11月4日 ハンガリーの卵

 ハンガリーの留学生活で一日に3回ほど、繰り返し思うことがある。「ハンガリーも、もう終わりか・・・」という思いだ。
 ヨーロッパの人の張り付いたような不気味な笑顔、トランプからもらった帽子を嬉々として被るオルバン、マス・メディアの役割を根本的に否定し、「メディアに必要性などない」と言うハンガリー男子・・・。どうにもならないくらい重たい問題に頭がクラクラする。
 日本だって例外ではなく、「日本ももう終わりだ」と思うこともあったけれど。考えようによっては、世界中のどこにいても、「もう終わりだ」と思うものなのかも知れない。ロンドンに留学していても、「物価が高い。ありえない。イギリスももう終わりだ」とか?
 しかし、ハンガリーで生まれ育った人が「ハンガリーは終わってよい」と思っているわけではないと思う。ハンガリーの行く方向に対して「やばくね?」となっているハンガリーの人は同じ講義をとっている人の中にも少なくないと思う。日本からハンガリーに来て二ヶ月やそこらの僕が「もう終わりか・・・」なんて言えるのは、生まれ育ちがハンガリーの人たちの、彼ら彼女らの絶望に共鳴したからである。
 The familiar stale smell of his poor country's misery.
(az isme-ros, áporodott szag, szegény hazajanak nyomorúsága.)
 ハンガリーの良き伝統は、どこかで途切れてしまったのだろうか。どう言うわけか、僕が読んでいるハンガリーの作家の本は、ハンガリーの人もよくわかっていない本らしい。そんなとき、ハンガリーの人たちは困惑しているし、英語の留学生の人たちは、なんだか頼りない。