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2004年06月 アーカイブ

2004年06月10日

ちっこい弁慶の六月

6月9日
朝から自己嫌悪。
ハイ状態が切れて、ローに戻る。
まあ、人前では気丈に普通に振舞える気力はあるが。

わあわあわめきながら?狂人のように言動不明。
仕事の傍ら、馬鹿話をしながら、1日が過ぎていく。

17時前に、あわてて「変体仮名講座」の予習。
またもや話を脱線させるようなことを言い、皆様の邪魔をして過ぎていく。
すまない。

先週、あれほど文句たれとったくせに、身体の調子が悪いのでカイロプラティックに行く。
小心者なので、あの疑念を先生にいうたわけではない。
けれども、きっと最後の先生の忠告なのか、理屈なのか、話をまともに聞いておらず、明らかに嫌やっていう表情と言うか態度になっていたのだろう。
今日は、いつものように「体調はどうですか?」などいわはらず、ただもくもくと整体を始める。
まあ、ええねんけどね。
ただ、あまりにも痛かったので、「いででっ」とおっさん様な声で叫んでもうた。

家に帰ってから、放心状態。
あかん、あかん。
せなあかん事は山ほどあるねんから。

今日は服の選択を間違えて、阪急、バス、仕事場で思いっきり冷えてしまった。
なので、まずは身体を温めようとお風呂にゆっくり入る。
ふう。
メールの返事を書いたり、調べ物をしたり、整理をしたりしていると、もう1時やん。
あわてて薬を飲んで、こうして書いておるのだが、眠気がこない。
何かをしているから、眠気が来ないのか?

寝る努力をしませう。
おやすみなさい。

6月8日
自由参加なのだが、今日も共同研究会。
さすがに疲労がピークに達してきたのだろう。
5時間は眠っていた。(服薬はしてますが)
暑かったのか、朝起きるとじとっとパジャマが湿っていて気持ち悪い。
早く家を出ようと思っていたのだが、ソファに座り込み、判断停止。
身体機能停止。
痴呆状態に陥る。

漸くたどり着き、日文研内をうろうろしながら、1日が過ぎていく。
ハッと気がつけば、7月末までに私はあほのように予定を抱え込んでいる。
おいおい、大丈夫なんかよ。
あかんやん。
ほんまに計画性あらへんわ。
あほはなおらんわ。

とりあえず、もうどないしょうもあらへんので、考える暇があったら、優先順位(それは期限のリミット順)を把握し、目の前のものを片付けるしかないわ。
そのためには、本を片付けなければ資料が使われへん。
どないするん?
ケ・セラ・セラ??

6月7日
疲れすぎて、よく眠られなかった。
そんなことは言うてる暇なく、今日は共同研究会。

だが、疲れすぎなのか、昨日ほっとして下手に緊張の糸が切れたのか、明らかにおかしい。
反応が怪しい。
アドレナリンが分泌しすぎたのか、少しハイな状態。
言葉が脳に伝達されて認識する時間がどうも遅いようで、反応するのに、一瞬間が空く。
すなわち反応が鈍いし、不自然なのだ。

それでもちゃんと研究会は出ました。
ううん。
理解力が落ちている。

しかも、来月の研究会の発表者に指名される。
先生には逆らえない。
人聞き悪いな、訂正。
先生の親心がわかるので、うーんと悩んでいたのだが、今日は判断力が鈍ってしまっていて、そのまま気づけば承諾状態になっていたのだ。

なんだかよくわからぬまま、懇親会にも参加。
口先だけが先行して、遅れて脳で認知する恐ろしい状態。
あらららら。
自分でまいた種は刈り取らない無責任振りを発揮。
いつものことやん。

6月6日
疲れました。
朝5時起き(まあ、いつもそれぐらいに起きてるんやけど)で、準備をして、楠公さんに向かう。
念願の着物に手を通して、ちょっと嬉しい。
素謡『通小町』の出番待ちの間、内田先生の壮絶な病床日々の話を聞く。
「極悪非道な細菌でさ」という表現が先生らしい。
緊張しながら、なんとか素謡終了。

見所(客席の事ね)に走っていって、飯田先生、ウッキーの初舞台を見る。
ほお、恐るべし新人。
どうどうとして、余裕があるように見える。
これからが楽しみだろうな。

なんだかんだとばたばたしながら、とうとう舞囃子の出番が。
囃子の先生、地謡の先生に挨拶。
弁慶なのだからどっしり舞わなくてはならない。
弁慶にしてはちっこいし、貧弱やねんけど。
落ち着いて、落ち着いてと言い聞かせ、昨日の注意点を思い出し、ひたすら舞う。
実は一箇所危なかった。
間違えたのではない。

舞台から戻ると、「結構でした」と下川先生に言われ、囃子方、地謡の先生に「ありがとうございました」と深々と頭を下げる。(立ったままではないよ)

いささかほっとして、後は見所で他の方の謡や舞を見たり、裏方の手伝いなどに奔走したり、見に来てくださった方に挨拶したり。

世話役の娘であり、上達度はさておき、お稽古年数も結構長い私は、いろいろと先生に言われて雑用もしなくてはならない。
世話役補助の状態である。
そんなわけで、結構あちらこちらうろうろしていると、全く知らない方々から「先ほど『安宅』を舞われた方ですよね。結構でしたよ」などお褒めの言葉をいただき、さらに自慢の着物も褒めていただき、なんだか嬉しい。
そら、昨日まで泣いていたんだから。

文字通り、大会終了後打ち上げ。
日本の悪しき習慣ですが、やはり皆様にお酒をついで回るのも私の仕事。
そういえば、しょうもない心理テストをやったとき、私のホステス度は100%やったなあ。
まあ、接客業は何年かやっていましたからねえ。

家に帰ると、茫然自失。

6月5日
さすがに、午前中の研究会は欠席。
体力的にも、ちょっと限界。

お掃除して、いい加減片付けなくては、研究が進まないと本棚に着手。
とはいえ、時間がなくて、棚を組んで終わり。

こんなに本番が押し迫り、締め切りも押し迫っているというのに、やはり研究のためと、昼から懲りずに映画を見に行く。

文博につくと、なんだか混んでいる。
ああ、そうか。
今日は「新選組!展」の初日だったのか。
TVの影響は強い。
こんなに老若男女集まるのだから。
群がる人々を押し分け、映像ホールに滑り込む。
ほぼ満員。
しかし、中には、「新選組!展」の流れで、何を上映するのかわからず紛れん込んでいる人もいる。(私の隣の二人がそうやった)

