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2004年05月 アーカイブ

2004年05月11日

おひさしぶりの不眠日記です

5月10日
久しぶりにお稽古。
今頃になって、間違えて叱られる。
疲れているんだもの、など言い訳はもちろん通用しない。
申し訳ない。

内田先生にお会いしたので、「あの、日記は届いていますか?」と聞くと、「届いてない」と言われ、さらに「確認のメールも送ったのですが・・・」と尋ねると、「知らない」と言われてしまった。
無視されていたのではなく、どうやら行方不明になってしまったらしい。
アドレスを確認して、お願いをする。

昼過ぎに、帰って、役所関係など、各種住所変更手続きに奔走。
面倒くさいなあ。

5月9日
呆然。

7日から8日にかけて、テレビCMの共同研究会。
午前中から顔を出して、お手伝いするものの、他の仕事が残っていて、日文研を駆け回る。
あー、忙しい。

どういう偶然か、このたびの共同研究員に日記読者が3人ほどいる。
日記が更新されていないため、「元気にしていましたか」など、心配の声をかけてくださる。
実は、日記を内田先生のところに送り、さらに「届いていますか?」など、メールも送っていたのだが、全く返答がないのである。
大量に送りすぎたせいか、いつもご多忙な先生なので、忙しさにまぎれて忘れ去られているのか?
居候の身分なので、あまり言えない。

7日の共同研究会が終わり、懇親会、日文研ハウスに戻って(私も宿泊組)、宿泊組のメンバーとさらに宴会。

最終的に、約1名と3時まで飲んでいた私は、大馬鹿者である。
それでも、ちゃんと次の日は起きましたけれど。
起きたというより、不眠なので、あまり眠らないだけなのだが。

次の日は朝9時30分出発。
精華大学にて研究会の続き。
研究所のほうなので、場所は比叡山、延暦寺のふもと。
天気がいいので、本当に絶景である。

途中にお昼や休憩を挟みながらも、11時半から15時半ぐらいまで、ぶっ通しで所蔵のTVCMを見続ける。
さすがに目がしばしばして、疲れる。

日文研でも精華大学にしても同じだが、研究資料のためにそれぞれの機関より許可を得た所蔵TVCM は、内部においてしか閲覧が出来ない。
著作権の問題が発生するからである。

というわけで、7日は日文研内にて、8日は精華大学の研究所にて、とその場に出向いて見ることになるわけである。

16時に終了して、四条まで送って頂き、ようやく家路に着く。
なんだか、小旅行状態である。

その晩は親友が、早速遊びに来た。
帰ったのは、明け方。
無茶な生活をしているな。

今日は、母の日。
なぜか、母と祖母に付き添って買い物。

本当は、家でゆっくり過ごす予定だったのだが・・・
疲労困憊。
むくみ。

5月6日
引越しが無事に済んだが、まだ家が片付いていない。
GWは、結局引越し作業で潰れてしまった。

引越し前日も、少しの荷物を置きに行ったのだが、やはりまた虫が出た。
そこで、引越しをした日は、荷物を空けずに、そのままバルサンをたいた。

今のところ、それ以来、虫は出ていない。
これで、出てきたらちょっと不動産か大家さんに文句を言うつもりである。

引越ししたら、疲れがどっと出てしまい、風を通しているものの、ふらふらで何もできない日があった。

GWは親戚が集まるから、祖父母の家に泊まりに行かず、荷解きをぼちぼち始める。
それでも、やれみんなで食事だの、何だのと振り回される。

別の意味で疲労困憊。

今日は久しぶりに日文研に通う。
GW中に一度も行かなかったので、仕事がたまっている。
ばたばたと走り回って、気がついたら19時過ぎていた。

これはこれで、結構疲れる。
明日は共同研究会か。

4月29日
朝早く家に帰る。
朝からまたまた荷造り。

午前中、母が荷造りの手伝いにやってきた。
とりあえず、仕分けしなくてもいいものをお願いする事にして、キッチン関係、食器関係、水回り関係などをお願いする。
しかし、いちいち「これはどうするの?」と聞かれるために、そのたびに自分の手が止まってしまい、なんだか捗っているのか、いないのか?

昼前に、パソコンの引き取りが来る。
とりあえず、ただでマニュアル類も含んで、すべて持って行ってもらえたので、ほっとした。
結構邪魔だったから。

昼を食べてから、用事で母は出かけ、私はその足で、引っ越し先のマンションに掃除に行く。
むむ!!
なんだか、小さい小さい虫を何匹か発見。
私は虫が大嫌いである。
なんで、内装を全部やり変えたのに虫がいるのか?
やだなあ。
ザーッと掃除して、家に帰り、またもくもくと荷造り。

明日には、間に合いそうだ。

今晩も祖父母の家に泊まり。
夜が更けていく。

4月28日
朝7時過ぎに、祖父母の家を後にする。
日文研に行くつもりだったが、荷造りが捗っていないので、「変体仮名講座」に間に合うように午後に行く事にして、家に帰る。

帰ったとたん、嘔吐。
きた!
神経衰弱かい。
もう、いややわあ。
いったい、私の身体はどないなっとんねん。

気を取り直して、13時過ぎに家を出る目安を立てて、せっせと荷造り。
あー、漸くめどが少し立ってきた。
帰ったら、押入のものをすべて片づけるのが目標。

日文研に通い、5月よりの新しいアルバイトの仕事をもらう。
とりあえず、GW明けからはじめよう。(5月からの約束だし)

「変体仮名講座」を終えて、速攻家に帰る。
今日はカイロプラティックの日である。
「調子はどうですか?」と言われ「もう死にます」と答える。
「死なないで下さいね」と笑われるが、「これだけはいかんともしがたいので」とマジで答えてしまった。
論文を執筆しているときよりは、全然ましというのだが、別の症状で調子を崩している。
「90%以上ストレスから来ていますね。最悪の所まで来ていますよ。いずれはセラピーを受ける事を勧めます。日本一の人を紹介しますから」と言われてしまい、さらにへこむ。
原因不明の空咳がつづいているが、極度のストレスから咳が出る事があるとも指摘される。

身体が楽になれば、それでいいのだ。
それでなくても、大変なのだから。

ふらふらと家に帰り、残りの時間でばたばた荷造りをするが、目標の一歩手前で、10時半過ぎている事に気付き、あわてて、祖父母の家に行く。

お風呂に入っているようだ。
荷物を置いて、電話をしていると、お風呂から上がってきた祖母に「お帰り」と言われる。
うーん。複雑。

まあ、家の合い鍵をもらい、「今日みたいに遅くなる事がこれから多くなるから、鍵も閉めておいて下さいね」と言っておく。
まあ、少しづつ、お互い慣れていくしかないね。

4月27日
今日は、1日荷造り。

今朝、あまりにも雨がひどいので、午前中病院に行く祖父の足下が心配で、祖父母が起きてくるまで、帰らずに待っていた。
ね、結局、こうなるんよ。
まあ、今日みたいなのが普通と思われたらいけないので、今晩は、昨日よりも遅く泊まりに来た。

今朝、老人にしては、朝の遅い二人が起きてきたのが、8時半。
私が目覚めたのは、朝の5時。

ニュースを見て、新聞を読んで、実際泊まってみて、2階に設置してほしいものなどを書き留め、読みかけの本を読み上げる。
明治と大正生まれの祖父母と戦後生まれの私では、生活必需品が微妙に違う。
まあ、本当は生まれの違いではなく、年齢の違いだと思うけれど。
例えば、洗顔石鹸がない。
二人とも入れ歯なので、歯磨き粉というものがない。(歯ブラシだけ持って行って失敗した)
もちろん、ヘアー・ムースなどもない。
そんな、自分の家から持ってこないといけないものなども列挙した。
起きてこないので、よっぽど帰ろうかと思っていたら、物音がした。

