日本には、「都市化された山」とでも言えそうなものがあって、山の中にさまざまなお寺や神社があり、そういった場所はかつては政治・文化の中心となり栄華を誇った。それによって数々の山水は洗練され、その美しさは街の中心からふと山の方を見るだけでその美と迫力を感じられるほどのオーラを放つようになった。
もちろん、日本にも「ただの山」があり、それはただの田舎であり、得体の知れないものであり、人間の営みと無縁のものであり、大して美しくもないところである。そういう「幼稚な自然」はヨーロッパにもいくらでもあると思うけど、そうではなくて、「世界の中心としての自然」と言いたくなるような山水を、そういえばブダペストで一度も見かけていないな、ということに思い当たった。
僕はヨーロッパの「幼稚な自然」に、文字通り魂を削られるような思いになる。不気味なほど子供っぽい草木。石造建築には莫大な資産を投じているのだろうが、自然の美しさに対して、どうせはした金しか使っていないことがよくわかる。自然を侮っている気がする。
鉄橋、お城、カフェ、電灯などの装飾は本当に見事で、石造建築はそこらじゅうに文化遺産があるような感覚で、日本なんか比にならない。ところが、一方でヨーロッパの草花の気味悪さが気になるのは、日本で山水の贅沢を知ったからかもしれない。