今日は『維新の曲』。
1942年、戦時下に政策で統合され出来上がった大映の記念すべき第1作。
スター陣を集めた力作。
なのだが・・・力作過ぎる。
あまりにもてんこ盛りにしすぎるので、どこに話の焦点が置かれているのかよくわからない。
この映画についていろいろ書きたいのだが、もう遅いし、明日は本番だし、疲れているのでまた後日。
そうだ、『江戸最後の日』は1941年でした。失礼。

なぜ、疲れているのか?
それは、京都から最後のお稽古に行って、しごかれたから。
泣きそうである。
着物に着替え、舞のお稽古。
拍子の間が悪い。
扇の使い方、身体の遣い方が悪い。
と、集中的に部分的なところを繰り返しやりなおされ、また通して2回目を舞う。
今度は、男舞が終わってキリの仕舞に入る導入部が微妙に違うと、なおされる。
ええ?この1年そんなところ一度も指摘しなかったやん。
そんなあ、突然前日になおすなんて。
もちろん、先生もその辺りは心得ていて、「今日なおしたから、身につかないので、そこだけやり直し」といって、ほんの一所作なのだが、「もういっぺん」と繰り返し、10回以上はその所作だけを繰り返しお稽古。
そして、さらに3回目の通し稽古。
今なおされたところに気が集中してしまって、その前になおされたところがおろそかに。
暑いのか、冷や汗なのか、汗だくになる。
結局3回目も満足に舞えず、また部分的な集中稽古。
やればやるほど、パニックになってどんどん間違える。

不安と稽古疲れでふらふらである。
はあ、はよ服薬して寝なあかんわ。
前日になってこんな状態で、明日大丈夫何やろか?
しくしく。

6月4日
日文研に今日も通う。
ばたばた。
どたどた。

16時にダッシュで、お稽古場に馳せ参じる。
息を切らしつつ、着物に着替え、早速お稽古。

2回やり直されて、さらに細かい箇所をなおされる。
さらに謡の稽古。
これで、本番は間に合うのか?

実家に直行して、本番用の着物の準備。
実は、今日のために昨年夏に購入していた着物があるのだ。
嬉しいな。

もちろん自分で買ったのではない。
買うてもろうたのである。
昨年の夏、一目ぼれをした着物と帯。
「絶対博士号取るから、記念に買うて」とまだ草稿しか提出していないくせに、豪語してねだった。
それほど、気に入ったのだ。
約束として、学位が通るまで袖を通さない。
学位授与式に着て行こうと目論んだが、雨のため断念。

明後日が、初おろし。
楽しみやわあ。

6月3日
夕方お稽古に行かなくてはと思い、少し早めに日文研に通う。
黙々と作業。

そろそろ帰らなければ、と支度を始めると母より携帯に連絡。
今日のお稽古はもう終わったので、代わりに土曜日(前日やん)に稽古するから、と先生からの伝言。
ああ、どっちにしても稽古が必要なんや。

仕事が滞っているので、結局定時まで作業。
後輩より酒をもらいて、うれしそうに帰宅。

やることが多すぎて、優先順位がわからない。
困惑。

6月2日
朝から日文研に通う。
なんとなく、気分が優れない。

割り切って、仕事に取り掛かる。
そうだ、なんか楽しい話題を作ればいいのだ。
そう思って、知り合いに「今度の松竹座である海老蔵襲名披露を観にいきませんか?」と誘う。
来週チケット発売なので、それまでに候補日を考えるとの前向きなお返事。
一つ楽しみができた。

昼休みは相変わらず院生室に入り浸り、研究生と話し込む。
いや、正確に言うと、彼の研究についていろいろ教えてもらっていた。
興味深い。
時間があれば、1日中話してしまいそうだ。

午後に仕事に戻ると、ため息の出るメールが・・・
ボランティアでやっていただいているので、文句を言うと罰が当たるというものだが、今日も「変体仮名講座」が、先生がご多忙なために突如中止にして欲しいと連絡があったのだ。
まあ、またもや予習ができていない私にとっては命拾いなのだが。

院生室に連絡に行くと、ちょうど参加予定の留学生たちがお互いテキストの「変体仮名」を読みあって、予習をしているところだった。
それも、すごい風景だな。
「皆さん、悲しいお知らせです。今日は中止になりました」と言うと、溜息と歓声の入り混じった反応が・・・
なるほど、予習してきた人と私みたいにサボっていた人がいることね。

講座がなくなったおかげで、早く帰ることができる。
体調いまいちなので、ありがたい。
やらなくてはならないことが山積みなのだが、どうしてもうまく進まない。
今は、体調を整えることが先決か?

カイロプラティックに行くが、なかなか改善されない。
運動不足というのがやはり大きいのだろう。
だが、今かかっているカイロプラティックの先生は、最近うるさい。
理屈っぽいというか、とにかく生活のことにやたら口を挟む。
つまり、私の調子がよくならないのは、身体のゆがみからではなく、生活習慣のせいだと。
薬を止めろだの、酒を止めろだの、栄養素をバランスよく取れだの・・・
確かに言うことは最もである。
しかしだ。
薬王国にしてきたのは、あんたたち医者や薬物開発してきた人じゃないの?
ただ今の健康ブームがいい例だが、やれミネラルだのビタミンだのというけれど、現在の状況で、本当にバランスよく栄養素をきっちりとり、無農薬など無害な食材を買い求め、足りない分はサプリメントでさらに補うといった、そんな生活が健康的なのか?
まあ、仮にそういった生活を志そうとすると、一体どれだけのコストがかかると思っているのだ?
カイロプラティックだって保険が利かずに高いのに。
そんな理想を並べられても、金と余裕がなきゃ出来へんのが、現実やろう。
自分で取り扱っている製品を押し付けるようなその態度自体、あんたの儲けになるだけなんちゃうん?と疑念を抱く。

ああ、自分で書いていて、そんな自分に自己嫌悪。
己自身に吐き気がするわ。
怒りをぶちまけるのは発散という意味ではいいのかもしれないが、そういった負のエネルギーって、悲しいことに必ず自分に跳ね返ってくるんよね。
こうやって、さもしい惨めな気分に陥没。
だったら、思わなきゃええのに、愚か者。

6月1日
最悪の1日。
先日、先生より痛いご指摘を受けたところなのに、それも実行できぬままとうとう5月が過ぎ、6月に突入。
自分に言い訳しても仕方ないのだが、やはり大会が終わるまでは無理。

