあるのだろうか。別に全然関係ない気もする。さあわからない。