「日本宗教のクセ」を読んで

 僕には、三つ年の離れた兄がいた。「いた」というふうに過去形で書いたのは、兄は、もうすでにこの世にいないからである。いや、厳密にいうなら、僕は、その兄に会ったことさえない。僕の生まれる前に、彼は、交通事故で亡くなっていたからだ。僕は、しばしば、その不在の兄の存在を夢想する。もし、兄がいれば、僕はどんな人間になっていたのだろう。今と同じようになっていたのか、あるいは、もう少しまともな人間になっていたのか、弟というのはどんな感じなのだろう...etc。それほど、僕にとっては、兄の存在が今でも大きく横たわっている。
 また、僕は、31才のときに友人を失った。僕の左腕には、彼の形見のロレックスの腕時計がはめられている。葬儀が終わり、彼の母から、「井上君、これ、形見にもらってあげて。井上君が身につけてくれるなら、きっと息子も喜ぶと思うわ。」とその腕時計を渡された。あまりに高価なものなので、丁重にお断りしたのだが、彼の親族一同からの、強い思いに負けてしまい、いただくことにした。その日以降、僕は、毎日そのロレックスの腕時計を身につけている。
 こんなふうに、僕は、いつも死者を身近に感じながら生きている。
 このような「存在しないもの」を身近に感じる感覚が養われたのは、おそらく、子どものころ母を通じて聞かされた「怪談話」の影響が大きい。最初に聞かされたのは、母が子供のころに遭遇した幽霊の話である。母の実家は、バス道から幅2mほどの狭い道を10分ほど歩いた突き当りに建っている。その途中に、緩く道が折れ曲がった箇所の右手に小さな墓地がある。その墓地で、母は子供のころ、男の幽霊を見たそうだ。お盆に、盆踊りの会場から母の実家に帰る途中、その墓地が、前方に見えてくると、母は僕の手を引きながら、急に歩く速度を緩め、「見てみぃ。あのあたりで、お母さん、男の幽霊見たんよ。」と僕の顔を覗き込みながら、話かけるのである。母は、なぜか怖がる僕の様子を楽しんでいるようかのようだった。この原体験のせいで、僕は、すっかりホラー映画好きとなる。
 一方、僕は、運命論者でもある。僕は、原理主義的な思考をあまり好まないが、僕は、かなり原理主義的運命論者である。自分に必要なものは、人も含めて必ず出会えると、無根拠に信じている。だから僕は、自ら積極的に、面白そうなことを探したりは決してしない。そのようなものや人は、必ず、僕の前に、忽然と現れることを経験的に知っているからだ。縁といえば、それまでのことだが、僕は、もっともっとなにか大きな力に動かされているように固く信じている。
 あるとき「お墓見」に参加した。この企画は、本書の著者である内田先生と釈先生による、凱風館のお墓「道縁廟」と如来寺のお墓「法縁廟」を眺めながらお酒をいただくというもので、秋空の下、楽しそうだなという軽い気持ちで参加した。現地に行って僕は、驚いた。正面には、五月山がどんと構えていて、そこには、嫁さんの両親が眠っている。さらに、ほぼ同じぐらい北の方向には、僕の両親が眠っている。さらに、三か所間の距離がほぼ同じで、つまり、三か所を繋ぐと正三角形となる。子供のいない、僕たち夫婦は、道縁廟でお世話になることをすぐに決めた。あちらに行っても、いつものように宴席を楽しみたいものである。更に、付け加えると、釈先生のいらっしゃる如来寺と僕の実家は、隣町という関係にあり、互いに同じ駅を利用していただろう。年齢も比較的に近いことから、どこかで会っていたかもしれない。
 どうでもいいような私的なことを、なにをダラダラと書いてきたかというと、「日本宗教のクセ」を読みながら、僕のなかでの点と点が、一気に繋がり始めたからである。
 どうやら、僕という人間のベースになっているのは、「宗教的センス」(本書、P219 )なのだということに気づいた。いや、気づかせてくれたのが、本書である。音楽を聞いたり、山に登ったりするのもすべてそうかもしれない。
 最後に、本書のなかで、僕が一番気に入った箇所について書いてみる。それは、第二章「夕日の習合論」である。大阪市内というのは、京都と同じように、東西南北に道が整備されている。僕は、大阪市西区に住んでいるので、仕事の帰り道は、東西の道を西に向かいながら、毎日家に帰る。つまり、ほぼ毎日、夕日を見ながら家に帰るのである。なんとも気分がいいものである。さらに、僕が一番好きな時間帯は、「マジックアワー」の一瞬である。特に、日没の「マジックアワー」が大好きで、わずか一瞬、時間にすると数分間だが、夜に入る手前の一瞬、あたりが真っ青になる。それは、夕方でも夜でもなく、あたかも世界が、一瞬だけ、透明になるような気がする。あまりにもロマンチックなことなので、人に話をするのも気恥ずかしかったのだが、「夕日の習合論」を読んでいると、「マジックアワー」もまた、宗教性に大きく関係しているのがよく分かった。
 そんなことを考えながら、今年もいつものお盆のように、友人、両親、そして道縁廟
へお墓参りに行った。