今日は申し合わせ。
朝早く目が覚めた割には、腰痛がひどく、おまけに貧血でふらふらになっている。
だるい。
もちろんそんなことは言っておられん。
朝一で耳鼻咽喉科に行き、少し量は減ったとはいえ、まだ抗アレルギー剤や吸入薬は続行される。
途中、急に仕事の連絡が入り、その連絡に奔走されながら、湊川神社にかけつける。

芸事は無心でやらないとあかんね。
何年も舞台を踏んでいるにもかかわらず、出番の前には脂汗が出て、胸がばくばくする。
緊張しているのか、調子が悪いのか判断不能。
私にとってはもったいないプロの囃子の先生方に挨拶。
どの先生も、何年も前から私の拙い舞に付き合ってくださっている。
初対面でもないのに、何でこんなに調子が合わない?
結果は、間違えるし、謡を聞かないし、ぼろぼろ。
もちろん、下川先生には叱られる。
終わってから、帰り際にもさらに念を押すように注意され、叱られる。
しかも、体調も整えていないとは何事だ、とまで言われる。
体調が悪いなんて言い訳していないのに、なんで分かったんやろう?
ふう。

そういえば、内田先生が週末より高熱を出して倒れているそうだ。
もちろん申し合わせに来られる状態ではない。
実際の舞台で舞うときの囃子の先生方と一度だけのリハーサルであるから、代わりに下川先生が舞って、テープに吹き込む。
(みんな、このテープで最後の稽古の仕上げをするわけである。)
下川先生より、このテープを届けて欲しいと頼まれる。
まあ、申し合わせで神戸にいて、先生は芦屋に住んではるし、私は尼崎なので確かに帰り道ではある。
とりあえず、自宅で寝てはるであろう内田先生に電話をして、マンション名と号室を聞いて、届けに行く。
といっても、下のポストにほおり込むだけで、見舞いもせずに帰ってしまった。
寝ていはったら、わざわざ出てきていただくのも申し訳ないし、内心、「うつされるのもかなんな」といった非情ぶり自己中な心もなかったわけではない。
ふてえ野郎で申し訳ない。

すっかり、意気消沈して、家に帰り、反省をしながらニュースを見ると、気分の悪いニュースばかりだ。
カッターで頚動脈を切るだと?
まあ、このところの世の中を見ていると、こういう事件はいつか起きると思っていたけれど。
それにしても、メディアの取り上げ方も、問題があるのでは?
痛ましい事件には変わりはないが。
みな、狂ってるね。(もちろん私も含めて)

5月31日
とうとう大会まで、1週間となってしまった。
土曜日を除いて、本番の日曜日まで今日から毎日稽古日である。
正確に言うと、明日は稽古日ではなく、申し合わせ(リハーサルね)なのだが。

自分のペースを整えるために、基本的には月曜日は自分の時間に当てることにしているのだが、明日お休みするため、今日は振り替えて日文研に出勤。

どうも、仕事の要領を得ていないのか、バタバタと1日が過ぎていく。
お稽古があるので、4時に出て、御影に向かう。
日文研からだと2時間以上かかる。

『ぴあ』の発売日だったので、駅の売店で購入し、長い移動時間の間、様々な情報をチェックしていく。
すると・・・
フジ・ロック・フェスティバルであのルースターズが、たった1日だけライブをするという。
ええ?!行きたい。
大江慎也は見たが、実は恥ずかしながらルースターズは生で観た事がなかったのである。
かつてのメンバーでやる幻の公演になるらしい。
そんなあ。
なんでよりによってフジ・ロック・フェスティバルなん?
どうせなら単独ライブでやってよ。
九州でも東京でも行くから。
のたうちまわって他の出演者を見ると、これがまたレアモノというか、懐かしいというか、よだれものの出演陣が。
それとは別のロック・フェスティバルでは、ザ・フーとかポール・ウェラーとか、ああ挙げるときりがない!
とにかく、この夏の日本における大型のロック・フェスには、私にとって血が騒ぐ人たちが目白押しで来日・公演する。
なんで今頃あなたたちが?という気もしないでもないが、とにかくそうなっているらしい。
来日の話はないが、そういえばモリッシーも7年ぶりだっけ?アルバムを発売したし、春頃だったか、パティ・スミスもまた新譜を出していたよな。
あああ、行きたい、行きたいけれど・・・
大体、こういうでかいイベントものはチケット代が高すぎる。
そりゃ、一度にたくさん観られるのだから当たり前といえばそうなのだが、その分、それぞれの持ち時間だって制限される。
それに例えば10グループ出るとして、観たいのが3~4グループだとすると、順番もわからないし、新たな出会いがあるかもしれないが、もしかしたら後は「どうでもええからはよ終わってや」と思う場合だってありうる。
フジ・ロックは一度行ったけれど、4ステージ同時並行にライブが行われるので、詳しい情報がない段階では、行ったはいいけれど、同じ時間に別のステージでライブをされて、結局選択を迫られて2グループしか観られなかったという悲しい結末だってありうる。
泊りがけで高額だからなあ。

以前の私なら、きっと迷わず梯子して観にいくだろうが、今の私は経済的状況などあまりにも苦しすぎる。
そんなことしてる場合かよ?と耳元でもう一つの声がささやく。
しかし、生の舞台は一度逃すと二度と体験できないのも承知だ。
悶絶しながらお稽古場にたどり着いた。

気持ちも切換え、咳も大分おさまったし、今日は卒なく稽古をこなす。
このぐらいで本番を迎えられたら、私にしては上出来だろう。

それにしても、邪念渦巻く悩ましい夜だ。

5月30日
アダム・クーパー観たさにミュージカル『オン・ユア・トゥズ』を観にいく。
フェスティバル・ホールだったのだが、残念ながら席が端っこの前の方だったので、段差が無く、低い姿勢になると前の他人の頭で舞台が見えない。
まあ、友人に頼んで、任せて一緒にチケットをとってもらったので、文句はもちろんない。

実は、「この公演はいまいちかも」と既に観にいった友人より聞いていた。
私はアダム・クーパーをビデオでしか見たことがない。
友人は売れる前から彼のファンだったし、自身もバレエをやっているので、視点が違うかもしれないが。

