『ブラックレイン』とその後

 その日のことは、まるで昨日のことのように今でもはっきりと覚えている。1989年11月6日深夜、僕はいつものようにテレビ番組「11PM」を観ていた。すると、番組の中で、司会の高田純次が「訃報です。俳優の松田優作さんが亡くなりました。」と、告げた。あまりの突然の出来事に、僕は、言葉を失った。なぜなら、ちょうどそのころ、松田優作主演(といっても過言ではない)のハリウッド映画「ブラック・レイン」が日本でも公開されていた最中だったからだ。  松田優作は、1983年、映画「家族ゲーム」で、それまでのハードボイルド路線から一転、長い髪をバッサリと切り、新境地に挑んだ。それはそれで、よかったのだが、個人的には、「遊戯シリーズ」や「蘇る金狼」などで観客を魅了した、アクションスターとしての松田優作をもう一度みたかった。そのころ、阪急電車の車内に貼られていた「ブラック・レイン」のポスターに映る、松田優作は、完全にいかれていた。そこには、あの松田優作がいたのだ。僕は、ワクワクしながら、早く見に行かないといけないと思っていた。そんな矢先の出来事だった。僕は、あまりのショックに、その週に3回も映画館に足を運び、「ブラック・レイン」を見た。それぐらい、松田優作の演じる日本のヤクザ・佐藤は、ぶっ飛んでいてカッコよかった。 「ブラック・レイン」は、アメリカから見た日本というのが一つのテーマだったわけだが、リドリー・スコット監督の描く日本(大阪ロケ)は、まるで、リドリー・スコット監督が、以前に「ブレードランナー」で強烈に描いて見せた近未来の都市空間と相似形を成し、異世界そのものだった。 「ブラック・レイン」が日本で公開されたのが、1989年。まさに日本は、バブル全盛の最中にいた。その年の12月29日、日経平均株価は38,915円を記録し、世界時価総額ランキングTOP50の内32社を日本の企業が占めた。ソニーは、コロンビア映画を買収し、三菱地所は、ロックフェラー・センターを買収した。いずれもアメリカの象徴そのものだ。当時の日本の企業は、あたかも先の戦争の復讐をしているとしか思えないような行動を取っていた。「ブラック・レイン」では、日本のヤクザが、アメリカの偽札を作るが、そのことは、当時の日本人の深層心理だったのかもしれない。そんな日本をアメリカは、当時相当脅威に思っただろうし、それは異世界そのものだったに違いない。  映画の中で、若山富三郎扮する佐藤の親分・菅井は、ドスの効いた低い声で、佐藤のことを、「極道の仁義も忠義心も尊敬もあれへんがな」と言い放ち、「お前らは黒い雨を降らせ、お前らの価値観を押しつけた。我々は自分を見失い、佐藤のような奴らが大勢生まれた。その仕返しをしている。」とマイケル・ダグラス扮する刑事に英語で詰め寄る。日本の戦後のエッセンスを見事に表現したセリフだ。  今、WOWOWでドラマ「TOKYO VICE」が放送されている。製作費88億円、製作総指揮は、マイケル・マン。アメリカからは、「ウエスト・サイド・ストーリー」で一躍有名になったアンセル・エルゴート、日本からは渡辺謙と豪華なキャストで話題になっている。「TOKYO VICE」は、1993年に読売新聞社に入社し日本で初めての外国人新聞記者となったジェイク・エーデルスタインが、13年間に渡ってヤクザの裏社会を取材したときの小説『トウキョウ・バイス: アメリカ人記者の警察回り体験記』が基になっている。  このドラマは、「ブラック・レイン」の続編、あるいはオマージュであることは、一話を見てすぐに分かった。異界(日本企業)にやってきたアメリカ人、英語を話すことができるヤクザの親分、夜の東京の街。そして、何より、笠松将演じる若いヤクザの名前が、佐藤であった。そう、「ブラック・レイン」で松田優作が演じたヤクザと同じ名前である。  最初は、ワクワクしながら「TOKYO VICE」を見始めたのだが、途中から、観ていて悲しくなってきた。「TOKYO VICE」は、90年代の東京のアンダーグラウンドの世界を描きたかったそうだが、それは、バブル崩壊後の日本と同義である。そこには、「ブラック・レイン」で描かれていた、狂ったような都市風景も、いかれた佐藤のような日本人も存在せず、ただただ凡庸な風景や人物たちが存在していた。  先日、【白井聡ニッポンの正体】~追悼 宮崎学~差別を撃ち続けた「突破者」 を聞いた。この【白井聡ニッポンの正体】は、月に一度程度、YouTubeで配信されていて、毎回楽しみにしている。今回は、宮崎学追悼番組だった。そのなかで、特に、「中間団体」の話が興味深かった。「中間団体」というのは、個人・家族と国家の間に存在する集団のことで、個人化が進むなかで注目されている社会学の概念とのこと。この「中間団体」が、資本主義が高度化するにしたがって、その役割・存在が危うくなっているとの指摘があった。  失われた〇年と言われて久しい日本であるが、「ブラック・レイン」と「TOKYO VICE」というフィクションを見比べてみても、日本の凋落ぶりは、火を見るよりも明らかで、そしてこの凋落が、まだまだ現在進行中であることが、なんとも辛い。