僕は怖がりたい

 物心ついた頃から、怖い話が大好きだった。僕は、中高一貫教育の学校に通っていたので、高校受験がなく、その代わりに自由課題でレポートの提出がその学校では義務付けられていた。僕は、「KWAIDAN」(@小泉八雲)の翻訳をその課題として選んだ。まわりの同級生が、四苦八苦しているのを尻目に、僕は「Mujina」、「Rokuro-kubi」などを嬉々として訳し、提出締切日のはるか前に教師に提出した。変な子供である。  僕がこのように怖いもの好きになったのには、おそらく、幼いころに母親が体験した怪談話を聞かされたことの影響が大きいと思う。母親の実家は、バス通りから車一台がやっと通れるような狭い道を10分ほど歩いた突き当りにあり、その途中にはちょっとした墓地がある。母は、子どものころ、その墓地で男の幽霊を見たらしい。僕が子供のころ、母親に連れられ、盆踊りの帰り道、その墓地が近づいてくると、急におとなしくなった僕の顔を覗き込みながら、「お母さん、あそこで見たんよ。ほら、あの墓石のあたり。」と僕をからかうのだった。目をつぶりながら、足早に墓地を通り過ぎようとする僕の姿を、母親は、ケラケラと笑いながら見ていた。  そんな原体験からか、僕は、怪談にまつわるものなら何でも飛びついた。中でも、最も僕を怖がらせたのは、映画だった。初めてみた怖い映画は、天地茂主演の「四谷怪談」(@中川信夫)だった。子供のころ、お盆になると、決まって夜中に「怪談累ケ淵」「牡丹灯籠」などの怪談映画が放送されていた。  父親の実家は、兵庫県の北西部に位置し、鳥取県との県境に近い「湯村温泉」で有名なところで、その頃は毎年、家族で帰省していた。今でこそ、高速道路が整備され随分と便利になったが、昭和40年代の頃は、昼間に国道9号線が混むため、叔父たちは、夜に車を走らせ夜中に実家に到着するのが、いつのまにか通例となった。車のない僕の家族は、宝塚から特急「まつかぜ」に乗り、夕方には到着し、叔父たちが到着するのを夜中までずっと待っていた。当時は、お盆の頃になると、昼間とうって変わって、夜はすこしひんやりとしていた。そんな、ひんやりとしたなかで、僕は、「四谷怪談」を食い入るように観た。怖かった。  僕は、その後も次々とホラー映画を観た。作品名を挙げるとキリがないが、この年齢になって改めて観ても、いまだに怖い作品がいくつかある。「サスペリアⅡ」(@ダリオ・アルジェント)、「エイリアン」(@リドリー・スコット)、「女優霊」(@中田秀夫)などなど。しかし、あまりにたくさんのホラー映画を観てきたせいで、ちょっとやそっとでは、何を観ても怖くなくなってきた。悲しいことである。  昨年、寺小屋ゼミの発表のために「ホワイト・トラッシュ」について調べた。「ホワイト・トラッシュ」とは、アメリカにおける白人の低所得者層に対する蔑称のことで、なにか参考になるような映画がないか探していたところ、映画評論家の町山智浩の推薦する「脱出」という作品を観た。いわゆるホラー映画ではないが、久しぶりに怖い映画を観た。ストーリーは、男4人組が、カヌーで渓流下りを楽しむために、山深い町で出会うハプニングといったところだろうか。では、このストーリーのどこに僕は、恐怖をおぼえたのだろうか。それは、この作品が、山にひっそりと暮らしている「ヒルビリー」に出会ったことから始まる悲劇を描いているところにある。 「ホワイト・トラッシュ」というのは、先にも書いたとおり、ある白人たちへの蔑称のことである。調べてみると、「レッドネック」、「ヒルビリー」、「オキー」など特定の白人に対する多くの蔑称が存在する。彼らは、遅れてアメリカにやってきた移民である。遅れた分、彼らは、住環境としては劣悪な、自然環境のとても厳しいところに居ついた。なかでも「ヒルビリー」と呼ばれる人たちは、アパラチア山脈の中に住みつく。彼らに関する情報があまりに少ないせいで、ネガティブな情報だけが独り歩きした。暴力的で大酒呑み。あるいは、閉じられたコミュニティの中でしか生きていけず、近親相姦を繰り返しているなど。  この映画では、自分たちの住む世界のすぐ向こう側には、自分たちの知らない世界が、現実に存在しているという事実を僕に知らしめた。  その次に観た作品が、名作「悪魔のいけにえ」(@トビー・フーパー)である。改めて観てみると、この作品も「脱出」同様、「ホワイト・トラッシュ」映画と呼べるものであろう。後味の悪さということにかけては、この作品の右に出るものはない。  そして、「クライモリ」である。題名は、何となく知っていたのだが、先日WOWWOWで放送されていているのを観た。なんとも怖い映画だった。見終わったあと調べてみると、ウィキペディアには、「ヒルビリーホラー復活のきっかけを作った作品」で、「シリーズ化され、6作目まで制作された。」そうである。しかし、よく考えてみると奇妙なことである。「ヒルビリー」というアメリカに存在する特定の人たちを題材にした作品が、日本人の僕を怖がらせたわけで、いわば世界性を獲得したわけである。  ハリウッド映画は、これまでいろいろな題材を扱い「恐怖」を制作してきた。それは、動物(「ジョーズ」)、子供(「エクソシスト」)、死者(一連のゾンビシリーズ)だったりと種種雑多である。そんなハリウッドが、「ヒルビリー」を通して描きたかった恐怖とは、いったい何なのか?  僕には、よくわからない。