日中は、介護の人を頼んでいるが、いつも病院で落ち合っているとのこと。
帰り道なので、結局私が付き添う事にした。
ただ、私はきついので、こけそうになったときでもない限り、一切手を貸さない。
あくまでも、自分でやらせ、自力で歩いてもらう。
それでも、起きてきて、私の顔を見るなり、「なおこが来てくれて、僕は嬉しいよ」と数え切れないほど、繰り返し言うので、困ってしまった。
本当に嬉しそうな顔をするので、余計に困る。
座り込んだところを、すぐに立たせて、杖を手渡し、傘を渡し、荷物を持って、病院まで、ゆっくりと隣を歩いて、付き添い、病院に着いたら、診察券を出させて、「帰りますね」と言って、さっさと帰った。
本当に弱ってきたと思うが、それで甘やかしてはあかん。

荷造りは、難航している。
こんな狭い部屋にどこから?というほど、山のように荷物がざくざく出てくる。
段ボールを置くスペースを確保しつつ、また捨てるもの、要るものなど仕分けをしつつ、うろうろやっていると、遅々として進まない。

ビデオは捨てるものもないが、その前に別の荷物がうずたかく積まれているために、取り出そうとすれば、その目の前の荷物を仕分けなくてはならない。
本も出来るだけたくさん詰めようと思うと、大きさをそろえようなどいらん事をしてしまい、時間がかかる。
なんて、要領が悪いのだろう。
狭いので、すぐかと思っていたが、狭いからこそ、余計に置き場所に困る。
冷蔵庫の中も空にしないといけないので、料理もするし、時間があっという間に経ってしまった。

いけないと思いながらも、TVをかけながら作業するので、集中力が落ちる。
「本当は怖い家庭の医学」だっけ。
あれを、聞きながら荷造りをしていると、あまりに自分に当てはまる事が多くて、「私って死ぬのかなあ」と、マジで思ってしもうた。
ああ、なんて、情報に振り回されやすい馬鹿者なんだろう。

10時半頃に、少しばかり、生活必需品を持って来た。
2階に上がって、荷物を置いていると、祖母がお風呂に入ったらしい。
そうそう、こうしてほおっておいてくれるとありがたい。
祖母にも、祖母の生活のペースがあるだろうから。

お茶を飲みに下りてきて、居間にいると、お風呂から出てきた祖母が「今日は新しいお風呂だから入ったら」と言うてくれたので、「いただきます」とお風呂にはいる。
あれ、シャンプーもリンスもない。
そうか、これも持ってこなくては。

出てくると、祖母が居間に座って、TVを見ている。
何を見ているのだろうと、顔を出すと「晩婚」について。
うーん。
祖母が望んでいるのが、学位でも就職でもなく、結婚であることを私は知っている。
それも、結婚した上、近くに住んでしょっちゅう顔も出してほしいという事も。
30代独身、一人暮らし、おまけに職なしと負け犬中の負け犬である私が、差し向かいでこのテーマの番組を見ているのもなんだかね。
「お休みなさい、明日は朝早く帰りますので、また夜に来ますね」と言って、逃げるように2階に上がってしまった。

肩身が狭い。

4月26日
朝、不動産にて、大家さんとともに賃貸契約。
とても感じの良さそうな大家さんだったので、ちょっと安心。
部屋の鍵をもらい、早速、計り忘れていた寸法などを測る。

午後、日文研。
聞きたい発表があったのだが、踏切事故発生のため、電車が止まって間に合わない。

パソコン見積もりのメール回答を見て、処分費無料の回答が一件。
早速メールとするものの、連絡が来ない。
よくみると、月曜定休だった。
電話番号などひかえて、帰る。

荷造り。
狭いところを、片付けながら、段ボールに本やビデオなどを詰める。
しかし、場所をある程度確保した時点で、時間切れ。

何が?
実は、今晩より祖父母の家に泊まるからである。

私が塚口を離れられない理由がここにある。
祖父母たち二人だけで生活するのが、もう困難である結論に達していた。
学位授与式の後、今は元気を取り戻したが、気候が変だったときに祖母も体調を崩した事を、母に毎日のように聞かされた。
母にしては、まあ心配である事の上、誰かに話して愚痴りたい気持ちもあったのだろう。
当時、行き先も決まらず、プー太郎が決定していた私は、相づちを打ちながら、自分だって心配である事などを話していた事は覚えている。
自分では、そんな大事になるとは思っていなかったのだが、言葉の一部が拡大解釈に発展し、私が、職が決まるまで、祖父母の面倒を見たいと言っているという事になってしまった。
たしかに、暇なときぐらいは、心配な夜に泊まりに行ってあげても構わないとは言った。
それが、なぜこんな解釈に?
だんだん大きくなった話を改めて聞き直すと、私が無職、無収入になってしまったので、祖父母の家の2階に同居すれば、生活費もかからないし、お互い一石二鳥である。
それだけではなく、面倒を見てもらう報酬として、毎月給料を与える。
と、まあ、簡単に言うとこんな所まで話が大きくふくらんでしまい、収拾がつかなくなってきたのである。
さすがに、私も困った。
私には、私の生活がある。
しかも、そんな責任重大な介護が出来るわけがない。
夜だって、早く帰る事もあれば、終電で帰る日もあり、帰らないときだってある。
大体、私の神経が持つはずがない。
そこで、これはあかんと思い、伯(叔)父・伯母・母たちの間でどのように話が進行したかは、知らないが、一応最終的には、発言権、決定権は私にある事を主張。
どうせ、私が泊まらなくても、初めは兄弟の間で交代に夜は泊まる話まで出ていたらしいのだ。
そこへ、私の「泊まってあげてもいい」という一部の言葉だけが上手く舞い込んできてしまい、それぞれ家庭を持っている自分たちよりは、無職、独身の私が適任!と都合よく話が進んだと思われる。
今更、「やだね」なんて言えるわけがない。
そこで、最大限に抵抗して、給料をもらうと負担・責任が生じるので辞退したいと。
私の荷物は、同居するには、多すぎるし、2階にこれだけの本やビデオを持ちこむと、天井が抜けると主張=すなわち同居する気は全くないと。
合い鍵を作ってもらい、私の出入りには一切関知しない事。
いるときには、印をつけて(熊のマスコットを掛ける)、ないときはいないとはっきりさせる。
いないときに何か起きても、私には責任がとれない事。(確率的に一番起こりそうだ)
最悪、週2回ぐらいだと思っておいてほしいと。
母にしたら、大きくなった話をここまで縮めたのだから、体裁的に不満もあっただろうし、実際、何でそんなに夜いないのか?と尋ねてきた。
そこで、最後の譲歩として、祖父母の家の近く、すなわち同じ町内に引っ越しする事で手を打った。
それなら、仮にしんどくて家に一人でいても、電話があれば、チャリですぐに駆けつける事が出来る。
たとえ、友達が泊まりに来ていても、すぐに行く事も可能である。

そうして、物置になっていた祖父母の家の2階は、一応誰でも泊まれるように改装された。
まだ、合い鍵がないので、祖母が起きているうちに家に行かなくては、初日だし心配するだろう。
引っ越しの荷造りで、寝るスペースがほとんどなくなってしまったために、今日から泊まる事になったのであった。

まあ、こんなに大騒ぎしたところで、人間の寿命は分からない。
もしかしたら、今晩が最後になる事だってあるだろうし(縁起悪いな)、誰が泊まりに来るにしよ、5年も10年も続くかも知れない。

はあ、雨がすごい。
なんだか、いつまで経っても眠気が来ない。
気ぃ遣ってんのかなあ。

4月25日
午前中、伊丹のミドリ電化に、家具や電化製品を見に行く。
本箱など必要品を購入。
貧乏。

午後、引っ越し見積もり。
これまでの中で、一番安かったので、もう日にちもないし、即決。
段ボールをもらう。

各種引っ越して続き。
フリーダイヤルにて、リサイクルセンターにパソコンの問い合わせ。
どこも、処理代有料である。
うーん。

荷造りをはじめる。
新聞を取っていないため、食器をくるむものがない事に気付く。
あわてて、実家に電話をして、古新聞をもらってくる。

戸惑い。

4月24日
あまりにしんどくて、今朝もまた、軽く嘔吐。
胃にはもう、何も入っていないのに。
しかも、足がだるくて起きあがれない。
そういえば、ここしばらく、またむくみがひどくなってきた。

