僕の撤退論
内田先生が編集された「撤退論」を読む。内田先生を筆頭に豪華な執筆陣で、各執筆者がご自身にとっての「撤退」について言及されていて、とても興味深く読ませていただいた。なかでも、同じビジネスマンとして、平川克美さんの「極私的撤退論」と、想田和弘さんの「文明の時間から撤退し、自然の時間を生きる」に、特に興味をそそられた。そこで、僕にとっての「撤退」について考えてみることにした。
僕の生まれ育った町は大阪空港の近くで、飛行機が飛ぶたびに、小学校の校庭にその大きな影が映るほどの高さで飛行する、騒音の町として有名なところだった。住民の大半は、肉体労働者で、お世辞にも上品という言葉からは程遠く、その当時、地元の中学校には、ヤンキーがうようよといた。そんな状況を危惧して、両親は、僕を小学校5年生から進学塾に通わせ、当時としては、まだ珍しい中学受験という方向へ僕を導いた。その結果、僕は、「進学校」に入学することになる。その学校は、毎朝8時30分から8時50分まで、「20分テスト」という試験を実施し、毎週、クラスでの席次が、親に発表されるというシステムを採用していた。「日本で一番試験の多い学校」と、教師も自嘲気味に言う、そんな学校に、僕は6年間通った。つまり、僕は、小学校5年から高校3年までの8年間、試験漬けだったわけである。そんな厳しい環境のなかでも、高校一年生までは、何とかいい成績を維持できたのだが、その後は、ボブ・ディランの名曲Like a rolling sone のごとく、転がるように成績が落ちていった。
なにより学力が追い付かなくなったというのが一番の原因ではあるが、高校生一年生の僕は、競争から「降りる」ことにした。僕は、子どものころから、人と競争するのが苦手だった。意外と負けず嫌いのところもあり、人に負けるのは気分の悪いものだが、だからといって、勝ったところで、それほど気分のいいものでもなかった。勝ったあとの居心地の悪さが、僕はいやだった。そんな性格の僕が、競争という弱肉強食の世界に、小学校5年生から足を踏み入れてしまったのである。いったん、競争の世界に放りこまれた僕は、勉強のコツのようなものを会得し、面白いように成績がよくなった。入塾した時点では、Bクラスだったのだが、すぐにAクラスに上がると同時にに上位グループに入りこむようになった。そんな僕は、結果にこだわり始めた。別に常に一番でいたいなどという強い気持ちはなかったが、自分で設けたポジションを下回ることは絶対に許せなかった。しかし、高校生一年生の夏休み、僕は思った。「採点された答案用紙を教師から受け取るときにはドキドキし、成績の結果に一喜一憂する。このことに一体どれほどの意味があるのか?むしろ、浴びるように聞いている音楽に本質のようなものがあるのではないか?」と。
そんな思いは、日に日に増していった。一旦そのように思いだすと、生来の競争嫌いの側面がむくむくと顔をもたげ始めた。その後、好きなミュージシャンがインタビューで話していた「ヌーベルバーグ」を中心にヨーロッパの映画を見始める。そのころ聞いていた音楽は、イギリスの「New Wave」と呼ばれるもので、今聞き返すと陳腐な感じがしなくもないが、なんでもありで、とにかくその自由なところに僕は魅了された。映画も同様だった。入口は、フランスの「ヌーベルバーグ」(言うまでもないが、「New Wave」のフランス語訳。)だったが、こちらも音楽の「New Wave」と同じような自由さがあった。こんな自由な世界があることに、僕は驚くと同時に強いあこがれをいだいた。僕は、競争で充ち溢れた世界に、ほとほと嫌気がさしていた。いったん、そのような世界を知ってしまった僕は、完全に、「そちらの住人」となり、現在にまで至る。そんな僕は、会社で少し浮いている。ゴルフをせず、上司へのおべんちゃらも言わず、オリンピックや大阪万博に否定的で、れいわ新選組の街頭演説を聞きに行ったりと、まわりからは少し奇異な目で見られている。どれもこれも、僕が、「そちらの住人」であるためである。
村上龍が、あるインタビューで、小説を書く理由を尋ねられ、「システムに対する憎悪のようなものが自分にはあって、そのシステムを破壊するために小説を書いている。」というようなことを言っていた。また、冒険家の角幡唯介も「システムから逃避するために、冒険を続けている。」と言っている。僕が、嫌悪しているのも、システムが象徴するような何かなんだろうと思う。
さて、今年の8月で僕は57才になる。あと3年で定年を迎える。偉そうに、競争の世界から降りただの、システムを嫌悪しているだのと言ってきたが、結局、文句を言いながらも、サラリーマン生活をずっと続けてきた。なんとも情けない話である。
60才になれば、自分が嫌悪しているシステムの外に出たいと思っている。それが、僕にとっての「撤退」となるわけだが、それが一体どんな世界なのか、今から楽しみだ。