それにしても、ミュージカルを見るなんて、おそらく高校以来だろう。
その後、ミュージカルよりも舞踊・舞踏の方に興味が移ってしまったからだ。

生で見るアダム・クーパーはでかくて、スタイルがよくて男前で、観客の大半が女性客で占められるのは、確かにうなずける。
しかも、動きがしなやかだし、タップも踏んだり、バレエとは違うダンスの部分も披露できるし、歌も歌うのだから、すごいと思う。
だが、友人の言いたいこともよく分かった。
友人は、ミュージカルというもの自体をほとんど観た事がないと言っていたから。
ダンスの専門家に怒られそうだが、バレエとミュージカルだと、私にとっては能楽と歌舞伎ぐらいジャンルが違う。
能楽も歌舞伎も「歌謡劇」だから、この喩えはよくないが。
友人は名言をしていた。
「名プレイヤーが必ずしも名監督になれるとは限らない」と。
今回のミュージカルは演出も振付も主演もアダム・クーパーになっている。
アダム・クーパーを見る分には、申し分ないし、堪能できるだろう。
けれども、いかんせんストーリー(演出というべきか構成というべきか)が浅いというか、つまらないというか、今ひとつなんよね。
だから、これがアダム・クーパーではなく、見たことも聞いたこともない人たちがやっていたら、この値段に私は文句をつけるだろう。
アダム・クーパーの名声代だ。

一緒に行っていた友人とは、あまり深くこの舞台について語らなかった。
もしかしたら、彼女自身も同じ事を考えていたかもしれないし、全然違っていたかもしれない。
ただ、私が公演の後に言った一言は「踊りの技術も重要やけど、やはり容姿も大事やね」である。
笑っていたが、苦笑だったのかな。

すでに、来年度の企画が宣伝されていた。
商売人やなあ。
予定は『危険な関係』である。
どうもこのところ『危険な関係』に縁があるらしい。
まあ、観にいくかどうかはわからんけど。
(明日の事も分からないのに、来年の事なんかわかるかい)

5月29日
阪大にて研究会があり、参加する。
久し振りに行ったので、構内で迷う。
最近、でかい大学に行ってなかったから。
ちょっと遅れてしまった。

発表は非常に面白く、私の知らない事ばかりなので、いろいろと勉強になる。
終わってからも、いろいろな人とお話しをさせて頂き、姑息にも「非常勤ありませんか」と聞いてまわり、売り込む。
売れへんけど。

そんなことするさかい、罰当たるんや。
さらに飲みに行こうと場所を移動しているとき、数珠がいきなり切れたのだ。
不吉や。
これは、昨年の夏に犬鳴山のお不動さんで、護摩祈祷してもらった数珠だったのだ。
突然、切れるなんて・・・
すごく嫌な気がして、一緒にお参りした親友に電話をして、思わず無事を確認する。

それからは、何を話してもうわの空。
気になってしゃあないわ。
縁起悪い。

5月28日
昨晩は、名古屋の友人が仕事で大阪に来ていたので、遅くまで話し込んでしまい、また睡眠2時間弱。
ほとんど、眠れなかった。

さすがに、倒れる。
たん熊さんのお稽古日だったのだが、貧血を起こして、起きあがれなくなった。
仕方なく、午前中を呆然と過ごし、お昼前に烏丸に向かう。
京都文博に『京洛の舞』を観に行ったのである。
映画ばかり行って遊んでるやん、と思われるかも知れませんが、これもお仕事です。
ほんま。
ロードショー館と違い、やはり観客層が違います。
ご年配ばかり。
まあ、このような環境で映画を観ている方が多いのだが。

朝に体調を崩したために、咳が少しぶり返す。
咳き込みながら、ほぼ満席の中、空いていた一番前の席に座ると、隣のおばあさんが「これねぶっとったら、ましやさかい」とのど飴をくれた。
おおきに。
そういえば、昔たかじんが「大阪のおばちゃんのふくろ(かばん?)には、必ず飴ちゃんが入っている」と言ってたなあ。
この「飴ちゃん」とゆうとこがポイントね。

1942年に製作された映画なのだが、新撰組ものにしては「殺陣」がない。
まあ、何をもって「殺陣」の定義にするかによって微妙なところなのだが、刀を抜くシーンや切腹のシーンがあるにはあるが、抜いた刀、倒れた人、血がにじんでいるシーンと、いわゆる斬り合うチャンバラのシーンは、ことごとく避けられている。
そういえば、同年に作られた『江戸最後の日』も、幕末ものだけれど、やはりあからさまな斬り合いのシーンは無かったような気が・・・(ちょっと見直して確認しよ)
「チャンバラ」が禁止され、「殺陣」のない時代劇映画製作の苦労話は、敗戦後のGHQによる占領下の時であると繰り返し映画史が強調し、語り継がれているが、もしかしたら、戦争に没入していく、日本の内務省の検閲の方が、映画規制が厳しかったのではないだろうか?
この辺りは、博論では実際の映画資料の本数が少なく、わずかながらの映画と資料で憶測にとどめ、深く切り込むことができなかった。(要するに間に合わなかった。)
これを機会に、もう少し激動の1940年代のチャンバラ映画を見つめなおしたい。
そうそう、『京洛の舞』に出てくる坂本竜馬は、なまっていない。
トーキーになって、役者が台詞を発する時に、その地方の方言を使い出すのはいつ頃なんだろう。
新しいテーマができた。
(既に先行研究があるかもしれないけど、それはそれで参考になるやん)。

少し、映画で気分がよくなって、悲願の主治医の所に到達。
喘息一歩手前と診断されたと言うと、「それはほんまの病気やな」と言われる。
ああ、その通りなんです。
もう、弱っています。
それでも、最悪に大量の薬を飲んでいるときに比べると、ずいぶんよくなったという話になる。
まあ、今の状態なら上出来だと。

ほう。
ほっとしたような、気が抜けたような。

ぷらぷらと駅まで歩いている途中、空き店舗でいろいろな催しが期間限定で行われている前を通る。
今日は、古本市のラスト・デイらしい。
何気なく足を踏み入れ、所狭しと積まれた古本やパンフレット、中古ビデオなどを見ていると、ある一角に大量の時代劇映画が。
か、感動的な出会い・・・
普通で買うと、1本1万円はするようなビデオが驚くような安価で売られている。
中古ビデオは、新作を除いて、日本映画はなかなかでない。
需要が無いからだろう。
目の色を変えて、ごっそり、ビデオを買い込む。
あ、お金が足りない。
目の前のATMに駆け込んで、お金をおろして、レジに戻って購入。
おまけに、このビデオの出店先も聞いて教えてもらう。
未整理だが、まだ1箱ぐらい邦画のビデオがあるらしい。
買いに行かねば。

重い荷物を持って帰り、腕がしびれてふらふらになって家にたどり着く。
何も考えてなかったが、帰って本数を数えると32本も購入していた。
あほである。
でも、貴重な資料だから・・・