よろよろになりながら、カイロプラティックに通う。
いつものように、痛い整体を施されるわけでもない。
しかし、しきりにあちらこちらのつぼを押されるのだが、それが痛いというか、鳥肌が立つほど気持ちが悪いのである。

咳も止まらない。
自分でも予想していたが、完全に弱っている。
神経衰弱の傾向にある。
身体がいびつに曲がり、そのため血行やリンパの流れが悪くなって、むくみやだるさを引き起こしているとの事。
今日は、神経に働きかけるところを中心に診察したという。

身体が「劣化」、「弱化」しているとの事。
そんな事言われてもなあ。
別に食べていないわけでもないし、体重だって変化していないのに。

昼からお稽古に行き、別の社中の装束付けを手伝う。
ちょうど、内田先生にお会いしたので、「あのHPを移設されているそうですが、日記はどうしたらいいのですか?」と、寄生虫のくせに偉そうに聞く。
今まで通り、と言う事を聞き、よろよろと書き連ねていた日記をいきなり送る事にします。

お稽古をすませ、稽古場の近くに出来たホームセンターに家具など見に行く。
椅子と靴箱を購入。

帰るとふらふらでした。

4月23日
朝から日文研。
いくつかの引っ越し社に問い合わせたが、どれも予想より高い。
内訳をFAXで送ってもらったところもあるが、どうも納得がいかない。

また、家には古いデスクトッブ・パソコンガある。
早くに処分しておけばよかったのだが、毎日の忙しさにかまけて、ほったからしになっていた。
そのうち、パソコンの処理は有料という制度になってしまった。
何かと出費が伴うので、出来る限りコストは抑えたい。
またまたインターネットで、リサイクルセンターに出張買い取り見積もりを依頼。

別に、買取りしてもらわなくてもいい。
ただで持って行ってくれれば、いいのだ。

午後、研究会に出る。
しかし、時間がおしすぎて、途中で帰ってしまった。
夕食の約束があったからだ。

今日は、東京から、大叔父が来ている。
なので、祖父母、伯父夫婦、両親も一緒に、いつもの寿司屋に行く事になっていた。
大叔父は医者である。
学会があって、関西に来たついでに祖父母の所に寄ったらしい。

何故、私がそこに行かなくてはならないのか?
それは、祖父の様子を、医者の目で判断して、その意見を聞かなくてはならないからである。
祖父は、最近、急に衰えた。
その事が、子どもたち(すなわちうちの母の兄弟)の間で、問題になった。
誰かが面倒を見ないと、祖父母の二人暮らしはもう無理ではないかという話である。
大叔父も、やはり同じ見解だった。
とりわけ、夜に異変が起きる事を強調していた。
ふう、やっぱりね。

家に帰ると、突然気持ちが悪くなり、空咳がひどくなりすぎて、そのまま嘔吐。
泣きながら、吐き続ける夜。

4月22日
昨日、いくつかの引っ越し社から即答があって、電話で問い合わせをして、さらに細かい見積もりを出してもらう事にした。

母の強い希望により、たん熊の稽古は休めない。
今日の京都は、馬鹿に暑い。
汗がじわーっと出てくるほど暑い。
椀ものに、鍋物なので、さらに暑い。

たん熊に行くと、椀ものなど持って帰る事の出来ないもの以外は、すべて持って帰る事にしている。
昔は、完食していたのだが、身体をこわしてから、食べきれなくなったのである。
あとは、持って帰った方が、母も味や形が分かって都合がいい事も理由の一つである。
しかし、これは同時に、実家に必ず行かなくてはならない事も意味する。

引っ越しが迫っているので、片付けをしたいのだが、結局、夕食を付き合わされた。
家に帰ると、留守電が。

この前の新入生歓迎会の時に、「プー太郎の小川です」と挨拶をしたのを聞いていた先生が、気を遣って頂き、アルバイトとして、少額ながら雇ってくれるというのだ。
嬉しい。
詳細は、明日、日文研にて、という事になったが、これで、両方合わせると、なんとかささやかながら、生活できそうだ。

捨てる神あれば拾う神あり。
ありがたや、ありがたや。

ちゃんと就職したわけではなく、アルバイトでの食いつなぎなので、フリーターには変わりないが、自分の肥やしになる仕事なので、今後につながるようにしなくては。
己を見つめ直して、邁進致します。

4月21日
朝から日文研。
機器説明会のメモを頼りにマニュアルを作成。
いざ、言葉にしようとするとなかなか難しい。

昼休みに、引っ越し見積もりをインターネットで依頼。
こういうときは、ネットは便利である。

午後は先生と打ち合わせ。
週2回の雇用となった。
おそらく5月からの契約になるであろう。
独立行政法人化したために、人事の方というか、事務手続きもこれまでと違ってきているらしい。
予算の関係があって、家賃ぎりぎりの収入だな。
やはり、他にもアルバイトを見つけなくては。

夜は、共同研究員の人が東京から来ていたので、職員さんと先生と4人で御飯を食べに行き、先生には多めに出してもらった上、駅まで送ってもらいました。

ありがとうございました。

4月20日
修士時代の友人とランチの約束。
彼女は6月に第2子出産予定。
1歳5ヶ月になる男の子を連れて、大きなお腹でやってくるから、大変である。
しかし、母は強いね。

彼女が結婚した年以降、会っていない(と思う)ので、久し振りである。
最初は人見知りしていた息子も、すぐになついてくれた。
帰るときになると、指をしっかりと握られて、離してくれない。
大体、私は子供受けがいい。
祖母には、保母さんになったら?といわれた事もある。

しかし、小さい子どもが、おばさんの話には付き合っていられないので、1時間もするとぐずり出す。
きっと、同じ所にいるのに飽きてしまうのだろう。
でも、火がついたように泣きわめいたりしないので、おとなしいと思う。
ランチの店を出て、しばらく外の風に当たらせながら散歩(と言ってもベビーカー)していると、眠ってしまった。

友人は寝ている間にゆっくりしたいということなので、起こさないようにカフェに入る。
そこで、彼が目覚めて、機嫌が悪くなるまで、なんだかんだと2時間ほど喋る。

彼女とは、修士であった瞬間、親友になったので、久し振りに話をしていても、1時間も経つと、まるで昨日まで会っていたかのようである。

次は女の子らしい。
健康な娘を出産するんだよ。

4月19日
なんだか、新しく生活を一新できそうな予感。

朝から雨のせいで、頭痛に悩む。
しかし、今日は忙しいので、そんな事は言っていられない。

朝10時に、不動産に連絡して、もう一度部屋を見せてもらう。
今のところは、狭いけれども、脱衣所のスペースとキッチンスペースが広い。
おまけに収納スペースも多い。
今回の所は、断然広いのだが、新しくシャワー・ドレッサーとシステム・キッチンを導入したせいで、普通のガス台やシンク、洗面台がおそらくあったであろう空間から換算すると、結構狭い。
あと、思ったよりも収納スペースが少ない。
料理をするので、キッチン道具が多いから、収納を考えるとちょっと困った。
また、お風呂好きなので、お風呂関連が狭いのも少し考えた。
トイレとセパレートだからいいか。
今、引き上げてきて床に積み上げられた本やビデオ、資料を置く事を考えたら、申し分のない物件である。
少し無理を言った条件ものんでくれた事だし、今のところではもう生活が出来ないし、これ以上の物件を探していたも同じかなと思って、思い切って決定。

26日に契約をして、引っ越しは5月1日予定。
契約後は、4月中でも荷物を運んでもかまわないとの事。
隣町だからね。

それから、主治医のところに直行。
3日ほど続けて京都に通っては、嘔吐している事が発覚。
うーん。それって、どういう意味?
空咳が止まらないために、抗生物質は停止。
代わりに漢方が増やされる。

