9/10 (日) 保守派はどこでも大問題

 ブダペストに集まる留学生がみんな反体制かというと、そんなことはない。どちらかというと保守的な人がわりといる。ブダペストに集まる留学生たちが各国の優秀な人たちかというと、そういうことでもない。なんだかよく分からない人たちが集まっている。
 ブダペスト到着から一週間以上がたち、僕自身は一時的な「旅行モード」から長期的な「移住モード」になっていき(実際にハンガリーに移住するかどうかはともかく)、さっそく人間関係で困っている。
 僕の部屋の前で毎日、スペイン人の集団(男はフットボールのユニフォームみたいなものを毎日洗濯もせず着ている)が騒いでいる。うるさいと注意してもあまり聞かない。
 ルームメイトはHungarian boyと聞いていたが、結局来ていない。ダブルルームに一人で住んでいる。
 白人至上主義というのは本当にあるんだなあと感じることは少なくない。白人男性の諸君がアジア人である僕を見る目つきは、基本的には「なめている」(もちろんみんなそんな連中ではないけれど)。「御しやすいやつ」と思っているように見える。ギラリと睨んでくる。
 彼らの醜い偏見がわかりやすく露呈しているという現象については、別にいいんですけど、それにしてもこわいなあと思う。
 フットボールのユニフォームを着ている人はすごくめんどくさい。ハンガリー首相のオルバンがフットボールが好きとかいうのも勘弁してくれと思う。フットボールの人たちはもう初手からアジア人を「舐めている」。キッチンは散らかして掃除しないし、他の寮生からも嫌われている。トルコから来た人も厄介で、爽やかな青年もいるのだけれど、ドン引きするほどのレイシストもいる。爽やかなトルコ青年から「ナルトとワンピースとデスノートが好きで、ずっと日本人の友達が欲しかったんだ」とキラキラした目で言われると、これからダークサイドに落ちていくルークを見ているような気分で、気の利いたことを言いたいんだけど、「はあ・・・」としか返事ができなくなる。
 はじめは「日本人ではない人」の表情を見分けたり会話のレトリックを見破ったりするのに手こずったけど、今はわりにシンプルに、「嫌な感じ」がしたらそいつはまず「仲良くならなくてもいいやつ」だし、「嫌な感じ」がしなかったら、仲良くなれるかもしれない、というくらいのもので、そこで人種や言語や文化の違いをいちいち分析する必要はないと思うようになった。
 そんなこんなで隣人と基本的にファイトしているせいで、ヘイ、ブラザーと呼び合うような友達はできていない。別にそんな友達を求めてないのだけれど。
 共同キッチンで居合わせたイランの人がフライパンで煮込んでいるスープからいい香りがしたので、美味しそうだねと声をかけたら、ちょっといるかいと言ってくれてお裾分けしてもらった。このスープはすごくおいしかった。なすと玉ねぎとトマトを煮込んだと言っていた。
 そういう、一瞬のご縁みたいな素敵な人間関係はちょこちょこ築けているけど、恒久的な友人関係になりそうな関係ではない。そもそも寮でそんな濃密な人間関係を築くという発想は僕にはちょっと考えにくいんだけど。
 アジア人を「御せる」という目で見る白人を見ると、まあがっかりするというか、そういうヨーロッパ在住の学生の「余裕のなさ」に結構びっくりする。長い歴史、洗練された文化、美しい音楽、美味しい料理、そういうものを、ヨーロッパの大学生はさぞ潤沢に楽しんでいるのだろうと思いきや、意外なことに、そういった精神的なリッチさにおいて彼らに対するアドバンテージは日本人の僕にもかなりある。
 それはともかく、うるさいスペイン人を避けてブダペストを散歩していたら、オペラの野外公演に遭遇し、ハンガリーの素敵な音楽を聴く機会に恵まれた。この演奏はなかなか良かった。悪いことがあったと思えばいいこともあるのが不思議である。
 ハンガリー政府の反LGBT法、移民排除の政策がニュースにもなって有名な通り、ハンガリーでは「異性愛」を無理矢理にでも成り立たせようという作戦がここかしこで実行されている。花火をバックに抱き合う男女の大きな垂れ幕。道端でキスしている男女(同意をとっているのか定かではない)。オペラのステージでも観客の一部男性はオペラ演劇にもそういうものを期待していて、一方でオペラ上演者たちがミソジニー男性たちにいかにして「水を差すか」、ということを試みているのが面白かった。 
 演奏会の後、お寺で嗅ぐお香のような香りの漂う「セイント・テレサ・オブ・アヴィラ・パリッシュ教会」というところに立ち寄った。この教会の地下には、百人か二百人かくらいの人の名前が刻まれた石板と、聖櫃が陳列されている回廊のような空間があって、なんだか見覚えのある空間だなあと思ったら、これは京都の鞍馬寺本堂の地下にある「地下清浄髪(しょうじょうはつ)奉納祈願所」に雰囲気がよく似ているのだ。お香みたいな香りもしたし、もしかしたらどこか仏教と関わりがあるのかもしれない。でも全然、根拠はないです。
 気遣い、という概念があるのかどうかすら怪しいスペイン人の集団は厄介だけど迷惑なので、しつこく注意してみようと思う。