5月26日
駄目だ。
昨日は酔いに任せて眠れるかと思ったが、無理だった。
服薬しても3時間か。

日文研に通う。
仕事に奔走。
昨晩遅かったために、「変体仮名講座」の予習が出来ていない。
と焦っていたら、先生がご多忙のため、突然、中止になる。
命拾いしたのか、悪かったのか。
まあ、ええか。

代わりに、仕事が終わってから、別の先生よりお声がかかる。
なんだろうと、緊張していると、ちゃんと自分の研究する時間を取れているのかといった、私の事を考えて下さるありがたいご忠告である。
やはり、ちゃんと業績を上げなくては、就職は出来ないし、博論書いて、そのままぼーっとなっていては、意味がないという痛いお言葉。

そういえば、4月は弱っていて瞬く間に過ぎていった。
5月は引っ越ししたり(まだ片付いてへんが)、わずかながらの収入も確保したが、その反面、新たに病気が発覚し、介護(孝行と言えってか)など抱え込み、希望と絶望、予定と破綻、夢と現実、矛盾を孕み行き来する新しい環境に突入。
ばたばたと今日まで来てしまっていた。
それでも、だいぶんと要領を得てきたはずだから、そろそろ自分のペースを作らなくては。

心に言葉を刻みながら、身体は一路、河原町へ。
今日は、レディース・デイなので、念願の『キル・ビル Vol.2』を観にいったのである。
おお、素晴らしい。
映画を観ている間、一人で笑い転げていたのだが、隣のお兄さんがあまりに乗り出して真剣に観ているので、横で笑っているのがなんだか悪い気がする。
だって、おもろいんやもん。
「怨み節」も聞けた事だし、満足。

さあ、がんばろ。(何を?)

5月25日
調子よく眠れたと思ったのは、やはり幻想。
2時間ほど眠っただけで、あとは起きてしまう。
なんとかならんかね。

今日は知り合いと映画を見て、御飯を食べに行く約束をしていた。
なので、日文研を早く出る。
代わりに、朝早く出勤。(単に朝早くから起きていただけだけど)

いろいろと仕事が多くて、大変。
連絡を取ろうとするが、なぜか電話が通じない。
ぎりぎりまで仕事をして、Faxとメールで仕事内容を報告。
あわてて、日文研を後にして、河原町へ。

映画『スキャンダル』を見に行く。
実は、この映画に関する知識を何も持っていなかった。
ただ、王朝ものというか時代物というだけで、比較研究対象になるかなと思って見に行こうと思ったのだ。
それを、たまたま口にしたら、知り合いが「誰か行く人探していた」という話になり、即、決行したわけである。
彼女は、ヨン様ファンで、それで見に行きたかったそうである。

映画を見ながら、あまりにも『危険な関係』だなあと思っていると、あとで聞いたら、まさに『危険な関係』の翻案ものだった事が判明。
なんや、やっぱりそうなんやん。
映画を見ると楽しい邪推がここでも、あちらこちらに出てきて、おまけに今回は一緒に見に行った人がいるものだから、夕食を食べながら、あれやこれやと話し合う。
楽しい。
楽しくて、調子に乗って、ワインを2本も開けてしまった。

さすがに疲れたな。

5月24日
不思議なものである。
薬が効いてきたおかげもあるだろうが、昨日、身体の遣い方をいろいろ試したのがよかったのかも知れない。
咳とこむら返りで、服薬しても夜中に何度も目覚めて、苦しい夜を送っていたのだが、昨晩はよく眠っていたみたいだ。
もちろん、薬を飲んで強制的に眠っているし、目覚ましよりも先に目覚めるが、気分が久し振りによい。
久々の6時間睡眠。
しかも夜中に目覚めたのが1回だけ。
快挙!!
(大体平均4時間で、その間に途中何度も目覚めるからなあ。)

カイロプラティックに朝通う。
昨日の効果が現れたのか、今日も身体のゆがみがましらしい。
それでも、身体を押されると、場所によっては咳き込むツボがあるらしく、時折苦しくて咳き込む。

家に帰り、気分よく洗濯・掃除をし、銀行・郵便局などをまわっていると、あっという間に時間が過ぎてしまった。
恐ろしい事に、引っ越して、もう3週間半立つというのに、まだ家の中は段ボールの山。
本・資料とビデオとCDが片付いていないのだ。
早くどうにかせねば。

夕方は、知り合いの銅板画家の個展を見にいく。
個展といってもほんの小さな空間で、それにあわせて今回は小物のデザインが多かった。
次に東京で個展をするために、今回は作品が少なく(既に東京に送っているとか)、販売も無かったので少し残念。
私は彼女の作品が大好きである。
彼女は山下陽子さんという。
エッチングを本格的に始める前から知り合う機会を得た。(実は、もともとは義姉の友人である。)
2年ぶりぐらいに今回新しい作品を見て、確実に自分の夢を実現しているのだなあ、とその強さに感心。
うちにも一つだけ作品を持っているが、私の自慢の宝物なのである。

たまたま母も一緒に行きたいというので、夕食を大阪で食べようということになった。
ところが、ショックな事があった。
私の敬愛する料理人:上野修三さんのお店に行こうと思って、予約を入れようと℡をすると、3月でお店を閉めはったと言う事だったのだ。
ああ、もう何年も前から行きたいと願っていたのに、縁がとうとうなかったらしい。
悔しいな。
電話をした時は、おそらくご本人であろうと思われたが、その時に今は息子さんが立派に切り盛りしている法善寺の方はやっていると伝えられた。
もちろん、「き川」(漢字が変換しなかった。「き」は七が三つ)は、行った事がある。
その時は既に、上野修三さんは引退されていた。
私は、上野さんのお料理が食べたかったのだ。
まことに残念なことである。

その代わり、上野修三さんのお弟子さんが独立して、開業しているお店を見つけてそこへ行くことにした。
久し振りにヒット。
最近は、京都が主流となっていたけれど、大阪にもまだまだおいしい出会いがありそうだ。
美味しゅうございました。

おいしいものを食べている時って、幸せやね。

5月23日
おっ。今日は調子がいい。
漸く薬の効果が現れてきたのか?
吸入薬が即効で効いたのか?(注意書きには即効性はないと書いてあったけれど)
咳がずいぶん減った。

少しばかり片付けをしてから、「変体仮名講座」の予習をする。
事前にやっていかないと、その場ですぐに読めないから。
それでも、いくつかの字がどうしても解読できない。
虎の巻を見ても分からない。
待ち合わせの時間が来たので、ギブ・アップ。

今日は、ものすごく久し振りに武術の稽古をする。
稽古と言っても、道場で師匠のもとで型稽古をするのではなく、知り合いと一緒に、お互いいろいろ語り合いながら、実際に身体を動かして確認を深めるのがメインである。
場所は秘密。

