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元祖不眠日記の逆襲

5月20日
日文研に出勤。
改札を通ると、捕まる。
昨日で、定期が切れていたのに気づかなかったのだ。
あわてて、定期を購入。
もう学割じゃないから、貧窮。

台風は本当に直撃するのかしら?
雨で頭が痛く、憂鬱な気分。

昨晩、いつものように服薬して眠りにつこうとしたものの、2時間ほどで、あまりの咳のひどさにより、目覚める。
咽喉は痛いし、気分は悪いし、最悪。
また横になると、咳が出る。
電車の中でも、咳き込みだすと止まらなくて、周りの目が気になる。
あ、風邪じゃないので、うつりませんよ、と内心言い訳しているけれど、やはり迷惑顔をされる。
私だって、咳なんかしたくあらへんわ。

さすがに、疲れがたまってきてか、今日は17時に仕事を切り上げました。
頭痛。
咳。
しんど。

5月19日
今日も、日文研にて仕事。
朝から雨で憂鬱。

雨が降ると頭痛がする。
そのせいか、咳をすると頭にがんがんと響く。

契約上は11時出勤だが、他にやることもあるので、少し早めに行く。
11時前に、先生からメール。
至急、手伝って欲しい仕事がある、できれば14時半までに、と。
すぐに、その仕事に取り掛かるものの、難航して、進まない。
ああ、これでは14時半までにはとてもじゃないけれど、仕上がらない。

そう思って、昼休みも取らず、黙々と仕事を続ける。
14時半頃に先生がやってきて、進行具合を聞かれ、3/5ぐらいと答えると、もう少しだから続行するように言われる。
結局、16時半前までかかって、漸く終了。
ああ、しんどい。

途中、咳を抑えるために咽喉を潤すものの、結局咳き込みすぎて、血痰。
薬を飲んでいるのに、何故?

17時からは「変体仮名講座」。
新メンバーが3名増えたものの、みなさんすらすらとお読みになるため、落ちこぼれは私一人か?
頭、悪いさかいなあ。
さらに、別の先生から頼まれごとをされ、土砂降りの中、家に帰り着いたのは21時ごろ。

考えてみたら朝から、口にしたのは、水分だけ。
なんか、食べなあかんなと軽く口にするものの、咳が激しくて食欲減退。

咳って体力いるんやわあ。
げほげほ。

5月18日
朝から日文研に出勤。
秘書として雇っていただいている先生への連絡や事務に奔走。
ああ、忙しい。

忙しさにまぎれて、と言いたいが、ちっとも紛れず、相変わらず咳き込んでいる。
一度咳をすると、しばらく止まらなくなるのだ。
横で仕事をしている職員さんに、「そんなにひどい咳だった?」と心配される。

しかも、用事があって問い合わせの電話をかけているときに、怒涛のように咳が止まらず、電話の相手に上手く用件が伝わらない。
しょうもない話なのだが、7月に「クールス」のライブがある。
「クールス」はローラーの中で、もてはやされたグループで有名だが、メンバーが次々と変わっている。
ここしばらく、関西でのライブ情報をチェックしてきたはずなのだが、「クールス」をみた記憶はない。(クレイジーケンバンドはしょっちゅう見るんだけどね。)
なので、今回のライブは一体メンバーは誰なのかを知りたかったのである。
(まあ、舘ひろしはもうないだろうな、どう考えても)
しかし、「詳細が届いていないので、分かりません」と無下に答えられる。
そうか。

17時に仕事を終えて、今年度より、日文研に客員外国人研究員として来られているストックホルム大学の先生と待ち合わせ。
4月にお会いした時、「スウェーデン語がしゃべりたい」という欲求に駆られて、果敢にスウェーデン語でご挨拶して、話しかけてみたのだ。
先生は日本の近現代文学が専門である。
それから、面白がって、日文研内で会ったときには、スウェーデン語で挨拶してくれる。
そこから、一緒にご飯を食べに行く約束をしたのだ。

しかし、留学していたのはもう15年も前。
スウェーデンの友人、ホスト・ファミリーが訪ねてきたり、私がスウェーデンに行った事を考えても、最後にまともにスウェーデン語を話したのは、7~8年前。
それ以来、全く話していなかった。

今回はポケット・辞書を片手に、果敢に挑むが、何度やっても惨敗。
しどろもどろ。
情けない、こんなに簡単に忘れてしまうとは。
語学は継続なり。本当です。

助かるのは、先生が日本語達者であるということ。
途中まで、単語を連ねて努力するのだが、どうしてもだめになると、思わず日本語で「これってスウェーデン語でなんて言いましたっけ」と聞いてしまう。
日本語で会話した方が、ずっと流暢にコミュニケーションが取れることは、きっと二人とも分かっているのだが、先生は優しくて、私の拙い、ぼろぼろのスウェーデン語に付き合ってくださる。
とても、楽しい時間が過ごせました。
よし、スウェーデン語を久々に思い出すよう、頑張るぞ!

