『街場の米中論』を読んで

 先日、寺小屋ゼミで「孤独大国ニッポン」というテーマで発表をした。発表を終え、内田先生からのコメントのあと、いつもの質疑応答の時間となったが、テーマがあまりに重たかったのか、当日参加されていたゼミ生から、最初は質問の手が挙がらず、僕は少し困惑したが、その後、何人かの方から、感想や質問をいただき、無事に発表を終えた。  僕は、ゼミの発表用のノートを作っているが、今回の発表にあたり、久しぶりにそのノートを開いてみると、「カントリーミュージック」について調べたことが記録されていた。2020年11月17日のことである。そのときの寺小屋ゼミのテーマは、「アメリカと中国」だったのだが、僕は、「カントリーミュージック」について調べてみることにした。当初は、アメリカにおけるポピュラーミュージック史を考えていたが、アメリカというのは、その面積の広さから、音楽に関してもあまりに広範囲にわたるので、「カントリーミュージック」に絞ることにしたのである。  調べてみて、非常に驚いたことがあった。RIAA(アメリカレコード協会)がアメリカにおけるアルバム総売上枚数を調べたところ、1位「ビートルズ」、2位「ガース・ブルックス」、3位「エルビス・プレスリー」だった。因みに、マイケル・ジャクソンは7位、マドンナは17位だった。これを世界に置き換えると、1位「ビートルズ」、2位「エルビス・プレスリー」、3位「マイケル・ジャクソン」、4位、「マドンナ」となる。 「ガース・ブルックス」の売上と同等の規模のアーティストは、「エアロスミス」、「プリンス」、「スティーヴィー・ワンダー」と日本でも人気のあるアーティストたちで、「レデイー・ガガ」、「イーグルス」、「ブルース・スプリングスティーン」を凌駕しているのである。  もうすでにお気づきだと思うが、「ガース・ブルックス」って誰だということになる。音楽については、それなりに知識があるつもりでいたが、「ガース・ブルックス」という名前は、見たことも聞いたこともない。 「ガース・ブルックス」。ウィキペディアによると、1962年に生まれ、オクラホマ州出身のカントリー歌手で、1989年~1997年の9年間の間に発売された7枚のアルバムの内5枚が1000万枚以上の売り上げを記録している。最近では、バイデン大統領の就任式で、「アメイジンググレイス」を熱唱したそうだ。そもそも「カントリー」は売れないとレッテルの貼られた音楽ジャンルと言われているが、たったの9年間という非常に短い期間に爆発的に売れた。  このことは、僕に別のことを思い出させてくれた。それは、「カウボーイ」である。 「カウボーイ」の存在と「ガース・ブルックスが売れた」事実には大きな共通点がある。それは、先ほど述べた期間の短さに比して、その存在感の大きさである 「カウボーイ」が存在したのは、1865年~1890年までの僅か約25年のことで、しかも最下層労働者である「カウボーイ」は、黒人やインディアン、中国人と雑多な人種から形成されていたという事実である。そんな、我々が西部劇で見るような風景と、実際とが全然違うはずなのに、アメリカ人は、カウボーイを「アメリカ的男性のロールモデル」に仕立て上げ、アメリカ人の無意識的な欲望を盛り込まれた幻想的なアイコンになった。  アメリカにおける「カントリーミュージック」の由来は、遅れてきた移民に由来する。彼らには、居住する場所が残されておらず、主にアパラチア山脈の麓に住み始めた。彼らは、「ヒルビリー」という蔑称で呼ばれていた。アメリカには、「レッドネック」、「ヒルビリー」、「オウキー」など特定の白人に対する多くの蔑称が存在する。なかでも「ヒルビリー」については、その情報があまりに少ないせいで、ネガティブな情報だけが独り歩きした。暴力的で大酒呑み。あるいは、閉じられたコミュニティの中でしか生きていけず、近親相姦を繰り返しているなど。これら、蔑称の総称が「ホワイト・トラッシュ」である。  当時、「ホワイト・トラッシュ」に関する映画を調べていたところ、映画評論家の町山智浩の推薦する「脱出」という作品を観た。いわゆるホラー映画ではないが、久しぶりに怖い映画を観た。ストーリーは、男4人組が、カヌーで渓流下りを楽しむために、山深い町で出会うハプニングといったところだろうか。この作品は、山にひっそりと暮らしている「ヒルビリー」に出会ったことから始まる悲劇を描いているといってもいいだろう。  そして、「クライモリ」である。題名は、何となく知っていたのだが、先日WOWWOWで放送されていているのを観た。なんとも怖い映画だった。見終わったあと調べてみると、ウィキペディアには、「ヒルビリーホラー復活のきっかけを作った作品」で、「シリーズ化され、6作目まで制作された。」そうである。  アメリカ人は、「ホワイト・トラッシュ」への自責の念からか、どこかで恐怖を覚えている。 「ガース・ブルックス」の登場は、1989年である。1989年といえば、ベルリンの壁が崩壊し、12月3日のマルタ会談で冷戦の終結が宣言され、アメリカは「冷戦後」に突入する。そんなときに必要だったのは、「あるべきアメリカの姿」だったのではないだろうか。そんな「あるべき姿」として、自分たちが蔑んできた「ホワイト・トラッシュ」への差別を一回捻ったうえで、「カントリーミュージック」に託したのではないだろうか。  このストーリーパターンはたぶん今でも多くのアメリカ人に深い感動を与え続けていると思います。そして、ある種の政治的運動にも心的なエネルギーを備給している。2016年の大統領選挙でトランプに支持を与えた「ラストベルト」の人々や2021年1月6日の連邦会議に侵入した人々を突き動かしていた情念は、この物語に培養されたものではないかと。  僕も内田先生のこのご意見に激しく同意する。 ※斜線部分は、「街場の米中論」より