2年ぶりぐらいに手裏剣を打ち、身体の力の抜き方や出し方を感じる。
また、ものすごく久し振りに抜刀をして、腰(身体)の割り方、重心を据えて、半身を入れ替える動き、座禅における呼吸法など、試す。
すごく楽しい。
お互い語り合っているようで、実は私がほとんど教えてもらっている状態が正しい。
昨年は、自分で動く事が極端に減り、逆に理論が先行してしまっていたので、そのアンバランスを久し振りに修正し、体感する喜び、頭で分かっている事を実行する難しさを痛感するなど、夢中になっている自分を発見。

普段の身体の遣い方を変えているせいか、不思議と咳き込まない。
身体がなんだか心地よい。

しかし、両親から夕食を共にするように(外食なのだが)、何度も催促の電話がかかり、申し訳ないが、稽古を中断させられてしまった。
折角のってきたのに、誘ってくれた知り合いに申し訳ない。
これに懲りず、また一緒に稽古しませう。

不思議と夜になると、また咳がぶり返してしまいました。
うーん。
やはりストレスかなあ。

5月22日
朝一で病院に行く。
土曜日だからか、結構混んでいる。
症状がほとんど改善されない事を訴える。
「点滴で、気管支をひろげましょうか」と言われるが、今日はお稽古日なので、あまり時間を取られるのも嫌だし、気管支をひろげると一体どういう状態が自分の身に起こるか推測できず、「もう暫く、薬で様子を見させて下さい」と逃げてしまった。

粉末の薬を吸い込む吸入薬と専用吸入器が増やされる。
使い方を教えてもらって帰る。
なんだか、本当に喘息に近づいている感じがして、嫌だなあ。

午後、お稽古。
大会の前なのに、咳き込んでいるので、「早く風邪を治しなさい」と言われる。
だから、風邪じゃないんですって。
症状が改善されたらかまわへんし、あまり変わらなかったら点滴やな。

はあ、ついてへんわ。

5月21日
朝、咳き込んで目覚める。
全身がだるくて、動けない。
なんか、疲れる事をしたかなあ。

午後から日文研に通う。
仕事をして、17時に終了。
今日は、創立17周年記念懇親会があるのだ。
中庭にて、焼き肉パーティ。
その他、各国の料理が持参される。
時期の問題かも知れないのだが、例年に比べて、今年は参加者が少ない。
会いたかった人もいたのだが、残念ながら来やはれへんかった。

それでも、わいわいと話しながら、普段あまり話をする事のない人と交流を深める。
お開きになった後、さらに留学生などと一緒に、日文研ハウスにて2次会。

咳をしているくせに、遅くまで残っている私って、アホやな。
人前にいると、結構抑制できるようになったのだが、家に帰るとほっとするのか、遠慮する必要がないのか、嫌になるほど咳をする。
明日、改善の余地なしという事で、まだ病院に行かなくては・・・

2004年06月23日

久しぶりにモ-トルの貞が殺されるシーンを見る

6月22日
なんだか、疲労。
暑さに負けたのか、食欲が落ちる。
暫く、おさまっていた咳がぶり返す。

でも、懲りずに勝新映画祭へゴー!
今日は『酔いどれ博士』、『続・悪名』、『不知火検校』の3本。
『酔いどれ博士』は、初めて見る映画だが、よく繰り返される話型。
もちろん、それが悪いと言っているわけではない。
むしろ、それをいろんな脚色や演出で変えて、面白く見せてくれる事が興味深い。
途中で、「ああ、きっとこういう展開になんねんなあ」と思っている自分がいるのに、それが分かっていながら、ほろっと映画に引き込まれている自分もいる。
1966年の作品だが、すっかり勝新のイメージが「暴れまくる腕っ節の強い豪快男」として定着している。
この頃には、もう貫禄も出ているね。
あれ、66年はまだ大映所属だっけ?
独立プロだっけ?
まあ、どっちでもええけど。

後の2本はもちろん見た事がある。
『悪名』を見ずに(見た事はある)、なぜ『続・悪名』を選んだのかというと、久し振りにモートルの貞が殺される、俯瞰撮影されたあの名シーンを、ニュープリントで見たかったからである。
いつ見ても、あのシーンは美しく、哀しい。
そういえば、このシーンについて言及されていたもので、「別にええやん、そんな事」と個人的に思った発言があったが、分かる人には分かるので、取り立てて書かない。
何がともあれ、私の好きなシーンである事には違いない。
やはり、同じところで涙する。

『不知火検校』は、座頭市の原型というか、勝新のイメージ転換に決定打を与えた作品として、有名。
もちろん、両作品とも原作は違う。
この映画はビデオでしか見た事がなかったし、それもかなり前の事。
久し振りに、そして初めてちゃんとスクリーンで見たが、その後の座頭市イメージとごっちゃになっていたのだろう。
映画の記憶がまたええ加減なものになっていた。
卒倒するぐらい悪辣な主人公である。
(座頭市はいい人やからね。)
2枚目路線で、長谷川一夫に続けと頑張っていたであろう勝新が、よくこれだけの悪人をやろうと決心したなあと感心。
アンチ・ヒーローなんてもんじゃない。
極悪非道人が、極悪非道人のまま、なんの情けもええ所も全くなく、救いもなく終わる映画を製作した方もすごい。
主人公に救いがなくても、脇役には救いがあるから、憂鬱な気分になる事もなく、結構楽しんでみられるのかしら。
あらためて感服いたしました。
しかし、この作品をきっかけに決定的になってしまった勝新へのイメージは、その後の彼の役者人生に良かったのか悪かったのか?