診察を終えて、お稽古場に直行。
今日は、母が装束付けなので、必然的にお手伝い。

お稽古をしていたら、メールが入った。
先生からである。
研究支援員として、雇ってもらえる事になり、詳細打ち合わせをしたいので、いつ日文研に来るのかというメール。
嬉しい。
引っ越しを決めたものの、やりくりできても1年持つかどうか、とバイトを探していたので、とりあえず良かった。
なんとか、家賃分だけでも出てくれるとありがたい。

少しでも、いい方向に進んでくれるといいのだが。

4月18日
朝から嘔吐。
やはりね。
無茶するさかい、当然の報いや。

不動産からこちらの条件をのんでくれたので、どうしますか?と連絡。
もう一度、部屋を見たいが、とりあえず、お願いをした。

家に帰って、部屋を片付けはじめた。
引っ越しに備えてだ。

友人よりメール。
夕方から尼崎で用事があるから、それまでこっちに来るという。
あわてて、スペースを作る。

14時頃にやってきた。
荷物が多くてすまない、と謝りながら、かねてより話をしていた物件をほぼ決定した事など、話をする。
偶然ながら、友人も近々引っ越し予定。
というより、友人の方が、先に引っ越しの話をしていたし、不動産も早くから回っていて、いくつか候補物件の話をしていた。
しかし、友人は(今日もそうだが)平日はもとより、土日も休みなしで、働いているために、なかなか時間がとれない間に、私の方が先に決めてしまったのだ。
なんだか、先を越したようで申し訳ない。
まあ、友人は神戸で、私は尼崎だから、同じ物件を狙って争っていた訳ではないので、支障はないのだが。
TVを見ながら、だらだらと過ごす。(本当にだらだら)
その間も、仕事先より携帯に電話が入って、日曜日の昼間だというのに、なんだか可哀想である。
まあ、私は気を遣わない相手なので、楽である。
ずっと、無茶な生活をしていたから、なんだか、久し振りにゆっくりした時間を過ごした。

ほっ。

4月17日
ふらふらである。

昨日は、新入生歓迎会であった。
後輩に乞われて、身分もないのに参加。
しかも、前回のハイキングの時に、「次回は絶対一緒に飲みましょうね。約束ですよ」と後輩に念を押され、「はいはい」と言って、それで振り切って終電で帰ったのだから、今回は逃れられない。

今日の朝から研究会があり、参加予定だったので、日文研ハウスに泊まったのである。
はあ、もう、歳だねえ。
夜遊びはあかんわ。
体力あらへんわ。
ごっつい、しんど。

朝、研究会の前に、院生室でコーヒーを飲んで、すっきりしようと思うが、研究会の間、寒気がして、集中力低下。
自律神経がおかしくなってきている。

別に徹夜をしたわけではない。
昨晩は2時半頃に、日文研ハウスに帰った。
それからお風呂に入って、服薬して就寝。
3時過ぎまで起きている事は、普段でもよくある。
でも、気を遣ったのかなあ。

第一、 最初の歓迎会がいけなかった。
ちょうど、野球中継をTVでしていたために、危ない危ない阪神の勝利を、はらはらしながら、井上先生と後輩とともに、店じまいで追い出されながらも最後まで見ていた。
その時点で、かなり神経を消耗していたのだ。
2次会は、私の苦手な「カラオケ」。
とりあえず、合いの手はいれるけれど、内心楽しくないんだな。

今日は、昼過ぎに日文研を後にして、一路大阪へ。
大荷物を持っているが、町田康のサイン会なので、早々に駆けつけたのだ。
30分前に到着。

またもや1番かと思いきや、4番目である。
そんな熱心なファンって?と見ると、一人目は結構中年のおばさん。
(あ、私もおばさんか。すまない)
驚いたのが、次の人。
杖をついたご老人(男性)なのである。
町蔵って、ファンの年齢層、広いねんなあ。
さすがに、店の人も気を遣ったのか、セッティングが終わると、彼には椅子を用意した。
後の人は、当然立って待たされました。

久々にご尊顔を拝し、一緒に写真も撮ってもらい、ミーハー100%発揮。
かっこいい。

同じく、町田康ファンの顔見知りと当然のごとく、会場で一緒になり、うれしさに任せて、ワイン・バーに行く。
あれほど、ふらふらやったくせに、美味しいワインはするすると入るのが怖い。

しかし、家に帰ると、やはりふらふらでした。

4月15日
嘔吐。
疲労困憊?
自律神経失調?

以前よりインターネットで探していた物件を頼りに、不動産巡り。
店先で出ている手頃物件は、ほとんどがおとり。
これが現実。
話を聞くと、高い物件ばっかり。
安くてもハイツ。

ハイツはねえ。
別にいいんだけど、本とかビデオとか資料の重みに絶えられないだろうなあ。

今回の引っ越しには、かなり制限がある。
自分の条件だけでなく、ふとした軽はずみの発言から、塚口を離れられなくなったのだ。
阪神間は、結構高い。
その上、阪急沿線はさらに高い。
通勤特急、急行が止まる塚口は、その両となり駅に比べても、さらに高い。

大手の不動産チェーンはあきらめて、結局今住んでいるマンションを管理している地元の不動産に頼む事にした。
よく知っているので、良心的である。
阪急とJRの2Way使える南塚口町に決定。
そこは、その不動産が入っている隣のマンションでもあり、何かあったらすぐ連絡できるので便利。
平日は、大家さんが同マンション内に事務所を持っていて、いてはるとのこと。

ちょっと条件が厳しかったので、大家さんに交渉してもらって、今のマンションを出て行くときにいくら戻ってくるのかも計算してもらい、仮に押さえた。

交渉がうまくいけば、契約しようかなと思っている。
部屋は、申し分ない。
結果待ち。

4月14日
先日の機器説明の記憶が新しいうちに、おさらいをしようと職員さんとをしていた。
なので、今日も朝から日文研。

メモ書きを頼りに、これまでの実験したものを削除し、本格的に編集作業に挑む。
しかし、先に聞いていたはずのファイルの削除が、うまくいかない。
いきなり壁に突き当たる。

夕方まで、ふらふらになって作業しました。
分かったような、分からんような。

毎日、大量の荷物を持って帰っているために、足腰、背中がだんだんこわばってくる。
しかも、持って帰ってくる荷物のために、だんだん居場所がなくなってきた。

今月に入ってから、ネットで部屋探しをしている。
引っ越しをしなくては、もうこの狭さでは生活が出来ない。

4月13日
先週の火曜日、寿司屋の夫婦に花見の約束を破られてしまった。
その後、週末にその店に顔を出し、ちょっと嫌みを含みながら、「何が起こったんかなあ?」と質問。
ママの方にお通夜が入ったというやむを得ない事情が分かった。
しかし、問題点が一つ。
ママはマスターにその事を、私に連絡するように伝言していたのだが、マスターは、店の定休日なので、酒を飲み、酔っぱらって連絡を忘れ、そのまま寝てしまったという事だった。
なんや、それ。

そこで、今日、花見はどうでもいいが、兄の店に是非行きたいので、いつまでも待っているから来てくれと言われてしまった。
しゃあないなあ。

今日は、振り替えで「変体仮名講座」があるので、それが終わってから行く事にした。

しかし、朝から不調。
全身がだるくて、動けない。
貧血。
脂汗がぼとぼとと床に落ちるほど、たらたらと流しながら、朦朧として、倒れる。
結局、2時間ほど意識を失い、気がついてから、出かける。
こんなんで、出かける私もアホである。

日文研にて作業。
3週間ぶりの「変体仮名講座」。
4月になって初回なので、新しいメンバーが増える。
その中に、4月より新しく来たフランス人の研究生がいる。
彼の専門は、「陰陽道」。
昨今、日本で流行りの「安倍晴明」である。
昨日、テクストを渡したのだが、今日、いきなりすらすらと読み出す。
初心者向けの「変体仮名講座」に出なくても、読めるやん。
一応、日本語なのに、読めない私は、ちと虚しい。

