1/3(水)日本的な英語

 年末年始は温かいスープを作り、ダラダラとお菓子を食べながら浦沢直樹の『モンスター』という漫画を読んで過ごした。ELTE(ブダペスト大学)の先輩にあたるSF作家の人が最近『モンスター』のレビューを書いていて、気になったので電子版を買ってみたのだ。ヨーロッパで日本人として生きていくテンマ医師に若干感情移入する。

 秋セメスターでは、何人かの教授から「英語をできるだけ練習するように」と注意を受けた。英語の本を読むのは日本語の本を読むより圧倒的に時間も体力もかかるし、グループワークでなめらかに話すことがたまにできたり全然できなかったりするので、指摘そのものはその通りかなーと思いながらも、僕はモヤモヤする。

 ユダヤ系アメリカ文学の先生に「僕の英語力、足りてないでしょうか」と聞いてみたら、"You need to practice."とのお答え。 普通に考えたら"You need to practice (English)"という意味だと思うけど、Englishまで言わずpracticeで止めてくれたことに僕は感謝する。それが子ども用の英語の絵本でも、児童文学でも、SF小説でもポッドキャストでも、みんなイングリッシュ。Practiceするのは単に「円滑に話すための英語」だけではなく、もっと広くて大きくて深い何かなのだ・・・と僕は(勝手に)解釈した。

『モンスター』のレビューを書いたユダヤ系SF作家の人は日系アメリカ人を親にもつ人の小説のレビューも書いていた。その小説を読んでいると、もちろんネイティブ英語なので、一見すると普通の現代的なアメリカ英語のようなのだが、意外に日本的で、不思議な感じがする。こういう英語を読むことは、日本語が第一言語の僕にとって新しい可能性なのかもしれない、というふうに思った。

 ヨーロッパの人が話すような英語を僕が目指す必要は、特にない。日本語が第一言語の人が話す英語は、英語やハンガリー語が第一言語の人が話す英語とは単語の選び方やリズムが違ったものになるかもしれないけれど、その違いは必ずしも修正すべき間違いとは限らず、むしろ日本語話者が英語をクリエイターとしての立場から扱うチャンスかもしれない。日本語を第一言語とする人が英語を「母語」として扱うことは、夢物語に過ぎないだろうか。実際には、日本語と英語の間には日本語を第一言語の人のために用意された「空席」があるかもしれない。