「下り坂のニッポンの幸福論」感想

 内田先生は、よく喋る。とにかく、よく喋る。  2019年10月、僕は、鳥取県智頭町にある「タルマーリ」での内田先生のトークイベントを聞きに行くため、神戸から内田先生に同行した。いや、くっついて行ったという方が正しい。当日、13時に凱風館に行き、そこから内田先生の運転するベンツの助手席にちょこんと座り、僕たちは「タルマーリ」を目指した。それまでに何度も内田先生とお話しする機会はあったが、初めての「差し」の場面に、僕はいささか緊張していた。車中で、無言の時間が続いたらどうしょうと、少し不安な思いのまま、車は出発した。  しかし、僕のそんな心配は杞憂に終わった。「タルマーリ」に到着するまでの間、約3時間のドライブ中、話が途切れることはなかった。三島由紀夫のこと、アル・パチーノのこと、その日の内田先生の対談相手の平川さんのことなど、トピックはあちこちに展開したが、僕のつまらない質問にも、内田先生は、丁寧に応えてくれた。  夕方、「タルマーリ」に到着し、主催者の渡邉さんを囲んで、談笑していると、平川さんが現れた。内田先生と平川さんは、トークイベント直前にも関わらず、お二人でおしゃべりを楽しんでいた。中でも、僕が印象に残っているのが、「小田嶋が、さぁ~」と、ニコニコしながら先日お亡くなりになった小田嶋隆さんとのエピソードを語る平川さんの話だった。特に、お二人で誰も知らないような温泉宿を訪ね、訪ねてはその宿の「イマイチ」なところを小田嶋さんが感想を述べるという話が僕の興味を引いた。そんな平川さんを見ていると、人というのは、自分の話をするときよりも、「ともだち」の話をしているときの方が、気分がいいんだなということがよく分かる。  その後、内田先生と平川さんのトークイベントが開催され、終了後に、打ち上げ。この間も、内田先生は、ひたすら喋り続けた。そして、その日の出来事がすべて終わり、宿泊先のホテル前で解散するときは、さすがに、内田先生は疲れた様子で、それは、まるで、マラソンランナーがフルマラソンを完走したあとのような面持ちだった。考えてみれば、13時~22時までの約9時間、喋りつづけたのだから、無理もない話である。  内田先生は、共著の本をたくさん出している。対談したものを文字起こししたものが大半だ。これほどまでにたくさんの対談本を出している作家を、僕は、あまり知らない。しかも、対談相手は、さまざまなジャンルの方で、トピックも政治から文学までと縦横無尽である。中には、シリーズ化されたものさえある。僕は、あるときから、凱風館関係の宴席では、必ず内田先生の横か正面に座り、お酒を飲みながら内田先生とおしゃべりを楽しんでいる。まわりからは、随分図々しい奴だと思われているかもしれないが、僕としてはこんな貴重なタイミングを逃す訳にはいかない。それぐらい、内田先生の話は、面白い。僕にとっては、至福の時間である。おそらく、内田先生と対談された方も、僕と同じ感想を持ったに違いない。そのことは容易に想像がつく。さらに、内田先生は、ただよく喋るだけでなく、相手の話を実によく聞く。相手のどんな話にも耳を傾け、適当な返事ですますということは絶対にしない。  以前、宴席で、いつものように僕は、内田先生の横に座り、おしゃべりを楽しんでいた。どういう展開で、そうなったのかは、よく覚えていないが、僕は、ドラマ「北の国から」の話をした。僕が、どうしてもこのドラマに共感が持てず、そのことを先輩に言ったところ、「おまえは血も涙もない人間だ」と言われたという、どうでもいい話である。内田先生は、僕のそのどうでもいい話をゲラゲラ笑いながら聞き入っていたが、そのときの話が、後日、「「ゴッドファーザー」と「北の国から」」というタイトルで、映画「ゴッドファーザー」公開50年を記念した雑誌「KOTOBA」のゴッドファーザー特集の回に掲載されていた。その雑誌には、なんとアル・パチーノのインタビューものっていて、僕は何だか不思議な感じがした。  新作「下り坂のニッポンの幸福論」を読んだ。内田先生と映画監督想田和弘との対談本である。本作では、聞き手としての内田先生の魅力が発揮されている。想田監督という方が、どんな方なのかは、僕はよく知らないが、内田先生との話を通して、想田監督が、高揚している様子が、ひしひしと伝わってくる。それにインスパイアを受け、いつものように内田先生の話にドライブがかかる。あたかもそこに居合わせたように、対談の楽しさが伝わってくる。  内田先生の書くもの・ことについては、一度試してみたくなるという大きな特徴がある。それは、村上春樹の小説を読むと食欲が沸くのとよく似ている。「下り坂のニッポンの幸福論」の「はじめに」に「しだいに日が傾いてきて、西の海に日が沈み、部屋も外の景色も真っ赤に染まり、やがて群青の夜空が広がり、気が付くと満点の星が輝いていた」という一節がある。 僕は、この一節を読んで、無性に牛窓に行きたくなった。