終了後、荷物をいつものように大量に抱えながら、夕方に河原町へ。
差し入れを購入し、8時頃に兄の店に到着。

今日はいました。
「待ってたよ」と言うマスターは、すでに顔が真っ赤で酔っている様子。
「何でも食べて、ワインも飲もう」と言われ、先週の事もあるので遠慮なくいただく。
といっても、兄の店への協力なのだが。
それから、ワインを2本空け、ベーグルサンドやサラダ、チーズをいただき、一緒に帰りました。
二人とも、ご満悦の様子で何より。

私は、やはり今日も疲れました。

4月12日
朝から、お茶を飲んだら、そのまま嘔吐。
胃液と水分を吐き続けて、気分が悪い。

しかし、今日は花見の約束を前からしていた。
約束の時間までには、なんとか復帰して、塚口駅に向かう。

満90になる祖母と、75になる大叔母と、還暦を過ぎた母に付き添い。
行き先は、「原谷苑」と仁和寺。
「原谷苑」は最近、すっかり有名になり観光地化してきたが、個人の持ち物。
個人のお庭なのである。
ほとんどが紅枝垂れなので、ちょうど満開だった。
紅枝垂れというと「平安神宮」が有名だが、そこまで手入れした庭園ではない。
しかし、本数が半端ではない。
平安神宮のように、棚をもうけていないので、枝垂れの枝が地面に着くほどたわわに花をつけて下がっていて、ごっつい迫力。
綺麗だけじゃ、言い足りない。
感動ものである。
天気もよく、真っ青な空に、紅枝垂れにピンクが映えて、そらもう、美しい事やら。
ちょっと暑かったので、朝の調子の悪さがぶり返して、貧血気味になるものの、高齢の祖母の楽しそうな姿を見ていると、そんなそぶりは見せられない。

タクシーで、仁和寺へ。
仁和寺は、もちろん「御室桜」。
紅枝垂れとは対照的に、真っ白なおたふく桜。
木の高さ自体が低いので、花くす玉みたいに、花がころころと咲いていて、それが手に取れるところにあり、これもまた一興。

さんざん、花見を満喫した後、一路、祇園へ。
祇園の「由良之助」にて、美味しいお昼をいただき、夕方に帰りました。

そういえば、原谷に行くタクシーの中で、運転手さんに興味深い事を教えてもらった。
先日、見に行った円山公園の枝垂れ桜の事である。
長年、円山公園の桜(だけではないだろうが)を世話してきた庭師さんが、昨年(今年だったっけ?)亡くなったそうである。
そうか、長年手入れをしてきた庭師さんを失って、桜の咲きも悪かったのか。
木も生き物なんだなあ、と実感。

花見を堪能したが、疲労は花見では癒されない。

4月11日
よく眠れず、朝早く目覚ましがなる前に覚醒。
お弁当を作って、ワインを持って、久し振りにスニーカーを履いて、リュックを背負って日文研へ。

実は、この裏山から亀岡に抜ける山越えは、以前一度した事がある。
1回の時だった思うが、先輩方と先生と一緒にわいわいと山越えした事を覚えている。

今回は、私が最長か(年齢はともかく)。
悲しいな。
新入生に「かっこいいですね」と言われて、複雑な気分。
「姉御」と呼ばれて、さらに複雑な気分。
そりゃ、歳を食っているのだから、仕方ないけれど、女子校時代はともかく、今更年下の女の子に「かっこいい」と言われるのもなあ。
まあ、ええか。

トロッコで嵐山まで戻って、渡月橋のそばで、宴会。
といっても軽くビールとおつまみだけなので、桂に戻ってから焼き肉。

こんなに運動したのは、何年ぶり?
金曜日からずっと朝早く、夜遅いので、疲労困憊。
後輩に甘えられて、さらに飲みに行こうと誘われるところを、とりあえず振り切って終電で帰る。
もう、駄目だ。

4月10日
今日も9時半に日文研に通う。
審査終了後、あるいは就職できなかったとき、さまざまな先生方に「出来る限り研究会に出て、いろいろ顔つなぎしなさい」というアドヴァイスをいただいた。
もちろん、他にもたくさんの事を示唆頂いているが。

その関係もあって、午前中から研究会に参加。

午後は、井上先生の共同研究会にオブザーバーとして参加。
事務手伝いをする。

もちろん、懇親会にも出て、幹事の先生に補佐を頼まれて会計を担当。
幹事の先生は、非常に気を遣って下さり、「いろいろ手伝ってもらう代わりに、共同研究員にしてあげられないか」とご助言下さる。
してもらえると、ありがたいが。
こればっかりは、私が希望してなれるものではないからな。

余った食材を持って帰り、明日のハイキングに持って行く弁当の食材を、閉店直前のダイエーで買い込み、家に帰り着くと、午前様。

明日、断ればよかったものの、今更誰に連絡する事も出来ず、泣きながら、弁当の仕込みをして、服薬。
お風呂に入って、寝る準備をしたが、眠気が来ない。
懇親会が刺激的すぎたからかしら。

4月9日
朝9時半に日文研に出勤。
業者さんが、朝から来るという話を聞いたので、情報課の人に頼んで、午後の説明会の前に、個人的に質問をしていいという許可を得たのである。

10時過ぎにもう一人の職員さんと待機。
業者さんがやってきたら、早速質問を浴びせる。
前回と同じ人なので、向こうもこちらを覚えているから、話が早い。

しかし、調子がいいというか、全く都合のいい説明しかしてもらえず、憤慨。
行き当たりばったりの回答をもらい、不安が残るものの、昼になってしまったので、とりあえず、聞きたい事を優先的に聞いて、午後の説明会に臨む。

午後は、先生方や情報課の人など、今回初めて説明会に参加する人がほとんど。
(というより、前回は私たちだけだったから。)
とにかく、私たちの事は無視して頂いて、初めての人に向けて、一から説明をしてもらう。
その方が、こっちも分かりやすいから。

前回、説明してもらうはずが、時間切れで省略された機械の説明にうつる。
「誰か実際触ってみた方がいいのではないですか?」という言葉に、説明会に来ていた先生の一人が「これを使うのは、小川さんでしょ?やってみて」とご指名。
触るのはいいのだが・・・
内心、「先生、私は今、日文研に所属していないんですけれど・・・」と虚しく思う。

結局、今日も19時までかかって、ふらふら。
後半は、時間をはしょって業者さんの一方的な説明になってしまったために、パニック。
機械音痴の私には、向いてないわ。

4月8日
朝から空っぽの胃を抱えて、水分と胃液を嘔吐。
ちょっと、京都が続き、つきあいが続くとこれでは、大丈夫なのか?

