「君たちのための自由論」を読んで

 昨年サッカーワールドカップが開催された。日本代表が、強豪国ドイツ、スペインに勝ち、大いに盛り上がった大会となった。そんなさなか、知人と会食をしているときに、話題がワールドカップに及んだ。その知人が、いきなり「私、サッカーを見たことがないんです。サッカーの何がそれほど面白いんですか?」という、極めて根源的な問いを突き付けられた。僕は、腕を組み天井を見つめながら、しばらくして、このように答えた。  サッカーの解説では、よくシステム(フォーメーション)のことが取沙汰される。  例えばブラジル代表は典型的な「4-4-2」(ディフェンス、中盤、フォワードの順番)、日本代表は「4-2―3-1」といった具合である。つまり、サッカーというスポーツの根幹にあるのは、この「システム」である。世界的な監督、モウリーニョが、サッカー未経験というのは、あまりに有名な話で、それほど、サッカーにおける「システム」の重要性は高い。が、しかしである。「システム」が秀逸なチームが強いかと言えば、必ずしもそうではない。むしろ、逆である。その「システム」から逸脱して、自分の判断で、そのときの閃きでプレーする選手がいるチームにのみ、勝利の女神は微笑んでくれる。それは、「システム」を打ち破る「勇気」あるいは「想像力」といっていいかもしれない。昨年の大会でいうと、フランス代表のエムバペがその象徴といえるだろう。  ここしばらく世界のサッカーを牽引してきたスペインのサッカーは、まるでコンピューターでシュミレートしたかのように10人のプレーヤーが同時に動き、細かいパスをつないでいくというものだった。それはそれで見ていて面白かったのだが、そのスペインが日本に負けてしまった。スポーツの勝敗には様々な要素が複雑に絡んでいるので、スペインの敗因を分析するほどの知識を僕は持ち合わせていないが、システムサッカーが終焉を迎えた象徴だろうと思っている。  村上龍は、あるインタビューで、「自分が作家になったのは、システムに対する憎悪にも似たような強い感情があって、そのことが、物語を創作していくうえでの大きな原動力となっている。」と言っていた。村上龍と自分を並列に語るのは、あまりにもおこがましいが、僕もそうである。「システム」や「管理」が、どうも性に合わない。  僕は、1988年に会社員となり、今年で35年目となる。この性格でよくサラリーマンが続いたものだと、我ながら改めて感心する。この35年の間には、平成バブル(1989年~1991年)、金融不安(1994年~1997年)、リーマンショック(2008年)と大きな社会的変動があったが、僕の印象としては、そんな影響からか2000年代に入ったころぐらいから、会社は、大きく様変わりし始めた。個人的には、ちょうど2000年に以前勤めていた会社が今の会社に吸収されたときで、新しい会社になったことが、大きな要因だと、最初のころは思っていたが、そうではなかった。このころくらいから、会社は、管理に心血を注ぐようになったのである。その病的といってもいいほどの性向が、現在までもずっと続いている。喜んでいるのは、所謂「本部機能」であったり、「管理職」だけである。僕も一度管理職を経験したことがあるが、経験してみて分かったのは、「退屈でつまらない」ということだけである。この「退屈でつまらない」ことに日本の企業は、腐心している。それも嬉々としながら。もはや病気としかいいようがない。よくもまぁ、次々といろいろなことを思いつくものだと感心するほどである。「管理信教」といっても過言ではない。  例えば、僕の勤めている会社には、「安否確認システム」が存在する。そのシステムが機能しているか否かは、定期的にチェックされ、報告が遅延したりすると、「本部」から叱責される。しかし、このシステムは、東北大震災のときにも、西日本豪雨のときにもついぞ機能することはなかった。  そして、日本の企業組織の問題点は、「上下」の関係への強いこだわりである。よく言われていることだが、日本には、単身赴任という制度がある。海外では、あり得ない制度らしい。僕は幸いにも経験したことはないが、経験した方たちに聞くと、皆が二度と味わいたくないと口をそろえて言う。僕は、この制度の趣旨がよく分からなかったが、  これは、会社への忠誠心を計るための装置であることに気づいた。人事異動も同様である。「嫌なら、どうぞ辞めてください。代わりはいくらでもいます。それが嫌なら受け入れなさい。」こんなところだろう。また、管理職に至っては、営業職のやる気をそぐことについては、天才的ともいえる。これも、イエスマンを生産していくための「有効」な戦略なのだろう。なんとも馬鹿馬鹿しい。  「君たちのための自由論」(@内田樹、@ウサビ・サコ)を、最近読んだ。なかでも、 「おわりに-「管理」と「創造」」というタイトルにインスパイアされ、普段思っていることを書き綴ってみたのである。