前回の神戸における勝新映画祭に続く、京都での勝新映画祭だが、なんとも客数が寂しいのう。
平日の昼間だからかも知れないが、1本目が10人ぐらい、内女性3名。
2本目が8名ぐらい、内女性3名。
3本目が6名ぐらい、内女性は私一人。

週末やと混んでたんかなあ。
ええ作品ばかりやと思うねんけど。

予定では、あと4本見るつもりである。
そのうち、見た事のない作品は1本だけなのだが。

6月21日
勝新の命日。
波瀾万丈の彼の人生を象徴するかのように、季節はずれの大型台風直撃。

勝新映画祭に行かず、今日は日文研。
その後、お食事会。

昼間にあまりにも暴風雨という感じだったので、「大丈夫か?」と不安になっていたが、帰る頃には、だいぶんとましになった。

今日の食事会は、3月末にお会いし、軽くお食事を共にさせて頂いた、女学院の院長先生と、先生の教え子と女学院から同期で総研大・日文研に進学した子との、7人による交流会。

このきっかけとなったのは、院長先生が総研大の理事をされている事が、修了直前(すなわち私が女学院のアルバイトをやめる直前)に分かり、それで院長先生とお知り合いになれた事である。
もちろん、院長先生以外はどの人も初めて会う人たちばかりだが、意外なところで接点があったりする。
一人は、私がA.V.ライブラリーで働いているときに、よく利用に来ていた学生だった。
一人は、やべっちの前任で日本語教師をしていた人であり、英文科事務室でも働いていた事があるという。
きっと、会っていたであろう。

こうして、異分野の人と話すのはとても楽しい。
よく言えば、好奇心旺盛なのだが、悪く言えばばかなので、それぞれの研究について、ものすごく初歩的であろう質問を浴びせかけてしまった。
すまない。
一人で話していたようで、顰蹙もの。
ええ加減、気付けよ。
うるさい大阪のおばちゃんやねんさかい。
反省。

6月19日
朝から研究会に出席するために、日文研に通う。
しかし、発表準備が滞っているため、研究会は失礼して、院生室にて調べもの。

昼には日文研を後にして、懲りずに文博に行く。
今日も「新選組!展」で、文博は盛況である。
本日の映画は、篠田正浩監督『暗殺』(主演:丹波哲郎)であるが、前回よりも観客数が少ない。
パンフレットを手にしているところから、「新選組!展」に来たついでに映像ホールに来たと思われる観客もちらほら。
そのような観客で、すぐ近くに母と息子らしき一組の会話が、聞くことなく聞こえてきた。
母の言葉に対して息子が「丹波哲郎って霊界のじいちゃんやろ」とか「岩下志麻ってあの怖いおばちゃん?」と言っているようだ。
うーん、確かにね。
でも、丹波哲郎って、「霊界」や「やくざの親分」の前は、結構、時代劇スターの一人だったんだけどな。(過去形は失礼か)
岩下志麻も「極妻」で、変なイメージがついてもうたんやろね。

夕刻は両親に付き合って食事、兄の店にへと同行。
明日の父の日の代わりの孝行ってとこですかね。

しかし、動揺、疲労が重なり、そうそうに帰る。
ごっつい、しんど。
雨のせいか台風のせいか?

6月18日
朝から日文研。
ファイルに穴を空けたり、コピーをしたり、鼓舞したり、一応手伝いらしきものをする。
これは、自分の時にもしてもらってきた事だから。

今回は提出者が多いため、院生室のコンピューターやプリンターはフル活動。
コピー機も、手分けして、あちらこちらで同時にコピーする。
5部提出しないといけないので、結構大変。
しかし、みんな偉いよなあ。
資料のデーター・ベースがすごいし、分量も多い。
ちらっと一人のを読んだのだが、自分が提出したものが恥ずかしい。
提出書類に関しては、半年前に自分が提出しているはずなのに、よく覚えていない。
事務に確認して、「ああ、そうそう」と思い出して、「こんな風に提出したよ」と付け加える。
ほんまに役立たずやなあ。

夕方に無事、提出。
しばらく、お茶を飲んで話をして、家路につく。
放心状態。

なんか、自分が提出したわけでもないのに、ものすごく疲労している。
なんでや?

6月17日
はあ、あかんわ。
昨朝、うろたえる出来事が起きて、未だに落ち着かず、動揺している。
仕事をしていても、ため息ばかり。

ため息をしながらも、明日は博論本稿の提出日。
夜まで、手伝うと言いながら、なにしろうろたえているのだから、何もせず、見守っているだけ。
「うどの大木」と言いたいところだが、ちんまいので「大木」の喩えはしっくりこんなあ。
さしづめ「無用の長物」といったところか。(長くもないな)

こんなんでどないしたらいいのか、分からんが、明日も朝から日文研予定。

6月15日
勝新映画祭で京都・みなみ会館に行く。
今日は、『ドドンパ酔虎伝』と『薄桜記』の2本。
『ドドンパ酔虎伝』は初めて見る作品だが、抱腹絶倒の面白さ。
まあ、ナンセンスといえば、そうかも知れないが・・・
中山安兵衛(勝新)が主人公になるのだろうが、作曲し(それがドドンパ節)、大流行、みんなで和製マンボなるドドンパを踊りまくる。
この「ドドンパ節」は、もちろん本家である渡辺マリが出演して、その喉を披露する。
ちゃんとした曲名は『東京ドドンパ娘』であり、同名の映画が同年、日活にて製作されているが、残念ながら私は見ていない。
それはさておき、中山安兵衛なのでちゃんと高田の馬場も出てくるが、それが1937年のマキノ正博・阪妻のパロディ(オマージュ??)としか思えない。
手紙の読み方、飯をかきこむさま、斬ったときの見栄の切り方、足の運び、長屋の応援団、そっくりである。
また、高田の馬場では、安兵衛に加勢する親友・赤穂浪人が二人助っ人に来るが、その3人で立ち廻る様は、伝説のマキノ正博『浪人街』を彷彿とさせる。
ああ、なんて楽しいんだろう。
こうやって、映画は模倣を重ね、作られ、物語は増殖していくのだろう。

『薄桜記』は雷蔵との共演作。
これはビデオも持っているし、論文にも引用して、何度も見ていたはずなのだが・・・
勝新には申し訳ない、私の記憶。
話のあらすじも間違ってはいないのだが、雷蔵ファンの私は、雷蔵の物語しか覚えていない。
今回、「ええ?こんなに勝新も出番多かったっけ?」という、いい加減ぶり。
雷蔵が出てくるシーンは、「ああ、ここで泣くわ」と思って、ちゃんと毎回同じところで涙する。

満悦して、一路御影にお稽古。
早速、長刀を持って歩かされ、腕が震え出す頃に、お稽古をはじめられ、おまけに筋トレをさせられる。
長刀は好きなんだけれど、筋トレがねえ・・・
しかし、本当は、前シテの方が不安なんよねえ。
はあ、どないなることやら。

6月14日
下川正謡会の反省会で、リッツ・カールトンの花筺でお食事会。
昼間から、鮎を中心とした懐石と昼酒でご馳走、贅沢三昧。
下川先生のお話は相変わらず面白い。
内田先生、飯田先生も一緒で話は盛り上がる。

