フィッシュマンズのこと

 1989年1月昭和天皇が崩御、6月天安門事件、11月にベルリンの壁が崩壊した。そして、11月松田優作が死去、12月には、今でも一番好きなバンド「ミュート・ビート」が解散した。僕の中で、何かが確実に終わった感じがした。「ミュート・ビート」のリーダー・小玉和文は、音楽の世界から突然消えてしまった。以前、インタビューで、「ミュート・ビート」を結成するまで、一度、音楽を諦めたことがあると聞いていた僕は、このまま小玉和文が、音楽を止めてしまうような気がしていた。 そして、1991年、ついに小玉和文が、重い腰を上げる。小玉和文は、「フィッシュマンズ」のデビューアルバム「Chappie,Don't Cry」のプロデュースを手掛けたのだ。僕はすぐにCDを買い、聞いた。しかし、「ミュート・ビート」の幻影を追い続けていた僕にとっては、少し物足りない作品だった。リーダーの佐藤伸治が描く世界観には、多少興味を示したが、次の作品を聞きたいとまでは思わなかった。
 それから時が経ち、僕は、仕事中にラジオから流れるある曲に出会う。まるで、往年の「コクトーツインズ」を思わせるようなイントロで始まるその曲「ナイトクルージング」は、歌が始まった瞬間に、すぐに佐藤伸治の声だと分かった。「フィッシュマンズ」だった。4年の間に、このバンドは進化し、デビュー時には欠けていたパンチのようなものが身についていた。僕は、久しぶりに音楽を聴いて興奮した。
 さらにそれから、2年後、1997年、神戸チキンジョージに「Rock Around Kobe」というイベントを観に行く。もちろん、「フィッシュマンズ」を観るためだ。すごいライブだった。間違いなく、僕が今まで観たライブの中で、5本の指に入る内容だった。原型を留めず、ズタズタに解体した「Go Go Round This World!」、40分近くに及ぶ「Long Season」、そして「ナイトクルージング」。どの曲の演奏も、いかれていた。ライブが終わり、僕の後ろで、エンジニアのZAKとその友人と思われる男との会話が聞こえた。
「やりすぎやで」
「そうかな~(笑)。」
 この会話は、この日のライブ中のZAKのダブ処理についてのものである。ほとんど原曲を無視したと思われるほどの、暴力的ともいえるダブミックスだった。 
「ミュート・ビート」を筆頭に、「フィッシュマンズ」等は、「ダブ」と呼ばれているジャンルの音楽に入る。「ダブ」というのは、ある一部のパート(ドラムやギターなど)に極端なディレイ処理を行うものである。Culture Clubの名曲「君は完璧さ」の編曲部分のエフェクト処理されたドラムを想像してもらったら分かりやすいと思う。この当時の音楽雑誌で、あるライターが、「フィッシュマンズ」についての記事を書いていた。「今、日本の音楽は、世界的に見ても、大変レベルの高いものである。テクノロジーとRockの融合に見事に成功した」。確か、このような内容だったと思う。僕もこの意見に同意する。
 しかし、1999年3月、リーダーの佐藤伸治が33才という若さで急死する。そのときのことはいまでもよく覚えている。その日、車を運転していて、無性にコーヒーが飲みたくなり、僕は、目についた喫茶店に入った。コーヒーを注文し終え、喫茶店に置かれていたスポーツ新聞の片隅に、「フィッシュマンズ佐藤伸治が死亡」と載っていた。僕は、その記事を読んでも特に驚かなかった。何となくこの結果が予想できたからだ。
 今振り返ってみると、僕が、「フィッシュマンズ」のライブを見ていたのは、1997年、1998年のわずか二年間に過ぎなかった。短い期間の割にどのライブも印象が強く、見るたびにそのクオリティがどんどん向上し、結果的に最後に観たライブでは、佐藤の存在が神々しくさえ映った。彼は、もうすでに、この世界から離脱しているように思えた。遺作となってしまった「ゆらめきIn The Air」は、そんな佐藤の心象風景を表現した、貴重な一曲だ。
 昨年、映画「フィッシュマンズ」が公開された。デビューから佐藤の死去までを、関係者の証言により構成したもので、そこに描かれているのは、佐藤の天才としての苦悩である。僕のような凡人には、天才の苦悩など想像すらできないが、天才には天才なりの苦悩が存在することがよく分かる。そんな苦悩が頂点に達した時期が、ちょうど僕が熱心にライブを見ていた時期と重なる。自分の才能を出し切った佐藤は、もう一度一からやり直すといっていた。彼の死去は、本当に残念でならない。
 佐藤が亡くなり、「フィッシュマンズ」は伝説となった。その後も、「フィッシュマンズ」は、このバンドを慕うミュージシャンを中心に、今も活動を継続している。何度か、現在の「フィッシュマンズ」を観に行ったが、僕よりもはるか年下の子たちが、演奏に合わせ、踊りながら歌詞を口ずさんでいる光景を目にすると、何だか不思議な感じがする。さらに、ウィキペディアによると、『アメリカの音楽レビューサイト「Rate Your Music」では「98.12.28 男達の別れ」が「top albums of all-time」において日本のアルバムとして最高位である18位に、また「Live」部門では1位にランクインしている。(2021年8月時点)』とのことで、当時、「心斎橋クラブクアトロ」で300人くらいの観客を相手に演奏していたことを思うと、とても感慨深い。
 そして、今回、「フィッシュマンズ」について、いろいろと調べているなかで、なにより驚いたのは、僕と佐藤が同い年だったことである。

 


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