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10月20日 は!?

10月20日
は!?
何かとばたばたと過ごしており、その一方で心ここにあらず状態を続けていると、20日になっていた。
祖父について語らなければ、なんとなく自分が壊れそうな気がする。
しかし、語りすぎても、まだ近くで見守ってくれている祖父に何か失礼があってはとためらってしまう自分がいる。

とりあえず、朝の挨拶にお参りしてこよう。
お寺さんが来るまでには、まだ時間があるのだから。

おはようございます。
またもや、台風直撃ですか。
よう、来ますな。

昨晩は、祖母の家に泊まった。(祖父母といってしまう自分がいるがかめへんか。)
皮肉な事に、祖父が亡くなってからの方が泊まっている回数が増えている気がする。
もう、言ってもしゃあないのだがやはり、このぐらいの調子でもっともっと泊まりに来るべきだったのだが、遅い。

私は熱心な信者でもない。
ほとんどイベントの感覚で、寺社仏閣、教会などを訪れても、その事について深く考察したり、信仰した事はない。
なので、一体どうやって振る舞っていいのか、少々戸惑っている。
うちは浄土真宗なので、ほとんど何もしなくていいという。
その何もしなくていいという事すらよく分からない。
ただ、見よう見まねで、祖父の遺影とお骨、戒名などがまつられた祭壇の灯をともし、巻線香に点灯し、お水をかえ、朝のお茶をお供えし、いつも読んでいた新聞を備える。
「おはようございます」と語りかけても、もちろん何も聞こえない。

ずっと、さまざまな思いが巡っている。
私がヨーロッパに遊びに行くと、実は偶然にも近親者が亡くなっている。
例外はフランスの語学留学+αの時だけだ。
スウェーデンに留学したときには、大叔父が事故で亡くなった。
(偶然だが、よくして下さった知人や昭和天皇、ダリや美空ひばりも亡くなった。)
次にスウェーデン及び留学時代の友達を訪ねて外遊したときには、父系の祖母を亡くした。
入院中であり、旅行に行く前に挨拶に行き私を認識したのが、意識が最もはっきりしていた最期であったとも聞くが、帰国しようかという私の問いに対して両親はその必要はないといったために、私は葬儀に参加していない。
そして、この度、またもや留学時の友人とスウェーデンへ旅行し、帰国すると驚くほど祖父が弱っていた。
私が帰国して、ちょうど2週間後に祖父は逝去した。
9月末に台風が直撃し、運悪く同時に私の身辺にも大嵐が起こり、そのために翌日自分の事で頭が一杯になって、毎日祖父を気遣って電話なりしていた行為を怠った次の朝、祖父はこの世を去った。
私の動揺はただならぬものであった。
なんで、その日に限って。
なぜ、あの日に起こったのか?
すべてが自分の業の気がして、お骨になるまで泣きに泣いた。
親友は、宗派は違うが「お骨になるまでは泣いてあげる事が手向けになる。けれども、お骨になってしもうたら、もう泣いたらアカン。死者の霊を留める事になるから、心残りを作る事になるから、涙はずっと連れ添った祖母だけのためにしてあげ」と慰めてくれた。
この解釈が、正しかろうとそんな事はどうでもいい。
それ以来、祖父の遺影の前では泣くのをやめた。(こらえる事はあっても)
49日の意味もよく知らない。
勝手な解釈(調べればいいのか)で、49日が過ぎて漸くあの世に霊が渡るのであるのなら、49日は11月17日に当たる。
私の誕生日の翌日だ。
見守ってくれるのだろうか。
強引な思い込みと偶然だとはいえ、私は縁の深い孫だったのかも知れない。
そう思わなければ、やってられない自分がいるのだ。
死と自分の行いを結びつけていたら、罪悪人になると親友に言われたが、私は自分が極悪非道人である事が身に沁みて、自分に都合のいい解釈を施してバランスを保ちだした。
こうして、泊まりに来るのもその一つ。
七日七日のお参りに参列するのもその一つ。
罪滅ぼしにならんかもしれん。
でも、そうでもせんと落ち着かないのだ。
最も近しい人を亡くし、その一連の祭儀に立ち合い(今もそうだが)身近にその事態を受け入れる事は、私にとって初めての体験といってもいい。
ただ、ひたすら事態を受け入れるしかないのだ。

まだ、起きてこないが、ずっと気丈に振る舞っている祖母も心配である。
薬を変更して、だいぶんと楽になったそうだが血圧が高くて、しんどいそうだ。
仲のいい夫婦ほど追いかけるに・・・という話を聞く。
フェリーニとジュリエッタ・マシーナのように。
他人の話だとまるで美談のように聞いていたが、とてもじゃないが今の私はそんな状況が訪れてほしくない。(それこそ受け入れられないだろう。)
あ、起きてきたようだ。
挨拶してこよう。

昨日からの雨で、キンモクセイの花が散ってしまい、オレンジの絨毯みたいだ。
ほのかに香りだけが残っている。

一気にため込んでいた思いをつづったが、別に毎日毎日ふさぎこんで引き籠もり、うちひしがれて呆然と過ごしていたわけではない。
どちらかというと、ものすごく活動的に過ごしてきた。

葬儀の翌日、以前から取っていた「平成中村座」を通しで観に松竹座に行き、次の日はかねてからの約束通り、ぷち・宴会をし、翌日も以前からチケットを取っていた町蔵のライブにも出かけた。
日文研にも、なんとか通い、仕事や研究報告も一応こなし、お稽古も行き、手裏剣も打ち、読書会も、食事会も積極的に参加してきた。
さすがに体力持たず、倒れたり、微熱が続いたり、挙動不審(あ、いつもか)な事もあるし、チケットが入手できなかった「中島らも追悼ライブ」に当日券で並ぶ根性もなく、友人の発表や講演会も逃したが、別にこれも普通の事である。

しかし、人の心を映すのか?
家に帰ると、何となく家がすさんでいる。
このままでは、新たに研究の一歩が踏み出せないと危機感に陥り、精力的に資料整理と掃除を開始したのだが、なぜか余計に散らかっていくように見える。
うーん。
要領が悪いのか、それともなんだかんだと出かけてしまうために、資料整理が常に中途半端な状態で放置されているからだろうか。
そうか、頭が悪いんだ。

今日は午前中にお寺さんが来た後、お稽古の予定なのだが、台風でいけるのか?
まあ、中止なら中止で、家で大人しく片付けをしたい気もするが。
やる事をリスト・アップしないと、もう頭のキャパを超えている。

私が自分の思うとおりに出来ずにぐずぐずしているのを、祖父の死への哀しみとスリ違えたは、それこそ叱咤されるであろう。
そう、今こそ立ち上がらなくては・・・

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2004年10月21日 22:14に投稿されたエントリーのページです。

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