『ドライブ・マイ・カー』

 2015年3月、「村上ですが」というタイトルのメールが送られてきた。村上春樹本人からのものだった。
 2015年1月15日~5月13日、期間限定の質問・相談サイト「村上さんのところ」というサイトが設けられた。それは、読者からの質問に村上春樹が直接回答するという企画だった。その結果は、質問・相談メール総数 37,465通、村上春樹からの回答数 3,716通というもので、僕への返信は、その3,716通の内の一通だったということになる。僕の唯一といっていい自慢である。
 僕は、村上春樹に以下のような質問をした。
「 村上さんの作品、毎回楽しく拝見しています。僕にとって、村上さんは、発売日当日に本を購入する数少ない作家の一人です。村上さんにお聞きしたいことは、本当に山のようにあります。そんな中から、一番聞いてみたいことを、送らせていただきます。それは、これまでの村上作品において、最も多く使われている名詞は、「友だち」ではないでしょうか?僕は、別に研究者でもない、単なるファンの一人に過ぎず、正確に数を数えた訳ではありません。ただ、直感でそう思いました。この言葉に込められた意味を探ることで、村上作品の本質に少しでも近づけるような気がしてなりません。いかがでしょうか?」
 その答えについては、「ブログやTwitter、FacebookなどのSNS等へ転載することはご遠慮ください」と注意が促されてあったので、残念ながら公開することはできない。
 前置きが長くなったが、「ドライブ・マイ・カー」の話である。映画「ドライブ・マイ・カー」がアメリカの「ゴールデン・グローブ賞」を受賞した。「ゴールデン・グローブ賞」は、世界最高の権威とされるアカデミー賞の前哨戦といわれていて、日本の作品が受賞するのは、市川崑監督の「鍵」以来62年ぶりの快挙だそうだ。
 映画を観に行く前に、原作を読み返してみる。村上春樹らしい作品だった。「ドライブ・マイ・カー」では、「いなくなった妻」と「ともだち」と「主人公に関わっていく謎の女」といういつもの設定で話が進行する。村上春樹は、この人物設定を好んで使う。代表的なのは、僕が一番好きな初期の名作で「羊をめぐる冒険」である。「妻」と別れた「僕」は、「ガール・フレンド」と共に、「ともだち」の鼠を探しに北海道へ向かう。その他の作品についても、この基本構造をアレンジしたものが多いように思う。
 村上春樹は、読者からの質問にこう答えている。「48才で既婚で、友だちがいない。普通だと思いますよ。いなくてもとくに不自由ありませんよね?だったらそれで何の問題もありません。ちっとも気にすることありません。」(「村上さんのところ」P140)
 この発言からみると、村上春樹にとって「ともだち」というのが、それほど重要ではないことが分かる。では、なぜ、村上春樹は、「ともだち」、「妻」をよく採用するのだろう。
考えてみると、「ともだち」、「妻」は不思議な存在だ。どうしても必要かといえばそうでもないような気もするし、いないとなれば少し不安な気もする。
僕にも「ともだち」、「妻」は存在する。「ともだち」は、12才からのつきあいで、かれこれ45年も経つ。結婚したのが、1993年なので、その前の交際期間を加えると「妻」とも
30年以上のつきあいとなる。
 僕は「ともだち」の影響で、イギリスのロックに目覚めた。毎日学校に行けば、ロックとバカ話に明け暮れていた。僕は、音楽を足掛かりに、映画、文学への扉を次々に開いていった。彼がいなければ、今のこの自分は存在しないわけで、とても感謝している。すこし変てこな人間になってはしまったが...。12才~18才という精神的にも大変危うい時期に、そばに彼がいてくれたおかげで、とんでもなく愉快な毎日が送ることができ、同時に、今まで見聞きしたことのない「世界」を知ることができた。しかし、その「世界」は、「世界全体」からみれば、ごく一部でしかないことは、年を重ねるにつれ分かってくる。
 一方、そんな「狭い世界」から「大きな世界」へと目を向けさせてくれたのは、「妻」の存在が大きい。妻を通して、僕は初めて、焼いたお餅をお醤油とマヨネーズで食べることを知り、予備の歯磨き粉を何本もストックする習慣のある人がこの世に存在することを知った。いろんな人がいるものである。
 僕は、「ともだち」とは、「小さな世界」そのものであり、「妻」とは「大きな世界」とのブリッジだと考える。
「ドライブ・マイ・カー」の主人公、家福は、妻を失い、家福にとっての「大きな世界」は存在しなくなる。残されたのは「小さな世界」(=高槻)だけであるが、家福は、その「小さな世界」さえも失ってしまう。そんな家福は、浮遊(ドライブ)し始めるが、さらに、家福は緑内障の兆候が見つかり、車を運転することさえできなくなる。そんな折に、運転手として、みさきを雇うことになる。みさきへの要望は、ただひとつ。「運転の腕が確かなこと」。「世界」を失った家福を「世界」へと導くためには、正確な運転が必要とされたわけである。
 僕は、過去の村上春樹原作の映画では、「トニー滝谷」が一番好きだが、果たして「ドライブ・マイ・カー」は、どうだろうか。ワクワクしている。