5月17日
咳をしすぎて、脇からお腹、背中から腰にかけて筋肉痛である。
よろめきながら、カイロプラティックに行くものの、咳が激しすぎて、治療されているのかよく分からない。
「今日は、そんなに体は歪んでいませんよ」と言われても、咳のしすぎでしんどくてボーっと聞き流し、「さようなら」と言い、ふらふらと帰るばかり。

さすがに自分でも、血痰を吐いたことにショックを受けて、よく流行っている耳鼻咽喉科に診察を受けに行く。

実は、空咳がひどい時は「結核では?」と言われて、内科に強引に連れて行かれ、レントゲンを取ったが、まったく異常が無かった。
「少し、気管支が弱いのでしょう」と言われただけだった。
それで、そのままほっておいた。

今回は、肺の検査をされ、「気管支喘息の一歩手前」と診断される。
特に左の肺から、喘息の人に見られる雑音が聞こえるとの事。
「喘息ではありませんからね。でも一歩手前だと思ってください」と言われ、吸入をされる。
結構へこんだ。

抗生物質ではないが、薬を6日間処方されて、改善の余地が無ければ、次回は点滴で気管支を広げるといわれた。
がーん。
なんか、病名を言われると、病気を再認識してしまい、余計にしんどくなるということがあるが、まさにその状態。

やりきれない状態で、家に帰るものの、咳としんどさで茫然自失。
頭の中では、「あれやって、これやって」と思考がめぐるのだが、肝心の身体さんはちっとも動いてくれない。

親友よりメールでご飯の誘いがあり、気を紛らわしたいばかりに出かける。
親友は喘息持ちであり、今も会社勤めの過度のストレスより、軽い喘息を起こしている。
そこで、「なんか、気持ち分かるわ。実は喘息の手前って言われて、これでこんだけしんどいんやから、相当しんどいわなあ」としんみり話してしまう。
二人揃って、飲みに出かけたものの、二人とも体調不良のため、珍しく早く切り上げて帰る。(いつもなら終電まで飲んでいるのだが)

その他にも本当に小さなことだが、今の私には結構ショックな出来事が続き、弱りきっている自分を発見。
衰弱。

5月16日
念願の本棚が到着。
そのほか通販で頼んだダスト・ボックス(尼崎は分別が結構うるさいのだ)など、到着。

これで、照明が入ったら、一応部屋が全体に片付く予定。
今日も朝から咳が激しい。
痰が絡むが、上手く切れない。
呼吸が苦しい。

市販の咳止めを飲んでいたら、体全体がだるくて仕方がない。
せっかく、荷物が届いたのに、片付ける気力も体力も無く、横になると咳が激しく、座っていたら、体がだるい。

どうなっているのだ。
漸く重い腰を上げて、通販グッズを組み立てようとするが、プラスドライバーでねじを締めようと、力を入れると、たちまち激しい咳に襲われ、力が入らない。
な、情けない。

何度やっても惨敗。
咳き込みすぎて、涙を流し、今日もまた血痰を吐く。
なんか、やばいかも。

5月15日
朝、家に帰ると咳が止まらず、しかも全身がだるくて、ソファの上に昏倒。
1時間ほど意識を失う。

午後は映像学会関西支部会が京都造形大であるために、しんどいとは思いつつ、よろよろと出かけていく。
偶然ながら二人とも時代劇を題材にした発表だったから。

電車の中で、久しく会っていなくて、会いたいなあと思っていた知り合いと偶然一緒になる。
しかも、行き先は違うものの降りる駅は二人とも河原町。
こういう偶然ってあるのよね。
体調不良で憂鬱であったはずが、楽しいお話をしていて、気分が晴れた。
現金というんやね、こういうことを。

造形大は初めてと思っていたが、なんだか見たことのある風景だ。
ううん、何故?と思っていると、造形大の系列で、国際センター(正しい名称は失念)がすぐ近くにあり、実は、日本語教師の勉強をしていた時に、ここに常勤講師(日本語教師)の試験を受けに来て、落ちた記憶が甦った。
むむ、複雑。

