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嵐の一年をふりかえり

2005年1月1日
あっという間に、2005年を迎えました。
皆さんは、昨年はどんな年だったんでしょうね。
私は、忙しい年でした。
それは、仕事が好調で大忙しで忙しいという内田先生とは、全く意味が違います。
生きるのに必死で、あと公私ともに忙しかった、というかせわしない1年でした。

1月に博論審査を受け、3月末まで学位が認定されるまでどきどきしながら、片付けや来年度について翻弄され、4月は無職で吐きながらぼろぼろになり、5月はアルバイトが決まったのと、いろいろ私事により引っ越しをして、夏まで、片付けしながらばたばたしていました。
9月には、親友の結婚式のためどたばたスペイン旅行と、わずかなホスト・ファミリーを訪ねに久し振りにスウェーデンに帰り、その後京都映画祭など、あわただしく過ごしたと思ったら、10月1日に最愛の祖父を亡くしてしまった。
それからは、喪に服しながら、出来るだけ、祖母の家に泊まりに行きながら、京都と往復、あるいは、祖父と約束した来年度の初能のお披きのために、稽古を専念。
喪が明けてからは、それまで後回しにしてきた問題を片付け始めたら、12月になる頃は倒れそう。
その間、日本及び地球上では、災害、戦争、犯罪の嵐。
とうとう27日にはコントロールできないほどの、自律神経失調に陥り、職場で笑いながら、トイレで吐き続け、本当に寒くなったのか、自分に震えが来ているのか判断不能状態。
京都から帰りに携帯メールの返信をしようとすると、わざと前後に大きく手を振っているほど大きく、がたがたと手が震えてしまい、止まらない。
もちろん、字も書けないし、メールのためにキーも押せなかった。
あ、その前に、雲の合間にでる月の光が強くて、津波を思い出して「月が怖い」と眺めながら歩いていたために貴重なバスを逃して、ものすごい寒い思いをしてバス停で凍えていたなあ。
昨年は祖父が亡くなったので、母と「もう今年はお節を作らないね」と話していたのだが、当のほぼ70年苦楽をともにした連れ合いの祖母が「お正月食べるものがないから、お祝いはしなくてもお節料理は作って」と言い出したので、あわてて、献立をした。
仕事納め、忘年会が終わり、翌日買い出し。
そして、いつもと変わらず30、31日とお節づくり。
31日の昼前、何年ぶりかぼた雪が降ってきて、「暖冬と思ったけど、漸く冬らしいなあ」と思いながら仕上げる。
あー、しんどかった。
今年は、作る気分でもなかったし、かなり品数も減らしたので、例年よりは楽なはずだった。
だけど、気分の問題が大きい。
いろいろなちょっとした小技や下ごしらえなどを忘れてしまい(わざと怠ったのではない)、出来上がってみた段階で、「あー!!しまった!!」と思うこと多し。
どうもアカンなあ。

ということで、昨年は嵐のようでした。

喪中のため、新年の挨拶は遠慮させて頂きます。
とはいえ、時間は止まらず、2005年です。
何が起こるか、分かりません。
不眠症脱出の夢も、昨年の近親者の死で危うくなっています。

でも、どうにか運命に翻弄されながらも、邁進していきたい所存です。
今年の5月27日(日)(だよね)は、下川正謡会の大会です。
初能「船弁慶」をお披きさせていただきます。
それも併せて、今年もお付き合い頂き、ご指導ご鞭撻をお願い致します。

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2005年01月02日 11:10に投稿されたエントリーのページです。

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