1日家で、弱り切って倒れる。
昏倒できれば、楽なんだけれど、相変わらず不眠は治らない。
疲労だけが募る毎日。

4月7日
「変体仮名講座」があるので、今日も日文研に通う。
今日も、新しい機器の実験。
とりあえず、金曜日に聞きたい事をあげられるだけ、書き出して、問題点を整理。

朝から、機械に囲まれているので、気分が悪い。
おまけに、「変体仮名講座」が先生の都合で、ドタキャン。

夜は父に付き合って、梅田で焼き鳥。
父に付き合うには訳がある。
それは、帰りを遅くして、しかも夕食を食べさせる事によって、母が実家にゆっくりいて、祖父母の面倒を見る時間を作るためである。

こんなに気を遣っている私って・・・
いくら飲んでも、酔えない。

4月6日
今日も日文研に通う。
なんだか、修了して、席(籍)がなくなってからの方が、よく通っているのは何故?
それは、大量の荷物を持って帰らないといけないから。
許してくれ。

今日は、家族で昔から行きつけの寿司屋の夫婦が、花見で京都に行き、帰りに兄の店に行くという。
自称「セカンド・パパ」と称し、私の事を「我が娘」のようにかわいがってくれているマスターは、当然ながら、一緒に行こうと誘う。
確かに京都にはいるのだが。

別に付き合う必要もないが、兄の店はどちらかというと「若者」向けである。
おじさん、おばさんはやはり浮いてしまう。
忙しくて、今年に入って、兄の店にもほとんど行っていないので、母と夕方に落ち合って兄の店に行く事にした。

カフェなので、食べるものが主流ではない。
ずっと行っているので、メニューは食べ尽くしている。
といっても、何にも食べないのも悪いので、一度行ってみたいと言っていた「泉門天」に餃子を食べに行く事にした。
小腹を押さえる程度ですむから。

「泉門天」は祇園にある。
折角なので、円山公園の枝垂れだけ見に行く。
すごい人である。
みんなが「綺麗だ、綺麗だ」としきりに言いながら、写真を撮っている。
しかし、私にしては違和感が。
あれ、円山公園の枝垂れってもって立派じゃなかったっけ?
なんか、小さくなったような気がする。
それを、母に指摘すると、暫くして、「何本かの枝に花が全然ついてないじゃない」と答えられ、夕闇の中、目をこらすとたしかに、枯れているらしい枝が何本もある。
どおりで、貧弱に見えたんだ。
寿命なのかしら?

餃子を食べながら、阪神戦をTVで鑑賞。
負けているので、むっとしながら、店を出て、折角なので白河通りを通っていく。
満開で、川に枝が垂れ下がっていて、綺麗である。
円山公園よりもこっちの方がいいなあ。

兄の店に行くと、もうついているはずの夫婦がいない。
「おかしいね」と言いながら、いくつか注文し、今日のために特別取っておいてもらったワインをボトルで空けながら、待つ。
おかしい。
いつまで経っても来ない。
携帯を持っているのは知っているが、番号を知らない。
9時過ぎて、しびれを切らして、息子の携帯を私が知っているので、メールして番号を問い合わせる。
息子の方とは、前から一緒に飲みに行こうと誘われていたのだが、忙しさにかまけて、ほっていた。
皮肉にも、こんなメールをしたら、埋め合わせに飲みにいかなあかんなあ。

番号を教えてもらったものの、いくらかけてもつながらず、一人でボトルを空けて、もう1本は、買い取って京都を後にした。
酔っぱらいやがな。

4月5日
昨日は、調子崩して、1日引きこもり。
今日は、気を取り直して、日文研に行く。
荷物を持って帰らないといけないから。

ついでに、新しい機器をいじる。
今週の金曜日に、機器説明会があるからだ。
それまでに、質問事項をまとめておこうと思っている。
しかし、いじるごとに違う現象が起きて、いーっとなる。
なんだ、この機械は?

院生室から立ち退いたので、普段は端末室あるいは編集室に、席を占めている。
しかし、両方とも飲食禁止のため、お昼御飯は院生室にて食べさせてもらう。
新しくきた研究生の人とおしゃべりをする。
刺激的である。

後輩には、花見に誘われる。
来週の新入生歓迎会にも誘われる。
誘ってもらえるうちが花。
とも思うが、私が行っていいのか?
一応修了して、今は日文研ともほとんど関係のない人間なのだが・・・。
(共同研究員になれたので、施設を使う権利は持っているから無関係ではないか)

花見といっても内実日文研の裏山のハイキングである。
日曜日の8時に日文研に集合という。
そんな時間に来られるかい!
遠いんじゃ。
と、戯れに言うと、私が来るまで待ちます、と殺し文句を言われ、9時過ぎ集合に時間が変更された。
そ、それって、断れないでしょ。
はい、はい、参加します。
「NO」と言えない日本人。
そんな元気があるのか?

4月3日
弱っているので、家に引きこもりたかったのだが、稽古は休めない。
両親の都合に振り回され、しかも会っているときは、虚勢をはっているから、相手は私が弱っているとは思っていないようである。

そりゃそうだわな。
6年もかけて、漸く学位を取得して、就職はないにせよ、今はゆっくり休める気楽な身分と思われても仕方がない。
全然、気楽ではない。
しかし、相手は就職がないから、私を暇人だと思っている。
それは、違うんだってば。
といっても、分からんわな。

内田先生が「融」の装束をつけるので、そのお手伝いにかり出される。
もちろん、自分のお稽古もたっぷりしていただけるのだが。

夕方になったために、父の面倒を見に、結局夕食を付き合わされる。
ふらふら。

夜中に家に帰り、嘔吐。

4月2日
たん熊さんのお稽古に行く予定だったが、昨日あまりに弱り果てていたので、断念。
4月の第1回目は「花見弁当」である。
焼き物などが少し変わるぐらいで、だし巻き玉子や定番のものは、大体想像がつく。(と言ったら失礼だが)
品数を作らないといけないので、時間がかかるし、体力的に持つかどうか不安でやめた。

午前中、起きてはいるのだが、とりあえず転がっている事に。
空咳が止まらず、このままだと吐きそうだが、何とか持ちこたえる。
自律神経失調は相変わらず。

午後、待ちわびたように主治医の所に駆けつける。
前回、4時間も待たされたので、作業でもしようかとノート・パソコンを持ち歩く。
しかし、今日はすぐに呼んでもらえた。
おまけに空いているのか、待合室は一人だけ。

昨日の嘔吐で弱っている事を訴える。
最近は、少し落ち着いてきたので、診察時間も短かったのだが、さすがに今日は参っていた。
どれくらいかは意識していないが、待合室に戻ると、満席になっていて驚いた。
空咳がひどいので、咳止めを処方してもらう。

友人よりメールが入り、夕食をともにする。
実は、昨日あまりにも弱っていたので、メールが来た時点で、返事で「弱っている」とまさに弱音を吐いていたのだ。
心配して、誘ってくれたらしい。
ありがたい事である。

こうして、支えてくれる人たちがいるのだから、立ち直らなくては。

2004年05月21日

元祖不眠日記の逆襲

5月20日
日文研に出勤。
改札を通ると、捕まる。
昨日で、定期が切れていたのに気づかなかったのだ。
あわてて、定期を購入。
もう学割じゃないから、貧窮。

台風は本当に直撃するのかしら?
雨で頭が痛く、憂鬱な気分。

昨晩、いつものように服薬して眠りにつこうとしたものの、2時間ほどで、あまりの咳のひどさにより、目覚める。
咽喉は痛いし、気分は悪いし、最悪。
また横になると、咳が出る。
電車の中でも、咳き込みだすと止まらなくて、周りの目が気になる。
あ、風邪じゃないので、うつりませんよ、と内心言い訳しているけれど、やはり迷惑顔をされる。
私だって、咳なんかしたくあらへんわ。

さすがに、疲れがたまってきてか、今日は17時に仕事を切り上げました。
頭痛。
咳。
しんど。

5月19日
今日も、日文研にて仕事。
朝から雨で憂鬱。

雨が降ると頭痛がする。
そのせいか、咳をすると頭にがんがんと響く。

契約上は11時出勤だが、他にやることもあるので、少し早めに行く。
11時前に、先生からメール。
至急、手伝って欲しい仕事がある、できれば14時半までに、と。
すぐに、その仕事に取り掛かるものの、難航して、進まない。
ああ、これでは14時半までにはとてもじゃないけれど、仕上がらない。

そう思って、昼休みも取らず、黙々と仕事を続ける。
14時半頃に先生がやってきて、進行具合を聞かれ、3/5ぐらいと答えると、もう少しだから続行するように言われる。
結局、16時半前までかかって、漸く終了。
ああ、しんどい。

途中、咳を抑えるために咽喉を潤すものの、結局咳き込みすぎて、血痰。
薬を飲んでいるのに、何故?

