8/16 ハンガリーの歴史

"By and large, don't listen to a loner preacher-man."

-Caitlin Moran, "What About Men?"

英語がだんだん上達してきて、英語の本を読む、ということがたくさんできるようになってきた。ちょうど読み終わったのはMargarita Morrisによる"Goodbye to Budapest"という小説。1950年代のハンガリーを取材した歴史小説で、ソ連共産主義がハンガリーの人々に加えた恐ろしい殺戮の数々が描かれている。ジョージ・オーウェルの"1984"に匹敵する恐ろしさだった。というか、残虐さでいうと、"1984"よりさらに残虐かもしれない。

僕が行く大学はEötvös Loránd Tudományegyetemという名前になっている。エトヴェシュ・ロラーンド(科学)大学、と読む。略称は「ELTE(エルテ)」。ELTEは1635年にPázmány Péter という神学者がスロバキアに開いた大学で、その後何度も名前を変え、キャンパスの場所も変え、1921年まで「ブダペスト大学」という名前だったのだが、それから「パズマニ・ペーテル大学」という名前になり、1950年に物理学者のエトヴェシュ・ロラーンドの名前を借りて再び名称を変更した(変更が多くて混乱する)。70年前になぜ物理学者の名前を使ったのか?もちろん、Atomic Bomb__核爆弾の脅威があったからだ。

エトヴェシュ・ロラーンドは1848年に誕生、1919年に死没。核爆弾の理論を予言したのはニールス・ボーアでそれが1939年 だから、少なくともエトヴェシュ・ロラーンドは核爆弾の開発に関わった人ではない。1950年、核開発競争の真っ只中に大学名を変更したのは、核開発競争以降の物理学を核開発競争以前の物理学と比較して風刺するという意図があったためだろうか?あるいはハンガリーの科学技術力を国内で向上させ、国外に示したかったためだろうか?1950年代、核爆弾の理論について計算ができる知識を持った学者は、僅かではあったが、ブダペストにもいたらしい。"Goodbye to Budapest"では、そんな優秀な物理学者が無実の罪で知人によって告発され、AVO(秘密警察)によって死に至るほどの拷問を受ける。

日本の人、というかハンガリーの大学生以外の人にとってあまり有名な事実ではないが、ELTEには実は私立大学の分校がある。「パズマニ・ペーテル大学」から「エトヴェシュ・ロラーンド大学」に名前を変えたのと同じとき、ハンガリー政府はELTEから神学部を分断し、神学部の人たちはPázmány Péter Katolikus Egyetem(通称PPKE)という名称をそのままにして私立大学を設置した。1989年にハンガリーで共産主義が崩壊したあと、PPKEは人文学部を設置し、さらに後になると社会科学、法律、政治科学、情報学などの学部を作ってPPKEの学問分野を拡張した。


外国から留学する僕にとって、このPPKEが関連するサービスはとても役に立ちそうだ。

Pastoral Serviceというものがあり、ELTEとPPKEが協定を結び、宗教的なグループプログラムや旅行・映画クラブを無料で提供している。

English and American Studiesというプログラムは1886年から続くので、PPKEにも同じプログラムがあることは当然だ。PPKEのサイトやフェイスブックを見ると、ハンガリーの人が使う英語教材などがオープンに紹介されている。ELTEのサイトを見ているとごちゃごちゃしていてとてもわかりにくいのだが、PPKEのサイトを見ていると、英米文学を志すということは「家芸」に近く、そこにはちょっとした仕掛けで隠されたコミュニティがあるのだ、ということがよくわかる。同じことは、同志社大学で英文学を勉強しながら強く感じたことでもあった。

Pázmány Péterのミッションを継承しているのは、どちらかというとPPKEの方なのかもしれない。