飯田龍成のハンガリー留学日記(渡航前)

7/2(日)

"Unlike any other creature on this planet, humans can learn and understand without having experienced." -Joe・K・Rowling

ハーバード大学の卒業式で、Joeは人間がもつ内面の力についてスピーチをした。JoeというのはJ・K・Rowlingのこと。ハリー・ポッターの原作者だ。JoeのLGBTQ+についての発言については価値観が古いと僕は思っている。しかしそれでもなお、僕は彼女の言葉を今も信用している。

僕が留学先にハンガリーを選んだとき、助けになった文学作品が一つある(本当はもっとたくさんあるが、主にこれ)。 "Moby Dick"だ。日本からの留学先でメジャーな国といえばアメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリス、フランス、ドイツなどだと思う。もちろん僕はメジャーな国への留学も検討した。これらの国とハンガリーの大きな違いは、ハンガリー政府奨学金がとれれば学費も生活費も支給されるということだ。皿洗いをしながら白川寧々さんという人がこのことをYouTubeで発信しているのを聴いて、 "MobyDick"のあるセンテンスを思い出した。

"The act of paying is perhaps the most uncomfortable infliction that the two orchard thieves entailed upon us. But being paid--what will compare with it?"

よし、ハンガリーにしよう。学費が年間300万とか900万とかするイギリスやアメリカの大学はMoby-Dick的に言えば "the most uncomfortable infliction"に間違いない。ハンガリーに行けばお金を払うどころかお金がもらえるのだ。

ちなみにこれ👆を大学の面接試験で言ったら、試験の翌日になるはやの合格通知が来た。こういうモチベーションはわりとハンガリーの教授の好みだったらしい。

ハンガリーのブダペシュトにある大学に正規学生として受け入れの目処が立ったとき、僕にとって、日本国外に出るタイミングはいつがベストだったのだろうか、ということを考え始めた。僕は現在すでに20代前半になっていて、もっと早く日本を出てもよかったのかな、と思う。どうしてそんなことを考え始めたかというと、海外大学進学の手続きをこなしているうちに、とっくに国外に出る準備ができている自分に気がついたからだ。では、どれくらい早くに?

高校生のうちに海外大学を目指し、高校卒業の時点で日本を出ればよかったのだろうか。中学生のときに合気道を稽古し始めたとき、もう準備はできていたのだろうか。小学校四年生のとき漫画家になるというよくわからない決心をしたときだっただろうか。それとももっと前に日本を出る準備はできていたのだろうか。

タイミングを間違えたのかなどうなのかなと考えていたとき、Joeのスピーチが僕の暗い悩みに光を照らした。ハリー・ポッターを読むことによってスコットランドで学ぶ学生になることができることと全く同じように、人間は、実際に飛行機に乗って国外に出なくとも、国外に出ることができる。リストのハンガリアン・ラプソディーを聴いているとき、またベーラ・バルトークのルーマニアン・フォークダンスを聴いているとき、僕の魂はすでにハンガリーにいる。同じことだ。

とにかく、ベストなタイミングがいつだったにせよ、白川寧々さんの助けを借りて、実際に僕がハンガリーに留学するのは2023年の9月からだ。白川寧々さんは僕と全く面識のない人なのだが、YouTubeを見た後にMessengerのDMを送ってみたら海外留学とキャリアについて色々教えてくれた。寧々さんのYouTubeと本を見れば、海外大学に進学する方法は一通りわかるので、興味がある人はそちらをチェックしよう。

日本の大学はカリキュラムが緩いのであまり勉強をしなくてもいい。ケンブリッジから交換留学に来た知り合いは日本の学生生活は「休学みたいなもの」と言っていた。それはそれで問題だと思うが、その緩さのおかげで素の自分と向き合う時間ができたことはありがたかった。ルース・ベネディクトが『菊と刀』で指摘した通り、日本で最も自由が与えられているのは幼児と老人であり、若者は強く抑圧されている。精神的にも身体的にも成熟した14歳前後のとき、通っていた学校がどう考えても自分に合っておらず、自分に何が起こっているのかよくわかっていなかった。大学に入って余裕ができたことをきっかけに、今まで気がつかなかったことが少しずつ見えてきた。どうやら日本は、僕が好きなものを犠牲にするように設計されているということがわかった。僕だけではない、この国はたくさんの才能ある人たちを犠牲にしている。誰かを犠牲にするとか、自分が誰かの犠牲になるとか、ありえないことだ。

「人材を大切にしない国が衰退するとかものの見事に自業自得なんでほっときましょう」

寧々さんの言う通りだ。Szia、ジャパン。

今はブダペシュトのNew York Caféに行くのが楽しみだ。