会場に到着し、久方ぶりに会う先生方に挨拶し、事務局担当の先生には住所変更をお願いする。
以前、私の発表を面白がっていただいた先生から「また、新たな発表を楽しみにしていますよ」とお声をかけていただき、励まされた気分に。

発表は非常に面白く感心していたのだが、「殺陣」についての言及があったために、意地悪ばあさんと化して、少しばかり質問をして困らせてしまったようだ。
休憩時間に、さすがに良心が痛み、「ごめんね、マニアックな質問して」と小心者の私は、詫びを入れてしまう。
すると、「ボク、学部生の時におがわさんの発表を聞きましたよ。『子連れ狼』のところが刺激的で、今でも覚えています」と言われ、うろたえる。

別の先生と話をしていると、二人目の発表者も私が発表した時に学部生であり、一度メールをいただいたことのある人であった。
(って事は、「日記を読んでいます」と名乗ったのは君か?)
本当に、失礼なのだが、言われないと気づかなかった。
すまない。

発表を聞いている間も咳が止まらず、さすがに懇親会は辞退して、家路に着くことに。
会場を出ようとすると、また別の学生に声をかけられ、「去年のセミナーで一緒だったのですよ。覚えています」と言われ、物忘れの激しい私は、またもや覚えていない。
ええっと、どなたでしたっけ?と心の中でうろたえる。
しばらくお話をして、名刺がないので、とりあえず名前とメール・アドレスを交換して別れました。

ああ、なんでこんなに物忘れが激しいのか、それとも物覚えが悪いといった方が正しいのかもしれない。
情けない。

昼ごはんを食べるタイミングを逸していたのだが、食欲があまりない。
家に帰って呆然。
疲れたのでソファに横になって、遅くまでしんどいしんどい阪神戦を見ていたら、咳がぶり返して止まらない。
繰り返し咳き込むと、涙が出てきて苦しい。
といっても、熱はないし、昨日みたいに悪寒もしない。

何も食べないからいけないのかなあ、と咽喉越しのよさそうなものを食すが、咳が激しくなるばかり。
咳の勢いで、とうとう嘔吐。
最近、吐かなくなっていたのに・・・

ちょっと落ち着いたかと思いきや、ついに血痰を吐く。
苦しさと寂しさにより涙で目が腫れる。

薬が早く効かないかしら。

5月14日
午前中に、ケーブルTVの工事が来て、衛星他いくつかのチャンネルが見られるようになった。
月々3500円は「高い」と思っていたが、考えてみれば映画を2本見に行けば、3600円である。
映画館で見る映画はもちろん見るが、2本分の値段で、なんだかんだとビデオになっていないような映画も多数見る事が可能である。
そこで、ちょっと痛いかなと思ったが、申し込んだのである。

早速、大映や東映の映画をチェックして、ご満悦。
昼ご飯を食べてから、楠公さんの神能殿に能楽を見に行く。
楠公さんの記念に、何年かに一度、「楠露」という能楽が出るのだが、ツレを師匠が演じるので見に行ったのである。
ツレと言っても役は楠木正成。
主役であるシテの方が、全然ぱっとしない不思議な能である。
明治に作られた新作能なのだが、ワキというものが存在しない。
普通の能楽のパターンに置き換えると、ツレとトモが、元来のワキとワキツレになる。
しかし、この「楠露」は台詞・謡がほとんどツレ一人で占められ、地謡もシテも言葉が少ない。
おまけに、ほとんど動きがないので、見ていると意外とつまらない。
師匠は覚えるのに苦労されていたのを知っている。
プロだから当たり前、と思われるかも知れないが、一言一句間違えない正成は、楠公さんで「楠露」が定期的に舞われるようになって、どうも初めてという噂も聞いた。
それほど、長くて覚えにくい、あまり出ない能楽だそうだ。

帰り際に「誰もいないから祖父母に家に泊まって」と母に言われる。
疲れているのに、断れない。
こういう宿命なのか?

なんだか、調子がどんどん悪くなっている。
ずっと咳が止まらなかったのだが、今日に関してはちょいと事情が違うらしい。
首筋から背筋にかけて、悪寒が走る。
咳をすると頭にがんがん響く。
この前まではから咳だったので、けほけほ、こほこほといった感じの咳だった。
しかし、今日はたんが絡むようなげほげほ・ごほごほと質が変わり、苦しさが倍増。
ストレスか?