17時からは「変体仮名講座」。
新メンバーが3名増えたものの、みなさんすらすらとお読みになるため、落ちこぼれは私一人か?
頭、悪いさかいなあ。
さらに、別の先生から頼まれごとをされ、土砂降りの中、家に帰り着いたのは21時ごろ。

考えてみたら朝から、口にしたのは、水分だけ。
なんか、食べなあかんなと軽く口にするものの、咳が激しくて食欲減退。

咳って体力いるんやわあ。
げほげほ。

5月18日
朝から日文研に出勤。
秘書として雇っていただいている先生への連絡や事務に奔走。
ああ、忙しい。

忙しさにまぎれて、と言いたいが、ちっとも紛れず、相変わらず咳き込んでいる。
一度咳をすると、しばらく止まらなくなるのだ。
横で仕事をしている職員さんに、「そんなにひどい咳だった?」と心配される。

しかも、用事があって問い合わせの電話をかけているときに、怒涛のように咳が止まらず、電話の相手に上手く用件が伝わらない。
しょうもない話なのだが、7月に「クールス」のライブがある。
「クールス」はローラーの中で、もてはやされたグループで有名だが、メンバーが次々と変わっている。
ここしばらく、関西でのライブ情報をチェックしてきたはずなのだが、「クールス」をみた記憶はない。(クレイジーケンバンドはしょっちゅう見るんだけどね。)
なので、今回のライブは一体メンバーは誰なのかを知りたかったのである。
(まあ、舘ひろしはもうないだろうな、どう考えても)
しかし、「詳細が届いていないので、分かりません」と無下に答えられる。
そうか。

17時に仕事を終えて、今年度より、日文研に客員外国人研究員として来られているストックホルム大学の先生と待ち合わせ。
4月にお会いした時、「スウェーデン語がしゃべりたい」という欲求に駆られて、果敢にスウェーデン語でご挨拶して、話しかけてみたのだ。
先生は日本の近現代文学が専門である。
それから、面白がって、日文研内で会ったときには、スウェーデン語で挨拶してくれる。
そこから、一緒にご飯を食べに行く約束をしたのだ。

しかし、留学していたのはもう15年も前。
スウェーデンの友人、ホスト・ファミリーが訪ねてきたり、私がスウェーデンに行った事を考えても、最後にまともにスウェーデン語を話したのは、7~8年前。
それ以来、全く話していなかった。

今回はポケット・辞書を片手に、果敢に挑むが、何度やっても惨敗。
しどろもどろ。
情けない、こんなに簡単に忘れてしまうとは。
語学は継続なり。本当です。

助かるのは、先生が日本語達者であるということ。
途中まで、単語を連ねて努力するのだが、どうしてもだめになると、思わず日本語で「これってスウェーデン語でなんて言いましたっけ」と聞いてしまう。
日本語で会話した方が、ずっと流暢にコミュニケーションが取れることは、きっと二人とも分かっているのだが、先生は優しくて、私の拙い、ぼろぼろのスウェーデン語に付き合ってくださる。
とても、楽しい時間が過ごせました。
よし、スウェーデン語を久々に思い出すよう、頑張るぞ!

5月17日
咳をしすぎて、脇からお腹、背中から腰にかけて筋肉痛である。
よろめきながら、カイロプラティックに行くものの、咳が激しすぎて、治療されているのかよく分からない。
「今日は、そんなに体は歪んでいませんよ」と言われても、咳のしすぎでしんどくてボーっと聞き流し、「さようなら」と言い、ふらふらと帰るばかり。

さすがに自分でも、血痰を吐いたことにショックを受けて、よく流行っている耳鼻咽喉科に診察を受けに行く。

実は、空咳がひどい時は「結核では?」と言われて、内科に強引に連れて行かれ、レントゲンを取ったが、まったく異常が無かった。
「少し、気管支が弱いのでしょう」と言われただけだった。
それで、そのままほっておいた。

今回は、肺の検査をされ、「気管支喘息の一歩手前」と診断される。
特に左の肺から、喘息の人に見られる雑音が聞こえるとの事。
「喘息ではありませんからね。でも一歩手前だと思ってください」と言われ、吸入をされる。
結構へこんだ。

抗生物質ではないが、薬を6日間処方されて、改善の余地が無ければ、次回は点滴で気管支を広げるといわれた。
がーん。
なんか、病名を言われると、病気を再認識してしまい、余計にしんどくなるということがあるが、まさにその状態。

やりきれない状態で、家に帰るものの、咳としんどさで茫然自失。
頭の中では、「あれやって、これやって」と思考がめぐるのだが、肝心の身体さんはちっとも動いてくれない。

親友よりメールでご飯の誘いがあり、気を紛らわしたいばかりに出かける。
親友は喘息持ちであり、今も会社勤めの過度のストレスより、軽い喘息を起こしている。
そこで、「なんか、気持ち分かるわ。実は喘息の手前って言われて、これでこんだけしんどいんやから、相当しんどいわなあ」としんみり話してしまう。
二人揃って、飲みに出かけたものの、二人とも体調不良のため、珍しく早く切り上げて帰る。(いつもなら終電まで飲んでいるのだが)

その他にも本当に小さなことだが、今の私には結構ショックな出来事が続き、弱りきっている自分を発見。
衰弱。

5月16日
念願の本棚が到着。
そのほか通販で頼んだダスト・ボックス(尼崎は分別が結構うるさいのだ)など、到着。

これで、照明が入ったら、一応部屋が全体に片付く予定。
今日も朝から咳が激しい。
痰が絡むが、上手く切れない。
呼吸が苦しい。

市販の咳止めを飲んでいたら、体全体がだるくて仕方がない。
せっかく、荷物が届いたのに、片付ける気力も体力も無く、横になると咳が激しく、座っていたら、体がだるい。

どうなっているのだ。
漸く重い腰を上げて、通販グッズを組み立てようとするが、プラスドライバーでねじを締めようと、力を入れると、たちまち激しい咳に襲われ、力が入らない。
な、情けない。

何度やっても惨敗。
咳き込みすぎて、涙を流し、今日もまた血痰を吐く。
なんか、やばいかも。

5月15日
朝、家に帰ると咳が止まらず、しかも全身がだるくて、ソファの上に昏倒。
1時間ほど意識を失う。

午後は映像学会関西支部会が京都造形大であるために、しんどいとは思いつつ、よろよろと出かけていく。
偶然ながら二人とも時代劇を題材にした発表だったから。

電車の中で、久しく会っていなくて、会いたいなあと思っていた知り合いと偶然一緒になる。
しかも、行き先は違うものの降りる駅は二人とも河原町。
こういう偶然ってあるのよね。
体調不良で憂鬱であったはずが、楽しいお話をしていて、気分が晴れた。
現金というんやね、こういうことを。

造形大は初めてと思っていたが、なんだか見たことのある風景だ。
ううん、何故?と思っていると、造形大の系列で、国際センター(正しい名称は失念)がすぐ近くにあり、実は、日本語教師の勉強をしていた時に、ここに常勤講師(日本語教師)の試験を受けに来て、落ちた記憶が甦った。
むむ、複雑。

会場に到着し、久方ぶりに会う先生方に挨拶し、事務局担当の先生には住所変更をお願いする。
以前、私の発表を面白がっていただいた先生から「また、新たな発表を楽しみにしていますよ」とお声をかけていただき、励まされた気分に。

発表は非常に面白く感心していたのだが、「殺陣」についての言及があったために、意地悪ばあさんと化して、少しばかり質問をして困らせてしまったようだ。
休憩時間に、さすがに良心が痛み、「ごめんね、マニアックな質問して」と小心者の私は、詫びを入れてしまう。
すると、「ボク、学部生の時におがわさんの発表を聞きましたよ。『子連れ狼』のところが刺激的で、今でも覚えています」と言われ、うろたえる。

別の先生と話をしていると、二人目の発表者も私が発表した時に学部生であり、一度メールをいただいたことのある人であった。
(って事は、「日記を読んでいます」と名乗ったのは君か?)
本当に、失礼なのだが、言われないと気づかなかった。
すまない。