家に帰ると、さすがにぼーっとしている。
それでも、いろいろしなくてはならない事があるので、休憩しながら家で作業。

来年は、初能をする予定となった。
ああ、稽古時間を作りつつ、自分の事もちゃんとしないといけないし、大丈夫なんやろか。

6月13日
朝は、CDを片づける。
昼前に楠公さんに能を見に行く。

発表の準備をしなくてはならないのに、そんな事している暇かよ?
いやいや、舞台を見るのも我が肥やし。

師匠は出ないのだが、演目が面白いので、どうしても見に行きたかったのだ。
能が3番、狂言1番、仕舞が6番という盛りだくさんの番組。
お目当ては、「屋島」とまだ一度も見た事のなかった「烏帽子折」。
もう一番は「求塚」だが、哀しい暗いお話の上、動きが少ないので、ミーハー素人の観客である私の好みではない。
哀しい暗い話は能楽に多いのだが。
「求塚」って、とりわけ後(のち)の謡が怖いんねんもん。

「屋島」の舞囃子はした事があるので、キリは親しみがある。
もちろん能楽と舞囃子は違うのだが。
今回は「大事」という小書きがついていて、見応えがまた違う。
能も大がかりだが、那須与一の場面をかたる間狂言が面白い。
狂言の中でも重習いにあたるそうだ。
この狂言が終わった時点で、思わず拍手をしたい衝動に駆られた。
でも、日本の観客はとりわけ古典の観客は礼儀正しいので、最後になるまで拍手をしない。
(それも橋掛かりの1の松の所に来て、漸く拍手をはじめるのである。)

「烏帽子折」は話を知っているが、見るのが初めて。
これも間狂言が面白い。
そして、後が今の言い方で言うと、大立ち廻り。
能楽では「翔」である。
仏倒しにトンボ(バク転ではなくて、前転)、欄干越えと見ていて血が騒ぐ。
ああ、楽しい。
さすがに、これだけの演目が出ると、休憩もあるが、11時開演で、終了は18時。

堪能。
「烏帽子折」を見ていると、いつ頃作られた能楽なのかすごく気になる。
今度、調べてみよう。

6月12日
なんだか、昨日よく眠られなかった。
調子が悪い。

ふらふらしながら、論文を発送。
次にする事は、部屋の片付けである。
残っている荷物が本、資料、文具などであるため、これを片づけない事には、発表準備も、次の研究も何も出来ないのである。

少し頭がくらくらしながら、段ボールを空けて、本棚に自分の使いやすいようなジャンル別に仕分けしていく。
親友が、昼過ぎに用事があってやって来た。
簡単にすませ、TVで阪神戦を見ているのを、ほっておいて、一人黙々と、本棚の片付けを続ける。
私ももてなしもせんで、自分の事ばかりしている勝手な奴だが、親友も阪神戦をぶつぶつ言いながら見ていたかと思うと、静かになるので、あれっと見てみるとソファに横になって昼寝をしていた。
親友も勝手な奴である。
あ、似たもの同士だから、親友になったんか。

しかも今日に限って阪神がまた長い長いしんどい試合をする。
その間、着々と本・資料を片づけて、残るはCD・カセット、ビデオ・DVDと一部資料や文具などごちゃごちゃした小物。
もう、やめた。
最後のさよならを見届ける。
体力的にもしんどいけど、阪神の試合見て精神的にもしんどいわ。

「お疲れ様でした」ととりあえずビールを飲む。
その後も、気になるので、ちょこちょこ片付けをしたりしていた時、私は気付かなかったのだが、どうもすごい独り言を言っていたようだ。
「一人で遊べるおめでたい人」と言われてしまった。
うーん、そうかなあ。

その後、いろいろ話しているうちに長所と短所の話になって、意見が一致。
私の長所はあほなところである。
私の短所は馬鹿なところである。

ふむ。
腑に落ちた。

6月11日
朝から日文研。
投稿原稿の準備である。

午前中、検索などかけて、最終的な調べものをするが、院生室にいると、ついつい研究生等々と話をしてしまい、いっこうに捗らない。
しかし、話しているのが無駄な時間かというと、それはそれで、とても有益な時間であるので、あえて話を中断せずに、続けているのである。

しかし、今日中に発送できるようにしたいので、午後はいつも仕事をしている場所に移動。
論文要旨を書くが、どうしても2000字におさまらない。
2500字ぐらいから、考えて書き直して2300字、2100字、2030字と、少しずつ減っているのだが、なかなか2000字を切らない。
久し振りに、ものすごい頭を使った気がする。
変な話だが、所属していた大学には、博士論文の枚数上限がなかった。
だから、枚数制限を考えずに、とりあえず書きたい事、言いたい事を書いていた。
約何字というのも、その前後に収めればいいので、誤魔化しがきくと思う。
これは、単に時間がかかった言い訳に過ぎないのだが・・・
要領悪いわ。

なんだか、台風が来ているせいか、雨がひどい。
極悪非道の私は、来週本稿提出をひかえている院生に、「今日、車?」と聞いて、「何時に帰る?」とさらに回りくどく聞き、要は「駅まで送って」と言ったのである。
一応、来週の金曜日の締め切り日は1日、提出予定者を手伝うために空けてある事をその前に話して、自分の非道ぶりを紛らわしていたのだが。
もろ、ばれか。
でも、ほんまに来週は空けてるからね。

その前に、自分の論文どないかせえよ。
明日、発送しよう。
疲れた。

6月10日
昨晩は蒸し暑かった。
2時ごろに眠ったかと思えば、3時に目覚め、暑苦しくて、眠られない。
明け方にまた少し眠ったけれども、1時間ぐらいかな。
おかしい。
最近、薬がよく効いてきたような気がしたのだが・・・
不眠ゆえか、蒸し暑いため、皆さん寝づらい夜だったのか?

テンションが下がったまま日文研へ。
仕事もあるが、締め切りが迫っているので、投稿原稿の準備をする。
なんとか、明日には仕上げたいところだが。

先生がいらっしゃって、「これ貸してあげるから、発表の参考にして」と、CMのDVDを持ってきはった。
ああ、そうだ。
どうしても明日中に投稿原稿を仕上げて、土曜日には郵送せねば、発表が間に合わない。
帰り際に、「そうそう、発表タイトルを下さい」と言われ、思わず「今ですか?」とうろたえる。
「うーん、今週末か来週の月曜日までに」と打診して頂いた。
週末考えなくては。
ほんまに、綱渡り人生やな。

今日は祖母の満90歳のお誕生日である。
お祝いを持って、夕食を共にする。
切羽詰っているので、サービスはここまで。
泊まってあげられず、食い逃げして帰った極悪非道な孫であった。

ああ、早く仕上げなくては。

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