「今日の空」

 2012年12月22日、その日の夜、僕は、渋谷の「Bunkamura オーチャードホール」にいた。ユキヒロさん(僕には、この呼び方が一番しっくりくるので、以下もこう呼ばせてもらいます。)の還暦を記念するライブ「高橋幸宏 60th Anniversary Live」を観るためである。チケットが取れるかどうか分からなかったので、申し込もうかどうかギリギリまで迷っていたのだが、ダメ元で申し込んだところ、なんと当選したのである。開演の30分前に着席し、「一体、どんな人たちが観に来ているんだろう」と思い、まわりを見渡してみて、僕は驚いた。まわりは、殆ど僕みたいな連中でいっぱいだったのである。そう、50代前後で、眼鏡をかけたオッサンばかりだった。特に、右隣に座っていた夫婦(と思う)の夫(と思う)が、関西弁で「「今日の空」演るかな~。演ったら、涙もんやで~」と一人高いテンションで、一体これは独り言なのか、奥さん(と思う)に話かけているのか分からず、僕は思わず吹き出してしまった。  その日のコンサートは、細野晴臣、鈴木慶一など、ユキヒロさんと古くから親交のあるゲストが多数参加した、とても濃い内容だった。代表的な曲を中心に演奏されたが、改めてその楽曲のよさに気づかされた。しかし、なにより感動したのは、二回目のアンコールが終わり、場内が明るくなったとほぼ同時に観客が次々と立ち上がり、いつまでも拍手を続けたことだった。僕は、そのとき初めて「スタンディングオベーション」を経験した。  それから約10年が経ち、2022年9月18日、プロ活動50周年という節目の年であることを祝い、それを記念するライブ「高橋幸宏 50周年記念ライヴ LOVE TOGETHER 愛こそすべて」がNHKホールで行われたが、そこにユキヒロさんの姿はなかった。僕は、三回申し込んだが、今回は三回とも見事に外れてしまった。  2022年6月6日、ご自身のお誕生日のツイッターには「みんな、本当にありがとう」と発信されていて、インスタグラムには、痩せこけたご本人の姿が、アップされていた。その姿が、2020年からの闘病の過酷さを物語っていて、僕は、その写真を眺めているだけで、胸をしめつけられるような思いだった。あの美意識の塊のようなユキヒロさんが、今の変わり果てた姿をフアンの前にさらけ出したことに、僕はユキヒロさんの「覚悟」を感じざるを得なかった。  僕にとってユキヒロさんは、いくつになってもアイドルであり続けた。  1987年夏、22才のとき、僕は、就職活動で初めて東京に行った。僕は、予定より一時間早く東京駅に着き、すぐに渋谷パルコへと向かった。当時、渋谷パルコのB1には、ユキヒロさんのファッションブランド「Bricks Mono」のお店があった。真偽のほどは定かではないが、山本耀司は、ユキヒロさんのことをかなり警戒していたらしいという逸話がある。それはともかく、ドキドキしながら、僕はすぐにそのお店を見つけたが、店内にいるオシャレな店員のお兄さんと目が合っただけで、即効で退散した。また、深夜テレビで偶然にユキヒロさんのライブを見て、そのときにかけていたサングラスがどうしても欲しくなり、ミナミの「白山眼鏡店」で、できるだけそのサングラスを思い出しながらサングラスを買ったりした。それから数十年経ち、その時のライブ映像がたまたまYouTubeでアップされていて、改めてじっくりと見てみたが、ユキヒロさんのサングラスと僕のそれとは、似て非なるものだった。  とにかく、ユキヒロさんはカッコいい。そのカッコよさは、いったい何なのか。まず、その革新性については、だれも異論はないだろう。1974年、「サディスティック・ミカ・バンド」で、「ロキシー・ミュージック」の全英ツアーのオープニング・アクトを務めたりだとか、YMOでは、当時としては珍しかったコンピューターに合わせてドラムを演奏したりだとか、どれもが最先端を歩んでいた。  しかし、僕はユキヒロさんのカッコよさのもとになっているものは、新しさやセンスのよさといったこととは、別のところにあるように思える。  そのことを象徴するのが、2014年に結成した「METAFIVE」というユニットである。  この「METAFIVE」は、テイ・トウワなどいわゆるYMOチルドレンと呼ばれる、ユキヒロさんより一回りも年齢の違うメンバーを集めたスーパーバンドだった。彼らにしてみると、カリスマのような存在のユキヒロさんと同じバンドメンバーでいることのプレッシャーは相当のものだったに違いない。しかし、「幸宏さんがいるからまとまったというか。」(ゴンドウトモヒコ)、「幸宏さんの人徳というか」(テイ・トウワ)(「MUSIC MAGAZINE」2016年11月号)とメンバーが証言しているように、バンドの成功は、ユキヒロさんの性格に負うところが大きかったと推察する。  ユキヒロさんは、どうしてもクールな印象が強いが、実際は、かなりの人好きだったようだ。子供のいないユキヒロさんは、甥っ子二人を、まるで自分の子供のように可愛がり、年の離れたバンドメンバーを、よく自分の家に招いたりしていたようだ。いい人だったのだろうと思う。その「いい人」に、革新性やセンスの良さが付加された結果が、「カッコいい」になっている。つまり、逆説的にいうと、単なる革新性やセンスの良さなどだけでは、僕にとっては、カッコよくはならないということでもる。この世からひとつ「カッコいい」がなくなってしまった。  1月15日の朝、僕は起床し、いつものようにスマホでニュースをチェックした際に、ユキヒロさんの訃報を知った。その日は日曜日だったが、出勤日だったので、僕はいつものようにスーツに着替え、家を出た。その日、1月にしては、生暖かく、ふと、空を見上げると、墨汁を水で薄く薄めたような雲が低く垂れこめていた。ユキヒロさんの名曲「今日の空」は、「今日の空は、少し、悲しいって」という歌詞で始まる。僕は、この雲を遠くに見ながら、いつものように会社へと向かった。頭の中では、ずっと「今日の空」が鳴り止まないままだった。