発表を聞いている間も咳が止まらず、さすがに懇親会は辞退して、家路に着くことに。
会場を出ようとすると、また別の学生に声をかけられ、「去年のセミナーで一緒だったのですよ。覚えています」と言われ、物忘れの激しい私は、またもや覚えていない。
ええっと、どなたでしたっけ?と心の中でうろたえる。
しばらくお話をして、名刺がないので、とりあえず名前とメール・アドレスを交換して別れました。

ああ、なんでこんなに物忘れが激しいのか、それとも物覚えが悪いといった方が正しいのかもしれない。
情けない。

昼ごはんを食べるタイミングを逸していたのだが、食欲があまりない。
家に帰って呆然。
疲れたのでソファに横になって、遅くまでしんどいしんどい阪神戦を見ていたら、咳がぶり返して止まらない。
繰り返し咳き込むと、涙が出てきて苦しい。
といっても、熱はないし、昨日みたいに悪寒もしない。

何も食べないからいけないのかなあ、と咽喉越しのよさそうなものを食すが、咳が激しくなるばかり。
咳の勢いで、とうとう嘔吐。
最近、吐かなくなっていたのに・・・

ちょっと落ち着いたかと思いきや、ついに血痰を吐く。
苦しさと寂しさにより涙で目が腫れる。

薬が早く効かないかしら。

5月14日
午前中に、ケーブルTVの工事が来て、衛星他いくつかのチャンネルが見られるようになった。
月々3500円は「高い」と思っていたが、考えてみれば映画を2本見に行けば、3600円である。
映画館で見る映画はもちろん見るが、2本分の値段で、なんだかんだとビデオになっていないような映画も多数見る事が可能である。
そこで、ちょっと痛いかなと思ったが、申し込んだのである。

早速、大映や東映の映画をチェックして、ご満悦。
昼ご飯を食べてから、楠公さんの神能殿に能楽を見に行く。
楠公さんの記念に、何年かに一度、「楠露」という能楽が出るのだが、ツレを師匠が演じるので見に行ったのである。
ツレと言っても役は楠木正成。
主役であるシテの方が、全然ぱっとしない不思議な能である。
明治に作られた新作能なのだが、ワキというものが存在しない。
普通の能楽のパターンに置き換えると、ツレとトモが、元来のワキとワキツレになる。
しかし、この「楠露」は台詞・謡がほとんどツレ一人で占められ、地謡もシテも言葉が少ない。
おまけに、ほとんど動きがないので、見ていると意外とつまらない。
師匠は覚えるのに苦労されていたのを知っている。
プロだから当たり前、と思われるかも知れないが、一言一句間違えない正成は、楠公さんで「楠露」が定期的に舞われるようになって、どうも初めてという噂も聞いた。
それほど、長くて覚えにくい、あまり出ない能楽だそうだ。

帰り際に「誰もいないから祖父母に家に泊まって」と母に言われる。
疲れているのに、断れない。
こういう宿命なのか?

なんだか、調子がどんどん悪くなっている。
ずっと咳が止まらなかったのだが、今日に関してはちょいと事情が違うらしい。
首筋から背筋にかけて、悪寒が走る。
咳をすると頭にがんがん響く。
この前まではから咳だったので、けほけほ、こほこほといった感じの咳だった。
しかし、今日はたんが絡むようなげほげほ・ごほごほと質が変わり、苦しさが倍増。
ストレスか?

5月13日
衝撃的事実が発覚。
というより、衝撃的な勘違い。
後輩に、「最近、不眠日記書いていますか?」と言われ、あれ、彼も読んでいたのかしら、とインターネットの怖さ?を思いつつ、「書いているよ。最近更新したはず」と答える。
すると、その後輩が「なんか知り合いから聞いたんですけれど、3月の末頃に『不眠日記』を読んでいたら、「所長のバカヤロー」とか書いてあって、おがわさん荒れているのかなっと思っていたんですけれど」と身に覚えのない事を言われ、愕然。
ちょっと、待って。
私はそんな事を書いた覚えはない。
「書かないよ、そんな事」と言うと、Yahooで『不眠日記』と入れて検索してくれた。
びっくりした。
確かに過去の日記が検索される。

その中に『不眠日記』という全く同タイトルの日記がある。
考えてみれば、不眠の人が増えているのだから、こんな安易な題名は誰でもつけそうなので、こんな日記が山のようにヒットしてもおかしくないわけだが。
そこにありました。
ちゃんと覚えていないのだが、「波瀾万丈な日々をつらねてみました」といった内容の日記が。
「どこどこ?」と聞いて3月下旬の日記を読んでみると、確かに組織に対する憤りと不満、悪口が満ちあふれている。
社長ならいいけれど所長となると、勘違いされるわな。
だけど、「上司」とか「会社」とか「俺」とか、おそらく会社勤めの性別:男の日記として読めないか?
などと言うと、「カモフラージュのために会社にたとえたとか、俺と言っても女の子も今使っているし、いくらでも憶測してしまいますよ」と言われ、複雑な気分。
しかし、あえて言いたい。
その日記の執筆者は相当な「ゲームマニア」であるらしい。
会社でも、どこでも「ゲーム」の事が頭の大半を占めているらしい告白らしきものが日々の日記に満ちあふれている。
確かに、日記はヴァーチャルであって、それをそのまま事実と受け取るのは危ない。
創作だって、誇張だって大いにあり得る。
けれども、私はゲームを全くと言っていいほどしない。
今、ファミコンのソフトでチャンバラものが多いので、その辺りは知っておきたいところなのだが、本当に知らないのである。
混同しないでくれ。
ついでに「不眠日記」と題名をつけつつ、「眠い」という言葉をよく見かける。
「不眠やのに、なんで眠いんや!」と思わず、つっこみを入れてしまいました。
虚し。

18時半過ぎたので、会場である日文研ハウスに行くが、誰もいない。
あれ?と思っていると、各部屋で料理を作ってきたみんながぽつぽつ集まってきた。
中国3名、韓国1名、フランス1名、キューバ1名、後からカナダ1名と、日本は私1名。
インターナショナルというのかしら。
何故か、阪神・巨人戦を見ながら、楽しい一時。

けれども今日は大雨。
行きも、帰りも傘が役立たず、濡れ鼠。
家に帰るとびしょびしょで哀しい気分。

5月12日
今日も、朝から日文研。
仕事が進まない。

昨日に引き続き、雑事に追われる。
今日、正式に日文研の研究支援推進員教務補佐係という非常勤職員に採用された。
まあ、名称は立派だが、要はパートのおばさんだ。
それでも収入ができるのと、研究環境が確保されたので、先生のご尽力に感謝。
といっても、「これだけじゃ生活できないね」という話になる。
とにかく、業績を稼ぐ事、と言われて、仕事を一つもらう。
うーん。自信がないが、とにかくやらなくては何にもならないから。

院生室で、お昼を食べていると、後輩、研究生に「テキーラ・パーティ」に誘われる。
最初は14日と聞いていたのだが、ちょっとその日は・・・と、返事を曖昧にしていた。
すると、「日程変更で、明日になりました」と言われる。
明日は、日文研出勤日。
だったら行く事にして、持ち寄りの料理を考える。
私が作るからには、やはり和食かなあ。

「変体仮名講座」は順調かと思いきや、虎の巻のないところもやりましょうと言う事になって、途端に停滞。
ああ、この字は何度も出てきているのに・・・と思うのだが、読めない。
先生に字母を言ってもらって、漸く1行読むのが必死。
こんなんで、本当に読めるようになるのか。
前途多難。

家に帰って、買い物をし、料理を作る。
出来るだけ季節のものがいいけれど、疲れているので、あまり手間もかけたくない。
結局、筍御飯を炊いて、あとは炊き合わせ。
ずいき、小芋、万願寺唐辛子の海老詰め、生麩に絹さや。
おそらく、あまり外国では馴染みがないであろうという季節ものを選択したつもりである。
(小芋と筍は珍しくないか)
みんなの口に合うかしら?

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