「運命論者のひとりごと」

 大仰なタイトルにしたが、本当に「そう」なので、よければご一読ください。

 9月30日
 9月22日の中貝さんとの面談結果を紹介いただいた内田先生に報告するため、寺小屋ゼミが始まる前の15時半からお時間をいただいた。9月30日というと、会社では、上期の締め日で夜は打ち上げという日である。そんな日にわざわざ会社を休むなど、まわりの人間からは、大変奇異な目で見られたが、そんなことは今の僕には、たいして重要ではなかった。
 冒頭に、「大駱駝艦」の話をすると、内田先生もびっくりされて、麿赤児がかつて在籍していた劇団「状況劇場」の芝居を花園神社で観たときの話を嬉しそうにされていた。唐十郎、大久保鷹、麿赤児、そして音楽は山下洋輔という何とも贅沢なメンバーが同じ空間に存在していたなんて信じられない。とても羨ましい。そんな時代も過去の日本にはあったのだ。
 話が一気に横にそれそうだったので、本題に入った。
 「空き家問題について、中貝さんに意見を伺いました。仏壇問題が最大のネックとのことです。僕も不動産業界に長く携わってきましたが、恥ずかしながら全然知りませんでした。」 
すると、「えっ、知らなかった!」と内田先生にびっくりされてしまった。
 内田先生によると、仏壇問題の件は、以前お仕事相手から聞いたことがあるそうで、その解決策として、「留守番」を仕事にしている人もいるとのこと。「留守番人」は、ただひたすら「留守番」だけを専らおこなうだけで、大した報酬は得られないものの、接客や営業をまったくする必要がなく、人と接することが苦手な人にとってはうってつけの仕事
といえる。「空き家問題」解決策の一つになるかもしれない。
 次に「そうそう、サライネスって漫画家の「誰も知らんがな」って知ってる?」と、内田先生は、何かに気づかれた様子で、僕に尋ねた。
 僕が、「知りません」と答えると、「誰も知らんがな」の舞台となっている旅館について、内田先生がサライネスさんに「何となく「香住あたり」に思えてきました。」と直接Xで聞いたところ、「だいたいそのあたりです」との返事があったそうです。起業に向けてジグソーパズルのピースが少しずつ埋まってきているようで、なんだか不思議だ。漫画は全然読まないが、今度読んでみようと思う。また、地方の抱える問題の一つ、観光業の人手不足問題については、二冊の本「新・観光立国論」(@デービッド アトキンソン)、「芸術立国論」(@平田オリザ)を教えてもらった。
 

10月17日
 僕は、どうも原理主義者たちが苦手だ。僕にとっての原理主義者とは、卑近な例で申し訳ないが、「「カレーライスにはウスターソースをかけるのが普通」のように「AはBであるべき。」ということに固執している人たちのことを指す。このようなことを熱く語られても、僕は困惑するばかりだ。そして、往々にしてそういう人たちは、熱く語りたがる傾向が強い。面倒くさい。僕は、特に何かに強くこだわるという性向がほとんどない。大概のことはどちらでもいいのだ。雑な人間だ。
 そう言いながらも、僕は「運命論」原理主義者である。出会いたい人、コト、モノには必ず出会えると固く信じて疑わない。これまでに出会った、数々の人、コト、モノは、どれもちょっとしたことがきっかけとなっている。2002年、JR東西線の社内で雑誌「ミーツ」のページをぱらぱらとめくりながら、初めて内田先生のエッセイを読み、いまではこうやってお話ができるようになったこと。19才のときに観た、当時大人気のバンド「A Decade In Fake」のリーダーに今ではギターを教わるようになり、時々差しでお酒を飲んだりすること。それらのことは、あらかじめそうなることが、最初から決まっていたかのようなふうに僕には思えて仕方がない。自分から能動的に、その出会いを探したことなど一度もない。なにを、僕はグダグダと書いているのかというと、先日「そのような」ことが起きたからだ。
 僕の「社長日記」を内田先生がXで投稿され、その投稿を通じて「社長日記」を読まれたAさんから、奥さんを経由してメールが届いた。メールを読みながら、僕は鳥肌が立った。内容は、Aさんはここ数年、仕事で「豊岡」と関わりを持つようになったそうだ。僕のことをその仕事先の「豊岡」の方に話をしたら、大変興味をも持たれたらしい。Aさんからは、「私で役に立てることがあったら何でもいってください」と、大変うれしいプレゼントもいただいた。僕はすぐにAさんに連絡をし、その方の連絡先を教えてもらうことにした。
 Aさんの仕事、出身地などから「豊岡」とはおよそ接点などないように思えたが、本当に不思議なものだ。なにか大きな力が僕の背中を後押ししているように思えて、僕はワクワクした。
 早速、僕は、その「豊岡」の方に連絡をし、5日後の10月22日に会うこととなった。
 続きは次回に。