5月13日
衝撃的事実が発覚。
というより、衝撃的な勘違い。
後輩に、「最近、不眠日記書いていますか?」と言われ、あれ、彼も読んでいたのかしら、とインターネットの怖さ?を思いつつ、「書いているよ。最近更新したはず」と答える。
すると、その後輩が「なんか知り合いから聞いたんですけれど、3月の末頃に『不眠日記』を読んでいたら、「所長のバカヤロー」とか書いてあって、おがわさん荒れているのかなっと思っていたんですけれど」と身に覚えのない事を言われ、愕然。
ちょっと、待って。
私はそんな事を書いた覚えはない。
「書かないよ、そんな事」と言うと、Yahooで『不眠日記』と入れて検索してくれた。
びっくりした。
確かに過去の日記が検索される。

その中に『不眠日記』という全く同タイトルの日記がある。
考えてみれば、不眠の人が増えているのだから、こんな安易な題名は誰でもつけそうなので、こんな日記が山のようにヒットしてもおかしくないわけだが。
そこにありました。
ちゃんと覚えていないのだが、「波瀾万丈な日々をつらねてみました」といった内容の日記が。
「どこどこ?」と聞いて3月下旬の日記を読んでみると、確かに組織に対する憤りと不満、悪口が満ちあふれている。
社長ならいいけれど所長となると、勘違いされるわな。
だけど、「上司」とか「会社」とか「俺」とか、おそらく会社勤めの性別:男の日記として読めないか?
などと言うと、「カモフラージュのために会社にたとえたとか、俺と言っても女の子も今使っているし、いくらでも憶測してしまいますよ」と言われ、複雑な気分。
しかし、あえて言いたい。
その日記の執筆者は相当な「ゲームマニア」であるらしい。
会社でも、どこでも「ゲーム」の事が頭の大半を占めているらしい告白らしきものが日々の日記に満ちあふれている。
確かに、日記はヴァーチャルであって、それをそのまま事実と受け取るのは危ない。
創作だって、誇張だって大いにあり得る。
けれども、私はゲームを全くと言っていいほどしない。
今、ファミコンのソフトでチャンバラものが多いので、その辺りは知っておきたいところなのだが、本当に知らないのである。
混同しないでくれ。
ついでに「不眠日記」と題名をつけつつ、「眠い」という言葉をよく見かける。
「不眠やのに、なんで眠いんや!」と思わず、つっこみを入れてしまいました。
虚し。

18時半過ぎたので、会場である日文研ハウスに行くが、誰もいない。
あれ?と思っていると、各部屋で料理を作ってきたみんながぽつぽつ集まってきた。
中国3名、韓国1名、フランス1名、キューバ1名、後からカナダ1名と、日本は私1名。
インターナショナルというのかしら。
何故か、阪神・巨人戦を見ながら、楽しい一時。

けれども今日は大雨。
行きも、帰りも傘が役立たず、濡れ鼠。
家に帰るとびしょびしょで哀しい気分。

5月12日
今日も、朝から日文研。
仕事が進まない。

昨日に引き続き、雑事に追われる。
今日、正式に日文研の研究支援推進員教務補佐係という非常勤職員に採用された。
まあ、名称は立派だが、要はパートのおばさんだ。
それでも収入ができるのと、研究環境が確保されたので、先生のご尽力に感謝。
といっても、「これだけじゃ生活できないね」という話になる。
とにかく、業績を稼ぐ事、と言われて、仕事を一つもらう。
うーん。自信がないが、とにかくやらなくては何にもならないから。

院生室で、お昼を食べていると、後輩、研究生に「テキーラ・パーティ」に誘われる。
最初は14日と聞いていたのだが、ちょっとその日は・・・と、返事を曖昧にしていた。
すると、「日程変更で、明日になりました」と言われる。
明日は、日文研出勤日。
だったら行く事にして、持ち寄りの料理を考える。
私が作るからには、やはり和食かなあ。

「変体仮名講座」は順調かと思いきや、虎の巻のないところもやりましょうと言う事になって、途端に停滞。
ああ、この字は何度も出てきているのに・・・と思うのだが、読めない。
先生に字母を言ってもらって、漸く1行読むのが必死。
こんなんで、本当に読めるようになるのか。
前途多難。

家に帰って、買い物をし、料理を作る。
出来るだけ季節のものがいいけれど、疲れているので、あまり手間もかけたくない。
結局、筍御飯を炊いて、あとは炊き合わせ。
ずいき、小芋、万願寺唐辛子の海老詰め、生麩に絹さや。
おそらく、あまり外国では馴染みがないであろうという季節ものを選択したつもりである。
(小芋と筍は珍しくないか)
みんなの口に合うかしら?

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2004年05月21日 22:01に投稿されたエントリーのページです。

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